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 夢の続き

  Taika Yamani. 

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  「彼の気持ち」


 高等部二年の十月、文化祭初日。夕暮れの中、一人帰宅する此花希の後ろ姿を、じっと見詰めていた男子生徒がいる。
 自称「希の彼氏」の、朝宮怜悧だ。
 怜悧は学校を去っていく希の姿に、小さく嘆息したが、長期戦を覚悟していたからそれ以上嘆くことはしなかった。希に自分から好きと言わせる。自分から絶交なんてできないと認めさせる。
 それが、昨日ほとんど眠れないままに考えて出した結論だった。
 昨日、文化祭の前夜、クラスの男子と学校に泊り込んだ怜悧は、夕方七時ごろに一度テニス部に顔を出した。テニス部の出し物は、女子部員を使った多少あざとい喫茶店で、怜悧としては女子部員がお気の毒様と思うのだが、意外にも彼女たちは楽しんでやっているようだった。その分男子部員はこき使われていて、テニスコートの脇で簡易キッチンを作ったり、コートに丸テーブルや椅子を持ち込んだりと忙しくしていた。
 もっぱらクラスの方ばかり手伝っていた怜悧が顔を見せると、部活は引退しているのに文化祭ではしっかりと指揮をとる元キャプテンなどが「もっと早くこいよなー」などと笑って文句を言ってくる。怜悧はさらりと笑って、それからの一時間みっちりと手伝った。
 ここまでは何気ない文化祭前夜の一コマなのだが、ここからが問題だった。
 八時ごろになってようやくこちらの準備も終わり、みなで騒ぎながら一度部室に戻る。その途中で、前方に一人の女子生徒がいた。
 いくら夜とは言え、怜悧が彼女をみまちがえるわけがない。
 「希!?」
 この日は暗くなる前に帰したから、この時間に学校に残っているはずのない少女。
 ビクンとゆれるその後ろ姿に向かって、怜悧は駆け寄っていた。
 「おまえ、こんな時間に一人で、何やってるんだ!?」
 本気で気遣う相手だから、本気の声だった。
 十数歩の距離を一気に駆ける。
 振り向く時間は充分あったはずなのに、希は振り返らない。
 怜悧はその肩に手をかけようとして、瞬間、気付いた。
 「あ」
 一年程前に、希とした賭け。一年間怜悧が希に自分から話しかけてこなければ、怜悧のものになってくれるという賭け。同時に、話しかけた時点で、絶交だとも。
 希が振り返らないのも、それを自覚しているからかもしれない。怜悧はその数秒、動けなかった。
 後ろでは、他の部員たちがなにやら話をしている。怜悧と希の様子を勝手に噂しているのだろうか?
 怜悧がそんなことを思った時、希はいきなり駆け出していた。
 「お、おい!」
 思わずまた声をかけるが、希は止まらない。怜悧は追うべきだ、と思ったが、同時に「これが待ち望んでいた機会かもしれない」、というひらめきが走った。
 これまで、一方的に迫るだけだった怜悧。希はかなり受け入れてくれるようになってはいるが、自分から怜悧にアプローチしてくることはなく、いつも受身。約束どおり一日一回は話しかけてくれるが、それ以上ではない。希が自分から怜悧に触れてくることも少なく、逆に怜悧がベタベタしようとするとそれを嫌う。
 一年前とは違うという自信はある。希も自分が好きなはずだと思う。
 だからこそ、追わなかった。
 「なんだなんだ、ケンカか?」
 「追わなくていいのか?」
 先輩たちが、心配しているようでありながら、からかうように声をかけてくる。怜悧は肩の力を抜いて、「後で電話でもしますよ」と軽くかわした。みな気にしているようだが、事情をよく知らないだけに、なにがなんだかわかっていない。軽いケンカ説で押し通した。
 「にしたって、いきなり逃げることはないだろ」
 部室でみなと別れ、教室に戻りながら、怜悧は今度は怒りがわいてきていた。夜のこんな時間で一人で外をうろうろしている「自分の彼女」を心配して何が悪いのか。いきなりそんな「自分の恋人」を見つけたら、だれだって声をかけたくなるに決まってる。軽く笑って何事もなかったかのように振る舞ってくれてもいいだろうに。
 教室につくと、なぜか複数の女子がいて、泊まり組の男子生徒たちはサンドイッチを頬張っていた。
 「おかえり〜」
 「あれ、此花さんは?」
 「早かったな。一緒じゃないのか?」
 ここで怜悧は希がクラスの女子たちと差し入れを持ってきてくれたことを知るのだが、その希は教室に戻ってはいないらしい。先に帰ってもいいと女子は言われていたようで、「じゃあ帰ったのかな?」という声も。
 「会わなかったのか?」
 「いや、会ったけど、すぐどこか行ったみたいだから。まあ、帰ったのかもね」
 そんな会話を交わして、怜悧もサンドイッチをもらおうとしたら、「あれ、此花さんからもらわなかったの?」という声。怜悧は適当に話をあわせたが、急に心配になってきた。
 「あいつ、ちゃんと帰れたのかな……」
 希だから心配ない、とも思うが、逆に希だからこそ怜悧は心配だ。親バカ的な心理だが、怜悧にとって希は世界で一番可愛い女だ。一目見ただけで理性を蒸発させて襲いかかる男もいるかもしれないとも思う。すごく不安で不機嫌になる自分を、怜悧は自覚した。
 「ちょっとでてくる」
 怜悧はすぐに立ち上がって教室の外に出た。そのままダッシュで、希の家に向かう。
