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 夢の続き

  Taika Yamani. 

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  番外編その3<中> 「トラットリアとストーカー」


 五月の日曜日の正午すぎ、葉山月学園高等部一年の一ノ瀬蛍と斑鳩渚は、こそこそと一人の少女の後をつけていた。その少女の名前は此花希。同じ学校の二年生の先輩だ。服装がボーイッシュに清潔で、それでいながらどこか多少色っぽいため年相当に見えるが、身長だけ見ると中学生にも思える小柄な少女だ。
 だがそんな小柄さも、彼女の魅力をひきたてることに一役買っていた。腰まで届きそうな長い髪はゆったりと一筋に編んで背に流し、愛らしい顔を隠すようにメガネをかけているが、どこか存在感がある。むしろお忍びの芸能人という印象もあって、服装もシンプルな格好なのに、自然と人目を集めている。彼女の持つクリアな空気のせいかもしれないし、その歩き方や物腰のせいでもあるのかもしれない。類稀に愛らしい、と称してもいいその少女は、柔らかくも凛然とした姿勢で駅の改札口に向かって歩く。
 希は改札前の一人の男に、なにやら声をかける。渚は唇をかみ締めた。
 「やっぱり男だ〜!」
 「朝宮先輩ですわね……」
 希が声をかけた男は、希と付き合っているという噂もある朝宮怜悧だ。二年生ながらテニス部のエースで、ルックス、家柄、運動能力、成績、どれをとっても非の打ち所がなく、中等部、高等部のアイドルと言っていい男子生徒。そんな彼は、希になぜかいきなりチョップを食らわす。
 「わわ、希先輩になってことを!」
 渚は憤慨したが、叩かれた当の本人はなにやら楽しそうに笑っている。
 「希先輩は友達って言ってたけど……実際どうなんだろ?」
 「……希先輩も楽しそうですわ……」
 「はわわ、あんなとこ触ってる!」
 怜悧の手が希の愛らしい鎖骨に触れたのを見て、ますます渚はヒートアップ。蛍もこれには目の中に炎を燃やした。
 「少なくとも、朝宮先輩の態度は露骨ですわね」
 「うん! 希先輩にあいつ馴れ馴れしい! わ、手まで!」
 希の手を取って歩き出そうとする怜悧の手から、さらりと逃れる希。だが二人仲よさそうに横に並んで歩き出す。覗き見している下級生コンビは、さらにハラハラしながら、急いでこっそりと後を追う。
 希は「友達と遊んでいるだけ」とだれに訊かれても主張するだろうが、怜悧も当然だれに訊かれても「デートだ」と言い切ることだろう。傍から見ると大学生と高校生、下手すると大学生と中学生にも見えるので、客観的な関係は微妙だが、二人の仲のよさは一目瞭然だった。
 男の方は笑って少女の髪を撫でたり腕に触ったりするし、少女も少女でそれを特に嫌がるでもなく、笑ってたしなめたり、逆に冗談めかして殴るそぶりを見せたり。カップルにも見えるし、友達同士にも見える二人は、ともに見目が麗しいだけに、自然と目立っていた。
 そんな二人に少し距離をおいて、渚と蛍の下級生コンビは歩いていたのだが、実はすっかりばれていた。
 「後を付けられてるな」
 賑やかな繁華街を歩きながらの怜悧の言葉に、希は少しだけ笑う。
 「さすが、敏感だね」
 「気付いてたな?」
 「なんとなく、ね」
 「心当たりは?」
 「あるよ」
 「おまえをナンパしてきたやつか?」
 「うんん、どちらかというと、わたしがナンパした子」
 「はあ?」
 「さっき言った後輩の女の子。やけにあっさり引き下がったなとは思ってたけど」
