キオクノアトサキ
Taika Yamani.
幕間 「おそろい」
高校三年の夏休み、その日午後二時から友人と一緒に受験勉強をする約束をしていた蓮見陽奈は、少し早めの時間に友人の家にやってきた。
玄関前に着くと肩にかけていたトートバッグから携帯電話を取り出し、友人に電話をかける。相手が出る前に切って、友人を呼び出すのは以前からの習慣通りだ。念のために携帯電話は仕舞わずバッグだけ肩にかけ、友人が来る前に、ちょっとだけ身だしなみを気にして、前髪をいじる。
建物の影で暑さに耐えつつ、そうやって待つこと十数秒、すぐに玄関のドアが開いた。
「陽奈さん、いらっしゃいませですっ」
陽奈の予想に反して、出迎えにきたのは友人の久我山翼ではなかった。
「飛鳥。こんにちは」
「こんにちはっ。どうぞですっ」
おじゃましますと中に入る陽奈に、走って玄関にやってきたらしい翼の妹はニコニコ顔だった。
「翼はいないの?」
「姉さんは部屋で待ってます。陽奈さん、今日は姉さんとおそろいですね」
「ん? 何が?」
「洋服です。姉さんと同じ格好です」
胸の部分で横に赤いラインの入った白い半袖ポロシャツに、ローライズのブラックジーンズ。それがこの日の陽奈の格好だ。ウエスト丈の薄いメッシュジャケットも持ってきているが、今はバッグの中である。長い髪はゆったりと一本に編んで背に流し、胸元の二つのボタンは一つだけはずしていた。
「そうなんだ。夏だからね」
脱いだミュールを並べながら、筋が通っているような、いないようなことを陽奈は言い、玄関の鍵を閉めた飛鳥は笑って姉の友人を先導する。肩を楽に超える長さになっている飛鳥の髪はポニーテールになっていて、飛鳥の動きに合わせて、陽奈の前で元気よく揺れていた。
「姉さんは、青いシャツで、カッコいい感じです」
「翼は青が好きだからね。飛鳥もそのキャミとキュロット、涼しそうで可愛いよ」
「あ、ありがとうございます……。でも、ちょっと子供っぽくないです……?」
飛鳥は少しはにかみながら、自分の洋服をつまむ。この日の飛鳥は、淡い黄色のアウターキャミソールに、黄緑色のキュロットスカートという格好だった。微かに日焼けした素肌は健康的に瑞々しく、すらりとした手足も伸びやかで、十三歳の女の子らしい明るさに包まれている。最近よく食べているせいかちょっとぽっちゃりしてきたようにも見えるが、それは着々と女性らしい丸みを獲得しつつある成果だった。まだ小学生っぽさも残っているが、中学二年生の飛鳥は成長期真っ盛りで、露出している鎖骨や肩のラインなど、思春期を迎えている同級生男子たちが見れば少しドギマギしてしまうような、ほのかな色気を漂わせるようになっていた。
「そんなことないよ。もうちょっとフリルとかついてても、飛鳥なら似合うと思うな」
「え、それだともっと子供っぽくなっちゃいます。あ、陽奈さん、今日はわたしも一緒に勉強していいですか?」
「ん? うん、もちろんいいよ。翼がダメって言ったの?」
「いえ、姉さんは陽奈さんがいいならって。わたしも今、姉さんと一緒に勉強してたんです」
「じゃあ問題ないよ。飛鳥ももう受験勉強?」
「わたしは夏休みの宿題です。今年はたくさんでたから。そろそろ全部やっちゃおうって思って」
「わからないことがあったら、手伝うからいつでも言ってね」
「それは大丈夫です。今は姉さんがちゃんと教えてくれるし」
「……飛鳥って、本当に素直になったよね。前は意地張って翼には訊けなかったのに」
「陽奈お姉ちゃん、いじわるです……」
飛鳥はまた少し、はにかむように拗ねたように顔を伏せる。陽奈はくすくす笑っていた。
「今日は部活はお休み?」
「今日は朝からでした。とっても暑かったです」
階段をのぼり、翼の部屋の前に着くと、飛鳥は一度自分の部屋に寄ると言って陽奈と別れた。
翼の部屋のドアは半分開けっ放しで、控えめなエアコンの冷気がうっすらと漏れてきている。陽奈は形だけノックして、返事をもらう前にドアを開けて中に入った。
「こんにちは、翼」
翼は床のテーブルの前に座っていて、シャープペンを持って勉強中の姿勢だった。「いらっしゃい。早かったね」と、顔だけ向けて挨拶をするが、すぐに勉強に戻ってしまう。
「二時ってちょっと中途半端だよ。一時半にすればよかった」
陽奈の言葉に翼は軽く笑うが、やはり手は止めない。
「きりがいいとこでやめるから、少し待ってて」
「いいよ。勉強しにきたんだから」
陽奈も座り込むと、バッグから勉強道具を取り出し、テーブルに広げる。事前に一緒にやっていたという飛鳥の宿題や筆記用具も、テーブルの上には広がっていた。
「今日、おそろいだね」
「うん?」
「ポロシャツとジーンズ」