 あの時すぐ追えばよかったと後悔が沸き起こる。変な気をおこさなければよかった。
 早すぎる変わり身だが、怜悧の優先順位は希が一番だ。自分の甘い考えで希が傷ついたりしたら目も当てられない。そもそも声をかけてしまったのだって、希が心配だったからなのに。
 「…………」
 学校をでて、全力で走ったから、五分とかからずに希の家の前に到着した。
 希にも遭遇しなかったが、事件の跡にも遭遇しなかったから、少し安心だ。外から希の家を眺めると、明かりがついているような気配もある。
 「そうだよな、あの希だからな……」
 小さく呟いて、安堵のため息を一つ。二十四時間体勢の要人警護を雇いたいが、希はそんなことすればすぐ気付くし、気付けば勝手にそんなことをした怜悧を嫌うに決まっている。
 「やっぱり傍にいるしかないのに、傍にくらいいさせろよな」
 怜悧は希の家を睨みつけてから、学校に戻った。
 明日希がどうでてくるかを考えてみる。
 怜悧が推測した選択肢は、希が考えたものとほぼ同じだった。が、怜悧はさらに希が「絶交のフリ」をしてくる、という選択肢まで推測していた。なんだかんだで一番希の性格を把握している怜悧だった。
 それぞれ対処法を考えるが、怜悧としては仲直りするだけならそう難しくないかなとも思う。全身で悪かったという態度を示して、なかったことにしてくれと嘆願すれば、希はいじわるくなにかしら条件をつけてきたりするかもしれないが、簡単に和解はしてくれると思う。それどころか、一気にもう付き合っていいという流れにだって持ち込めるかもしれない。
 「それもいいな……それがいいな」
 怜悧は甘い考えを抱いたが、熟考の末にその考えを捨てた。単純に自分でも甘いと思ったからだし、希が「しかたないなぁ」と呟く顔が想像できてしまったからだ。わざと怒ったような、それでいて笑顔で言ってくれるだろうが、素直な希を見るチャンスを逸してしまう。そう、最初に考えたように、「しかたなしに付き合ってあげる」などという発言ではなく、むしろ「わたしと付き合って」と言わせたい怜悧だった。
 が、そこまで考えてまた怜悧は自信を無くした。希が自分を好きだという自信はあるが、それが完全に恋愛感情かと問われれば、全面肯定する自信はいまだにない。
 和解に持ち込むのは楽な道だ。予測もできる。
 だが、好きと言わせようと思ったら、こちらも無理をしなくてはいけない。希が何事もないように笑顔で話しかけてきたら、「絶交じゃなかったのか?」などと追い詰めるべきか? いや、これでは希はおそらく意地を張る。もし話しかけられても、自分から距離を取るべきだ。寂しげな顔をして言葉を返さないくらいの事をしてもいいのかもしれない。
 もし希が話しかけてこないなら、こちらからも話しかけない。我慢比べだ。押して駄目なら引いてみろ、というやつだが、ここにきてやっと、怜悧はそれができる自信もあった。
 「……でも、そのまま本当に希が離れていったら?」
 これを考えると怖い。
 その夜は悶々としてすぎていき、翌日、文化祭の初日。
 先に学校に着いていた怜悧は登校してきた希に気付いたが、すぐに教室に隠れて気付かないフリをした。点呼の時も希の存在に興味がないふりをし、グラウンドで目が合ったときも、すぐに視線をそらす。
 希の方から話しかけてくれていれば、こんな態度はとらなかったと思う。希は怜悧を気にしている様子は一目瞭然だったが、一目瞭然だったからこそ、怜悧は作戦を決行した。
 正直、自分でも辛かった。一人で歩いていると、気付くと目が希を探しているし、希のことばかり考えている。
 「我ながら、あとちょっとがんばれれば何事もなかったのに……」
 そう思うが、時期的にこれが最後の機会だとも思った。あのまま賭けの結果から希と付き合い始めても、その理由ゆえにいつか傷つく日がくるかもしれない。少なくとも、その理由を希が振りかざす日が来るかもしれない。素直になってくれないかもしれない。
 いや、今でも充分希は素直ではないし、「賭け」を振り回すことしょっちゅうだったが、だからこそやはりいい機会だった。賭けなどなくとも、好きだと言わせたい。言われたい。
 この日、怜悧は何度か希の後ろ姿を見かけたが、結局お互い声をかけないままにその日は過ぎ去った。希はやけにきょろきょろしていたが、それは自分を探していたのだと思いたい。
 そして、文化祭二日目。
 みな時間どおりに来て、また朝の点呼。
 怜悧の視線が、希と一瞬ぶつかる。昨日のまっすぐな視線と違い、希はなぜか「ふふん」という顔で笑って、そっぽを向く。
 「……?」
 怜悧としては、わけがわからない希の態度だった。
 無視が気になっているふうでもなく、かといって逆に無視するつもりでもない態度。
 「も、もしかして、全部読まれてる?」
 内心焦った。が、怜悧が無表情を維持しながら背中で冷や汗を流していると、希は少し時間を置いて、すぐにまた視線を戻してくる。今度は睨みつけるような視線だった。
 さっぱりわけがわからず、怜悧は冷静な仮面をつけたまま、視線をそらした。
 頭の中はぐるぐると思考がめぐる。全部ばれているのなら、なぜすぐに睨みつけてきたのか? しかも不機嫌そうに。
 いきなり睨みつけられたのなら、作戦が功を奏していると思えて喜ぶところだが、最初の表情の意味がわからない。
 とりあえず、怜悧は悩みまくりつつ、何気ない顔で逃げ出した。