 待ち合わせ前に、街を歩いていた希は、ナンパされていた学校の後輩を助ける行動に出た。その下級生コンビはなにやら希を気に入ったようで、まともに会話をするのも一苦労だった。さっき駅まで送っていったばかりなのだが。
 「なんだよ、変なやつらだったのか? 脅してやろうか?」
 「どーしてすぐそう乱暴な方に行くかな。いいよ、放置で。それより、どこでご馳走してくれるの?」
 「……おまえ、たかる気満々だな」
 「もちろん。誰かさんと違って、少ないお小遣いでやりくりしてる一般庶民ですから」
 「これも貸しだからな。いつかまとめて返してもらう」
 「……わたし、帰ろうかな。一日一回はもう果たしたし」
 「もちろん、おれのおごりだよ、希ちゃん」
 「ちゃん付けはやめなさい」
 「はは、高いとこ行くか? 後ろのやつらついてこれないだろ、そうすれば」
 「んー、たぶん二人ともお嬢様だよ」
 蛍の言葉遣いは完全に浮いていたし、渚も渚で世間知らずな気配が濃厚だったから、いいとこのお嬢様であっても全然不思議がない。
 「それでもものはためしだ」
 「ジーンズでいけるお店以外嫌だよ」
 「そのへんは大丈夫だ。そんな店はおまえが嫌うのはわかってるからな」
 「嫌いなわけじゃないけどね、一緒に行く相手を選びたいだけで」
 「どーいう意味だこら」
 「はは、でもいいよねー、親がお金持ちな人たちは。こっちでもバイトしようかなぁ」
 「夜のバイトは許さないからな」
 「人に聞かれると誤解されそうなことを言わないように。とりあえずやるとしたら普通のバイトだよ」
 おまえはほっとくとなにしでかすかわからんから、と、怜悧はぶつくさ。よく考えるとかなり失礼な発言だが、希は軽く聞き流した。
 「おまえんちも言うほど悪くないだろ。いま小遣い少ないのか?」
 「そうでもないよ。言えばたぶん、使い切れないくらいくれる」
 「いい親だな」
 「甘いだけだけどね。だからこそ、あんまり甘えたくない」
 「それって、家が金持ちかどーか関係ないじゃん」
 「まーね」
 「なんか欲しいのあるのか?」
 「女はお金がかかりすぎ。なにやるにも男と段違いだし」
 「そうか?」
 「……今さりげなく、かなり嫌な金銭感覚の違いを見せ付けてくれたね、怜悧くん」
 「はっはっは」
 「ま、冗談はともかく、自立したいというのはあるかな」
 「そんなに急いでどうするんだ?」
 「準備は早いに越したことがないから。一人で生きていけるようになりたい」
 「おれが貢いでやるよ」
 「絶対受け取らない」
 「やれやれ、素直に甘えればいいのに。あ、じゃあ、なんなら資金を貸そうか?」
 「焦げ付かせると身体で返せなんて言われそうだからいらない」
 「はっはっは。安心しろ、焦げ付かせなくても言うから」
 そんな他愛もないような、下手をするとしゃれにならないようなことを言い合いながら、二人歩く。そのまま怜悧が希を連れて行ったのは、そこそこ値の張るイタリアンだった。日曜のランチタイムだけあってそれなりに混んでいて、順番待ちの人がいる。
 「そっか、ここはランチは安いのがあって混むのか。どうする?」
 「いいよ、どこ行っても混んでるだろうし、まかせる」
 「じゃ、ここで。その台詞さ、望でもそう言いそうだよな」
 「そうだね。自分からこういうのを調べるタイプじゃなかったね」
 「こういうのは普通女の方が詳しいものじゃないのか?」
 怜悧の指摘に、希はくすりと笑うと、怜悧を指差して見せた。つまり「キミは元女なんだからそれであってるよ」という態度だ。怜悧はシニカルに笑う。
 「でも、デートの時に女にまかせっきりの男ってのもなんか嫌だぞ」
 「まあ、まだ本気で好きな子もいなかったから。本気になってればどうなってたんだろうね」