翼はまた顔を上げて、ちらりと陽奈を見て、少しだけ微笑む。
「色違いだけどな」
「うん、飛鳥が喜んでた」
「なんだかなぁ」
陽奈や飛鳥はおそろいだと言うが、正確には配色以外にも、メーカーもデザインも違っている。翼のジーンズはオーソドックスな型のブルージーンズだし、ポロシャツも、基調は青だが襟と袖口の部分は水色で、胸元のボタンも三つついているタイプだ。そのボタンを三つともはずしているため、翼の素肌はけっこう露出していた。
男物と比べると女物の衣服は、肩や胸元を露出しようと思ったら簡単に露出できる服装がやたらと多いから、それを考えると、翼の格好はまだ控えめだと言える。「陽奈が来るから少しだけ服装にも気を遣ったけど、でも暑い」という翼の気持ちが微妙に表れている着こなし方だった。自宅で家族の前だけなら、胸元のあいたもっと薄いノースリーブシャツやキュロットパンツのような格好も、もう結構平気でしたりする翼である。夜寝る時も、暑い日は下着とTシャツ一枚だったりすることも最近は珍しくはない。
「飛鳥は部屋?」
「うん、すぐ来ると思うよ」
翼は勉強の手を止めずに、さらに陽奈と会話のキャッチボールをする。陽奈はくつろいだ姿勢で座って、にこやかに受け答えだ。
話しているうちに翼も一区切りつき、シャープペンを手放す。バスケの練習で忙しい共通の友人のことなどを話題に乗せて、他愛もない会話を交わす。
すぐに飛鳥は戻ってきた。ドアがノックもなしに開いて、そこには少し頬を赤くそめた、笑顔の飛鳥が立っていた。
「……何やってるんだか」
翼は顔を上げ、一拍間を置いて、呆れたように言う。振り向いて飛鳥を見た陽奈は、楽しげに笑った。
「着替えてきたんだね」
「はいっ。わたしもおそろいですっ」
少し恥ずかしそうに、だが明るく、飛鳥は言い放つ。
翼と陽奈の真似をして、飛鳥もポロシャツにジーンズという格好だった。ポロシャツの色は黒で、襟だけ白に近いグレー。ビンテージっぽさを持っている紺色のジーンズは、丈が短いデザインなのかサイズが小さいのか、細い足首が剥き出しになっていた。
「うん、飛鳥も似合ってるよ」
ドアを閉めててけてけやってきて座り込む飛鳥を、陽奈が誉める。翼は少し眉をひそめていた。
「そのシャツ、ちょっと小さすぎない?」
飛鳥はまだ小柄だが、最近成長が著しいだけに、形良く発育を始めているささやかな胸のふくらみが目立つようなシャツのサイズだ。少しきついのか、胸元の三つのボタンははめていない。おまけに、距離が近づくと、白系統の下着がうっすらと透けて見えていた。
「あ、うん。ポロシャツ、前のしかなかったから。……変?」
飛鳥は急に不安げな様子になって、翼を見る。翼は「そんな目で見られたら変とか言えないだろ」と思いつつ、正直に答えた。
「ちゃんと可愛いよ」
翼がそう言うと、とたんに嬉しそうな表情になる飛鳥。そのせいで、翼は「だけど」という続きを言いそこねた。陽奈はそんな翼がわかるようで、一人でくすくす笑っている。
「飛鳥、最近成長してるからね。その服ももうぎりぎりな感じだね」
「はい、ちょっときつかったです。新しいの買いに行かないと」
「今度また一緒に行く?」
「はいっ! 行きたいですっ。姉さんも一緒よね?」
「……いいけどさ」
「あ、でも、翼のおさがりもあるんじゃないかな?」
「あ! あるかもです! わたしもう着れるかも! んと、押し入れ見てきます!」
飛鳥はまた立ち上がると、翼が「飛鳥にまだ渡してないのは、今度は逆に少し大きいんじゃない?」と口にする前に、返事を待たずにパタパタと駆けて行く。陽奈は笑って飛鳥を見送った。
「飛鳥、暑いのに元気だね」
「元気すぎて困ることもあるけどね」
翼の妹は、外ではしっかりしているらしいのだが、姉の前では無邪気に幼く、あまり落ち着きがない。
「あは。しゅんとしてるより、いいでしょ?」
「それはね」
翼も笑って肩をすくめる。
二人、翼の妹をネタにあれこれ言いたい放題言いあっていると、しばらしくして開けっぱなしのドアの外から声が飛んでくる。階段下からのようで、飛鳥は大きく声を張り上げていた。
「ね〜、姉さーん? 中学の時の服、まだだしてないの、どこにあるー? 階段の押し入れじゃないのー?」
相手が弟の飛鳥であれば、「そんなの後でいいだろ。勉強するんじゃなかったのか?」とでも返すところだが、翼は妹の飛鳥には甘かった。やれやれという顔で立ち上がり、陽奈はそんな翼たちを可笑しそうに笑う。
まだまだ夏真っ盛り、暑い一日の平和な一幕であった。
concluded.
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初稿 2005/07/01
更新 2008/02/29