 文化祭二日目の夜、怜悧はやりすぎたかと思って、また悶々として過ごしていた。
 クラスの係を一緒にした後の一コマ。
 「怜悧、疲れたね。一緒に何か飲みに行かない?」
 明るい、少し甘えたような、希の笑顔。
 「いいね、行くか」なんて笑って頷けば、万事上手くいったのに。ここ二日のことなど、笑って冗談にしてしまえたのに。
 その笑顔を、怜悧は無視してしまった。後で聞くところによると、すぐに帰った希は少し泣きそうになっていたともいう。
 「無視をすることで希の方から好きと言わせる作戦」は、ある意味波に乗り始めたように思えて、「よし脈あり」とも思うが、同時に胸が痛すぎた。泣きそうになっていたとまで聞けばなおさらで、罪悪感がすごい。
 「うんん、あの望がそのくらいで泣くなんてありえないわ」
 久しぶりに「怜華」の口調で呟いて、すぐに「今の怜悧」の口調になって何度も頷く。
 「希は希だからな。油断はできない」
 少なくとも怜悧が無視しようとしている、ということはその件で完全に伝わっているはず。問題はその意図まで見抜かれているかどうかだ。
 「でも、泣きそうだったということは、ショックだったということだよな」
 それも「無視されたくなかった」という類のショックのはずだ。驚いただけなら、泣くことはない。
 「少なくとも、好かれてるよな」
 自分に言い聞かせる。この件にはいまだに怜悧も自信がないから、何度も何度も言い聞かせないと「押して駄目ならひく」こともできない。希の感情を引き出すまでは、まだここでこちらから甘い顔をするわけには行かない。
 「でも、あの希、可愛かったよなぁ……」
 『怜悧、疲れたね』
 素直な表情。
 『一緒に何か飲みに行かない?』
 甘えたような笑顔。
 「…………」
 怜悧は「なんで無視なんかしたんだろう……」と、半分本気で後悔した。
 「でも、希はどう思ってたんだろ。ずっとそっけなくしてたのに」
 そこに至るまでの希の心理も不明瞭だ。なのに突然の誘いの言葉。
 「……まさか、その誘いも罠だったとか」
 これまでさんざん焦らされているだけに、怜悧の心理には警戒心がいっぱいだ。
 「こっちの意図を見抜いて、おれが軽く返事をしようものなら、逆に怒ってきておれの方から謝らせるつもりだとか」
 ありうる。どうしようもないくらい希が好きだということが、完全にばれているからその点は不利だと思う怜悧である。泣きそうになってたというのも、そう考えていくと、希の作戦のように思えてくる。自分に有利な状況で怜悧と付き合い始めるための作戦。さらに言えば、また条件をつけてくるつもりなのかもしれない。
 「……うーむ、わからん」
 が、一つだけ、怜悧には自信があった。この日笑顔で話しかけられたということは、怜悧に大きな余裕を与えていた。
 「少なくとも、絶交するつもりはないってことだよな。希はおれを嫌ってない。うん、好きなはずだ」
 その好きがどの好きかまでは完全には自信はないが、その好きと思ってもそう違わないはず。
 「うう、やっぱでも、惜しかったよなぁ」
 その日怜悧は、希の笑顔を思い出しながら、やはり悶々として過ごしたのだった。