 「希は、本気になればどうなるんだ?」
 「わたしなら、そういうのを一緒に調べたり、イチゲンで一緒に飛び込んだり、ただ連れてってもらったり、たまには自分で調べて連れてったり、そういうのがいいかな」
 「おまえって、やっぱりかなりベタだよなー。恋愛の理想も高いだろう」
 「どうだろうね」
 そうかもしれないが、そうであってもとりあえず困らないし、この件では自分がどうなのかなんて全然把握できていない希である。笑ってごまかした。
 「じゃ、今度一緒に調べるか?」
 「デートみたいだから嫌」
 「なに言ってる、今日もデートだろ」
 「どこが?」
 「どこからどこまでもだ」
 「さてと、帰ろうかな」
 「む〜」
 笑ってふざけているうちに、やがて二人の前から人がいなくなり、店内に先導される。窓際の二人がけのテーブル席に案内された。
 「で、なんにする?」
 「色々美味しそうだけど、今のわたしはあんまり入らないからなぁ」
 「おれと一緒にまとめて頼めばいいさ。残せばおれが食うから」
 「とりあえずこの季節の野菜のミルククリームシチューが食べたいな。後はグリッシーニで足りるかな」
 「アンティパストはどうする?」
 「前菜? 入るかな。軽いサラダがいいな」
 「もっと食えば?」
 「量が入らない。無理すると戻すし」
 「困った体質だな」
 「だれのせいだかね」
 「よくそれでもつよな」
 「この身体だからね。これでも少しは食べられるようにもなってるんだけど」
 「ま、小食の女の子は可愛くていいけどな」
 無責任なことを言って、怜悧は他の注文を決めた。ハーフピザの他にパスタと魚料理。極めつけにワインを選ぶ。
 「今何歳?」
 「まあまあ、うるさいことは言いっこなし」
 怜悧は笑いながらメニューを眺めて、ワインを決めてウェイターを呼ぶ。
 「ボトルは量が多いよね。グラスで美味しいのがでてくるの?」
 「じゃあボトルで行くか?」
 「酔っ払いは見捨てます」
 すぐにウェイターがやってきて、怜悧はテキパキと注文。いいとこのおぼっちゃまである怜悧は、こういうときの対応は実に堂々としている。注文を受けてウェイターが去ると、希はなんとなく笑った。
 「女って楽でいいね」
 「ん? なにをいきなり」
 「こういうとき男に任せてればいいんだし」
 頭の隅で、「正確には女というよりも怜悧の彼女は」と希は思ったが、もちろん口に出すことはしない。
 「別に希だって一人でできるだろ?」
 「そーだけどね。でも、前のままだったら、こういう店だと、最初は絶対にかっこ悪いとこを見せるはめになっただろうな」
 「いや、望なら絶対それを女に見せたりはしなかったな」
 「……どうだろうね?」
 「そんなの経験すればすぐだろ」
 「男だとその経験がつみづらい。男同士で偵察からはじめることになったのかな。それとも彼女と一緒に研究なのかな」
 「親に連れってもらえばいいじゃん」
 「キミはそれが言えるけどね」
 「おまえもこのクラスならあるだろ?」
 「このくらいまでならね。でもこの先はきついな。わたしは一般庶民だから」
 「意外にこだわるな?」
 「単なる事実認識だよ。怜華に手を出さなかったのは、それもあるのかも」
 「そんなの気にしてたのか?」
 「今にして思えばの話だけどね」
 二人、穏やかに笑って談笑。やがて料理もきて、のんびりとおしゃべりをしながら食べる。怜悧が希のシチューに手を出してきたり、希も怜悧のワインを一口だけ飲んだりしつつ、時が流れる。デザートも食べて、最後はコーヒーでゆったりだ。
 そんな中、一度トイレに立った希が席に戻ると、怜悧が先ほどの話を持ち出してきた。
 「後をつけてたのって、あの二人だろ。希の言ってたやつらか?」