 文化祭三日目、最終日。
 朝、怜悧は希と顔を合わせたが、希はすっかり普段と変わらない様子だった。昨日泣きそうだったという話が嘘だと思えるほどで、朝から何人かの女子生徒たちと一緒にいなくなる。
 怜悧はそれを見送りながら、内心「がーん」と思っていた。
 昨日の一件はそれなりにショックだったのかもしれないが、希にとってはそれで終わった、という可能性に思い当たったのだ。これまで熱烈にアプローチしてきていた相手に無視されれば、それはだれだって最初は衝撃を感じるものだろう。嫌っていなければ、理不尽にも思うかもしれない。だが、それも一日もたてば、好きな相手でもなければ気にならなくなるのかもしれない。
 「やばい、どうしよう」
 このまま無視を続けるべきか、即座に謝りに行くべきか。
 こちらから低姿勢に出させるための罠の可能性もあるし、単に意地を張ってるだけの可能性もあるし、本気の可能性もある。もしかしたらどうしていいのかわからないだけという、ありえないような可能性もあるが、希が本気でどうでもいいとか思っているのなら迷わず謝るべきだった。一時の遅れが取り返しのつかない事態になる可能性がある。
 「どうしておれだけこんなに悩まなきゃいけないんだ!」
 怜悧は悪態をついたが、希の心理を知ればその感想はでてこなかったことだろう。
 結局、頭の中でぐるぐると希の気持ちを推測するうちに、三時になった。
 一般公開終了の四時まではもうやることもないから、クラスの係もすぐにみな散り散りになる。一瞬だけ、怜悧はいっしょにクラスのスタッフをしていた希を見たが、目はあわなかった。それぞれ別々の方向に歩き出す。
 四時になったら、後夜祭にでるつもりの面々が教室に集まってくる。後片付けをして、ファイアーストームに放り込む廃材を運び終えて、怜悧はいつのまにかいなくなっている希を探しに行こうとした。
 希から話しかけてこないのなら、さすがにこのままではまずいと焦りがわいてきていたのだ。携帯電話が震えたのはそんな時だ。
 『五時半、教室外のベランダに来て欲しい』
 希からのメール。
 怜悧はほっとした。まだいけるという自信もわいてくる。このメールがなければ、怜悧は自分から希を探し回って、頭を下げていたかもしれない。だが呼び出されたことで、怜悧の胸に期待が膨らんでいた。
 希から、本気で好きだと言ってくれるかもしれない?
 少し焦らすために、五時半になって始まるファイアストームの点火を見届けてから、怜悧はゆっくりと教室に向かった。
 「希が自分から気持ちを言ってくれるまでは、まだなにも言わずにいてみよう」と、そう思いながら。



 ――その結果、無視の度がすぎて殴られることになるのだが、半分は自業自得であった。








 ちゃんちゃん。 

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初稿 2005/09/04
更新 2014/09/15