 少し離れた席に、葉山月学園高等部の制服を着た二人の少女の姿。テーブルからだと距離があるため顔までは見て取れないが、希が席を立ったときなど二人とも顔を隠す姿が露骨で、あれで本当にばれていないつもりならかなり可愛い。希はくすくす笑いながら頷いた。
 「そ。可愛いよね、二人とも」
 「おまえの方がもっと可愛い」
 「ありがと。名前はイチノセホタルとイカルガナギサって言ってた」
 「ああ、一ノ瀬と斑鳩なのか、あれは」
 「知ってるの?」
 「初等部からの後輩だからな。一ノ瀬とは中等部の生徒会で一緒だったし、斑鳩とも何度か話したことはある。でも、一ノ瀬の方はおまえの方が詳しいだろ」
 「え? あんな子知らないよ?」
 「望が会ったことある。ま、向こうも男だったが。蛍と書いてケイ。一ノ瀬蛍」
 「え、あー!」
 希は思わず下級生コンビが座るテーブルを見やった。向こうは慌てた様子で明後日の方向を向くが、ごまかすことには全然成功していない。
 「言われてみれば、面影があるね。じゃあ、助ける必要なかったかな」
 「ケイ」は「望」が六年生の頃まで通っていた道場の後輩だ。学校ではそうでもなかったが、道場ではよく「望」に懐いていたものだ。家は日本舞踊の大家だが、代々女性が継いできていたらしく、男の「ケイ」はかなり放任で育てられていて、いわゆるワルガキタイプだった。本人も家業より道場通いを熱心にしていて、そこいらの相手には余裕で勝てるくらい強かった。
 「こっちでも強いかどうかまでは知らないぞ」
 「そっか、女の子だしね。そういえば話し方がかなり変だったな」
 「はは、失礼だな」
 「ま、ケイだと思えばね。こっちではどういう子なの?」
 「かなり大人びたタイプだ。中等部の時からしっかりした奴だったな」
 「へー、そうは見えなかったけど」
 「そうか? 言いたいことをけっこうずけずけ言う奴だったはずだけど」
 もう一度、希は二人の方を見る。ナンパで絡まれていたことといい、どちらかというと大人しそうなタイプに見えたのだが、怜悧の言うとおりならぶりっこでもしていたのだろうか。
 「渚はどういう子?」
 「運動はかなりできるやつだ。中等部の時とかは、体育祭とか目立ってたな。やたらとうるさいやつだけど」
 「元気そうな子だよね、確かに」
 「はは、そうだな。で、どうする? いい加減つきまとわれたくないが」
 「なにもしてこないならほっといてもいいと思うよ。あ、でも、あの二人可愛いから、ちょっと心配かな。ケイならほっとくんだけど」
 「……おまえ、女子ともあんま仲良くすんなよ」
 「あはは。いきなりなに言い出すの? 焼餅?」
 「おう。希がそっちのケがあっても全然驚けないからな」
 「そっちってどっちだ」
 希は笑ってつっこんでから、少し意地悪く笑みの形を変えた。
 「怜悧こそどうなの? 男にその気になるの?」
 「望にならな」
 「…………」
 「…………」
 からかったつもりが、怜悧は真顔で応えてくる。希は突っ伏したくなった。
 「よくそういう台詞を恥も外聞もなく言えるね」
 「本音だからな。おまえ、顔赤いぞ」
 怜悧はニヤニヤと笑う。希はとっさに片手で頬を押さえた。
 白すぎる肌が恨めしい。もともと日焼けしにくかったこともあるが、「希」がずっと家に篭っていたせいもあって、希の肌は人並みはずれて白く透き通っている。今では血色がよくなって瑞々しさに溢れているが、その分、血の気が引けば一気に青白くなるし、逆にちょっと興奮しただけですぐ顔が赤くなる。クールを目指す希としてはこの体質だけは本当に嬉しくなかった。
 「今は希がいいな。望は振り向いてくれなかったけど、希は優しいし」
 「……もっと冷たくしようかな」
 「できるのか?」
 さわやかに柔らかい、それでいながらちょっといじわるな怜悧の瞳。希は一瞬見惚れかけて、そっぽを向いた。
 「して欲しいならするよ」
 「して欲しくない」
 「…………」
 「希って意地っ張りだな。素直になれば楽になるのに」
 「それが流されただけでないとだれが言える?」
 「その時その時の気持ちを押し殺してなにが楽しい?」
 「…………」
 「…………」
 たいていのことは受け入れるが、自分から踏み込むことはあまりしない希。もしかしたら、希は直情的な怜悧が羨ましくて、まぶしいのかもしれない。
 怜悧は、そんな希の内心を知ってか知らずにか、やんわりと微笑む。
 「ま、よく言えば、昔からおれは大胆で、おまえは慎重だったってことかもな」
 「……環境の違いかな?」
 「これからカラオケでもいくか?」
 「またいきなり」
 「そんな歌なかったか? ブロッコリーが好きだとかなんとか」
 「わけわかんないよ」
 希は笑い出していた。
 「育ちが違うから好みも考え方違うって歌だったかな。わかるか? あれ? もしかしてあっちの歌だっけ?」
 「こっちの歌だよ。いいよ、じゃあ、いく?」
 「おう。また女の歌を歌うんだよな?」
 「複雑な心境だね」
 「高い声がでるのは楽しいとか言ってたくせに」
 二人笑顔で会計をして外にでる。後ろでもばたばたと、ストーカーコンビが慌てて会計をしようとしているのがなんだか可笑しい。
 「逃げるか?」
 「あはは。いいよ、ゆっくりで」
 二人のんびりと、歩き出した。
 「さすがにカラオケBOXまではついてこないよな」
 「そこでストーカーするのは難しそうだね。隣でずっと聞き耳を立てる?」
 「おれなら外で待つな」
 「キミもストーカーになれるね」
 「してほしい?」
 「お願い、本気でやめてください」
 「はっはっは」
 「…………」
 「と、笑ったところで、厄介事か」
 怜悧の笑い声にかぶさるように、声が響いたのだ。すでに振り返っていた希にならうように、怜悧も振り返った。
 急いで店をでてきたらしい下級生の二人組が、三人の男性に衝突したらしい。幸い、男たちは特別ナンパ野郎でもないようで、二人はぺこぺこ謝り、落ちてしまった荷物をお互い回収して分かれる。特に厄介事には発展しなかった。
 「……どーする?」
 怜悧の声に、希はお隣の友人を見上げる。
 「どーしようか?」
 「ま、たしかにほっといてもいいよな。あいつらどうなっても知ったことじゃないし」
 「冷たいね」
 「希以外にはな」
 それを嬉しいと思う自分に、希は少し困る。
 下級生コンビは、後をつけていたことを気付かれたことに気付いたらしい。向こうもあたふたと、「どーしよー!」という風情。このままでは事態が進展しないので、希は自分から動くことにした。二人を放っておくのではなく、構いに行く方向。
 怜悧は「やれやれ、お人よしだな」と呟きながらもくっついてくる。希たちが近づくと、渚は目に見えて狼狽した。
 「こんにちは、渚、蛍」
 「あ、あ、あの、ボ、ボクたちお腹すいてたからちょっと食べて帰ろうって思っただけです!」
 いきなり言い訳をする渚の横で、蛍はゆっくりと怜悧と希の表情を伺っている。
 「おまえら、デートのじゃまするなよ。馬に蹴られるぜ」
 「で、デートなんですか!?」
 蛍はなぜか無言で怜悧を見上げたが、渚の声は悲鳴に近い。次の希と怜悧の台詞は、まったく同時だった。
 「デートじゃないよ」
 「デート以外の何に見える?」
 「ほ、ほら見ろ、希先輩はオマエのこと友達だって言ってたぞ!」
 「だれがおまえだって?」
 「オマエだー! 男のくせに、希先輩に近づくな!」
 「ばかだな、男だから近づくんだよ」
 「キミは女でも近づいてくるくせに」
 「それはそれだ」
 「…………」
 「せ、先輩、こういう男とはさっさと離れた方がいいですよ! いかにも女ったらしですって顔してます!」
 「殴っていいか?」
 怜悧の問いに「わたしに聞かないで」と思わず言いそうになった希だが、さすがにその台詞では怜悧を止められない。無造作に手を伸ばし、渚の頬をむぎゅっと挟んだ。
 「少しは落ち着きなさい」
 「ひぇんひゃい!?」
 「大人しくできる?」
 希の言葉に、渚は何度も首を縦に動かした。希は渚を解放して、改めて二人に向き直る。
 「怜悧とは話したことはあるんだよね? 仮にも、キミたちの先輩なんだから礼儀正しくね」
 「…………」
 「…………」
 渚は、無言だが、どことなく不満そうだ。蛍はさっきからずっと、真顔で希と怜悧を見つめ続けている。怜悧もやっぱり不機嫌そうだ。
 「斑鳩は相変わらず口が悪いよな」
 「オマエほどじゃない! 先輩たち、ただの友達ですよね!?」
 「殴るぞ」
 「渚、今度は痛くするよ。怜悧も脅さないで」
 ぶすぅ、っとなるその表情は、なんだか怜悧と渚、二人とも似ているが、希はなぜかそれを笑う余裕をもてなかった。
 「怜悧はわたしの友達だよ。嫌うのは勝手だけど、これ以上今ここでどうこう言うとわたしも怒るから」
 心の中で「もしかしたら、ひょっとすると、万が一、何かの間違いがおこれば、付き合うことになるかもしれない相手だし」と素直ではないことを付け加える希。渚は泣きそうになっていた。
 「で、でも希先輩には、似合わないと思う……」
 「マジで殴ろうかな……」
 「ほら、こんな乱暴な人!」
 「渚」
 希の視線が鋭くなった。自分でも驚きだが、怜悧の悪口を言われるのが嫌だという心理が本当に存在した。と同時に、初対面なのにここまでしつこくしてくる渚に、ちょっと疲れたというのもある。
 「二人とも、もうついてこないで」
 「え、で、でも……」
 「いい加減迷惑だよ」
 「そ、そんな……」
 「怜悧、行こう」
 「ああ」
 怜悧はどういう心理なのか、下級生コンビを軽く一瞥しただけで、希に続いて歩き出した。渚は泣きそうに、蛍はずっと無言で、希と怜悧を見送っていた。



 希と怜悧も、しばらく黙って歩く。怜悧は後ろを振り返って、下級生コンビが見えないことと追ってもきてないことを確認してから、顔を正面に戻した。
 「かわいそうに」
 「だれが?」
 「あいつらが」
 「キミがそういうこと言うんだ?」
 「まあね。一目惚れされたんだろ? あの様子だと」
 「わたしにどうしろと?」
 「いや、別にどうしろとは言わないさ。ちょっとスカッともしたし。おれのために怒ってくれたんだろ?」
 「……その為だけじゃないよ。もともと万人に優しくする性格じゃない」
 「まあな。でも、久しぶりに見たな」
 「……なにが?」
 「他人に冷たい希。あれってけっこう傷つくんだよな」
 「…………」
 「好きならなおさらそう。おれもどれだけ傷ついたことか」
 「……怜悧だって、あれくらい言ったりするくせに」
 「まあな。言わなきゃわからない相手の時もあれば、手っ取り早い時もあるから。でも、希って好きな子に嫌われたことないだろ? 言われた方の気持ちをわかってて言ってる?」
 「……一度だけ、あるよ」
 「え? え、お、おい、どこのだれだそれ!」
 いきなり、怜悧の態度が変わった。肩をつかまれて、希はちょっとびっくりする。通行人が何事かと二人を見た。
 「痛いよ、離して」
 「だからだれなんだ? いつ? どこで?」
 「痛い、痛いってば! 言うからまず離して!」
 「逃げるなよ!」
 「しつこい!」
 希は強引に怜悧の腕を振り解いた。
 「いい加減人を信用しろ! いつもいつもくだらないことで疑われて、こっちがいい気持ちでいるとでも思う!?」
 「望」が「怜華」を好きになれなかった数多くある理由の一つ。怜悧はさすがにはっとした。一歩遅いながらも、少し慌てて、希に謝ってくる。
 「ご、ごめん」
 「……いいよ、別に。いつものことだし」
 ぷいとそっぽを向いて、希はまた歩く。こちらを気にしていた人たちと一瞬目が合うが、すぐにみなそそくさと歩みを速めた。
 「…………」
 「…………」
 らしくなく、怜悧は落ち込んでいた。希の怒りは持続せず、やがてため息をついて語りだす。
 「望の話だよ」
 「……相手はだれ? どこの女?」
 「相手は男。道場の先輩」
 「や、やっぱりそういう趣味が!?」
 「ばか、違うよ!」
 半分本気で怒鳴った。怜悧はしゅんとなる。
 「六年の時に、道場をやめたのは知ってるよね」
 「……あの時、落ち込んでたね」
 「七つ年上の先輩と勝負をしてね、勝ったんだけど」
 「…………」
 「……憧れてた先輩だった。子供心に彼は望のヒーローで、目標だった。強くて、かっこよくて」
 「…………」
 「でも、それって幻想だったみたいでね。勝った途端、ののしられた。こっちはなにも言ってないのに、いい気になるなって。手加減してやったんだって」
 「ありがちな話だな」
 「……そうだね。で、後日襲われて、撃退して、お互い破門。望くんは道場をやめましたとさ」
 最後はわざと軽く言って、希は笑う。怜悧はその笑いには付き合わなかった。
 「今でも好きなのか?」
 「それはないかな。本性を知っちゃったしね」
 「そいつ、こっちでも男?」
 「どうだろう。わたしは道場にも行ってないから。こっちで会ったことはない」
 「そいつの学校はどこ?」
 「学校はずっと葉山月だったけど、もう卒業してるよ。今年二十四になるはずだし」
 むしろ「怜悧」が会っているかも、と、希はちらっと思った。その彼はテニスも上手く、インターハイやインカレに出場したほどの猛者だった。大学時代に中等部や高等部のテニス部にたまに顔をだしていたから、「怜華」は顔を合わせている。こちらもあちらと同じなら、「怜悧」も会っている可能性は高い。
 「名前は?」
 「……まさか潰そうとか考えてない?」
 「…………」
 「…………」
 「……気のせいだ」
 「今の間はなに?」
 「だ、だって望の初恋みたいなもんだろう、それ!」
 「なんだかなぁ。同性が初恋の相手って言うのはかなり嫌だ」
 「別に女ならほっといてやるから、教えろよ」
 「やめとく。別に、目の前に現れてからで充分だよ。だいたい会えるかもわからないのに」
 「惚れないだろうな?」
 「ないない。それは絶対ない。わたしが今キミに好きだと言ってキスするのと同じくらいありえない」
 「…………」
 「…………」
 「……しろ、と言えないじゃないか」
 「あは。安心してよ。今のところ、怜悧が一番だよ」
 「え? もっかい言って」
 希の頬が、微かに血の気を透いた。
 「今のところ、キミが一番仲のいい友達だよ」
 「ちがーう! 余計なのがくっついてるぞ!」
 「行間を読みとってくれなかったみたいだからね。ほら、行くよっ」
 希は笑顔で逃げ出した。怜悧は追ってくる。
 二人、賑やかな繁華街を、人ゴミをぬいながら、明るく走り抜けた。





 to be concluded... 

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初稿 2004/01/09
更新 2014/09/15