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 キオクノアトサキ

  Taika Yamani. 

番外編 
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  番外編 「浴衣と花火と写真撮影」


 夏休みも終りに近づいた八月下旬の夜、姉の友人宅の庭で、中学二年生の久我山飛鳥が、浴衣を着て、花火を持ってはしゃいでいる。
 飛鳥が着ている浴衣は、姉の翼が今の飛鳥の学年の頃に買った浴衣で、四年前のツバサとそんな今の飛鳥とはとてもよく似ていた。違いと言えば、今の飛鳥の方がまだちょっと小さく、髪も少し短いくらいだろうか。その髪もきれいに結い上げてかんざしで止めてしまえば、大差がなくなる。家族も知り合いも、飛鳥のその姿を見た時、感慨深げな表情をした。
 その頃のツバサと今の翼は、成長という意味だけではなく、少し違う存在だから。
 当の飛鳥は、当時の姉とそっくりと言われて一人で喜んでいた。「前は翼のおさがり、絶対着ないとか言ってたのにね」と翼の友人の蓮見陽奈がからかうようなことを言うと、少し拗ねたように頬を赤らめていたが。
 当時のツバサが選んだ浴衣は、紺色の布地に大きな白い花があしらってあるものだった。帯が明るい水色で少し雰囲気を明るくしているが、全体的に落ち着いた、比較的シンプルな構成と言える。その頃のツバサは、落ち着いた雰囲気の中に中学二年生相当の少女っぽさがまぜこぜになっていたものだが、今の飛鳥が着るとどことなく落ち着きがなく、子供っぽさの方が強く見えてしまうのは、飛鳥をよく知る陽奈たちの偏見なのだろうか。陽奈や翼は可愛いとか似合っていると誉めたが、翼のもう一人の友人の松本文月は、「でもなんかやっぱりまだ子供っぽいね〜」と馬鹿正直に感想を口にして、飛鳥に睨まれていた。
 そんな飛鳥が元気だから、少し湿っぽくなりかけた空気も長続きはしない。
 まだ夏の気配が色濃く残っているこの時期、夜になっても涼しいとは言い難いが、それでも日中よりましで、遊んでいると暑さも忘れてしまう。陽奈と文月も、購入したての浴衣を着て、飛鳥と一緒に明るく花火を楽しんでいた。
 先日、地元の縁日に行った時にも陽奈と文月は浴衣を着ていたが、友人たちのそんな浴衣姿は、翼の目には何度見ても印象的に映る。
 文月の浴衣は白色の布地で、水色や青、黄や緑で大小様々な葉や花があしらってあるものだった。ショートな長さの髪には浴衣と同色の髪飾りを付け、少し明るすぎる桃色の帯との組み合わせが、美しさよりは可愛さを演出している。長身の文月のスタイルの良さは和装ではマイナス要素になりかねないのだが、身体のラインをまろやかに補正しているのか、明るい雰囲気でよく似合っていた。
 陽奈の浴衣は、明るい黄色を基調にしたもので、大味な幾何学模様で色彩が散りばめられている。帯は萌黄色で、全体的に夏よりは秋を感じさせる色合いだ。少し癖のある髪は結うことをせずに背にそのまま流し、明るい黄色の浴衣に長い黒髪が映えている。一歩間違うと地味になりそうな浴衣を、陽奈は落ち着いた雰囲気できれいに着こなしていた。
 そんな三人にせがまれて、この夜、翼も浴衣姿だった。
 さすがに縁日の時はきっぱり拒絶したのだが、その時の罪悪感のせいで、翼は今日は拒絶しきれなかった。
 縁日の日の夕刻、翼の家に集まった陽奈と文月。妹の飛鳥も加わって、嫌だと言うのに浴衣を強要しようとする三人に、翼は本気で苛立ってしまい、激しさのこもった冷たい目で三人を見やって、冷淡な一言と共に席を立った。
 翼がそんな形で我を通すことは珍しかったが、逆に言うと、そこまで強引に押し通そうとした陽奈たちも珍しかった。普段なら翼が本気で怒る前に引いたのだろうが、三人浴衣ではしゃいでいたせいか、勢いが止まらなかったらしい。着ようよと騒ぐ飛鳥に、たかが浴衣なのにとムキになる文月、陽奈もつい場の雰囲気に乗って最後まですすめる側に回ってしまった。
 ここで乱暴に怒鳴りつけたりせずに、最後は冷たく拒絶して自分の意志を押し通すあたりに翼の性格は現れていると言えるが、少し時間を置くと冷静さを取り戻して、「確かにたかが浴衣で何をムキになってるのかな」などと自嘲してしまうのも翼だった。翼の癇に障ったのは、浴衣がどうこうというより翼の気持ちを無視したような三人の態度だったとはいえ、さすがにすぐには無理だが一日も置けば、浴衣は着ないと釘を指して自分から和解しただろう。
 が、ここで先手を取られてごめんなさいを言われたのが致命的だった。
 飛鳥は泣きそうな顔で、陽奈もちょっと落ち込んだような表情で。どうして翼がそこまで拒絶するのか、どこにそこまで拒絶する理由があるのか、それがかわからないらしい文月は少し膨れっ面だったが、それでも翼の気持ちを無視して無理強いしようとしたことは悪いと思っているようで。
 そんな三人に対して、翼の立場は強いのか弱いのか、いったいどちらと言えるのだろうか。
 年初にお風呂に乱入された後のように、あっけらかんと何事もなかったかのように接してこられた方が、翼としてはまだやりやすかっただろう。自分たちから謝ってきたということは、謝らなければいけないようなことをした、という自覚が陽奈たちにもあるということなのだが、三人のその表情に、翼はまるで自分が悪いことをしたかのような罪悪感を抱かされてしまった。もちろん、陽奈たち三人はそれを狙っていたわけではないだろうが、だからかえってたちが悪かった。
 その日その後は、翼一人だけ相変わらずのボーイッシュな格好で、何事もなかったかのようにみなで縁日を楽しみに出かけたが、珍しく翼が露骨なマイナス感情を覗かせたことは、翼も陽奈たちも尾を引いた。
 だから今日また浴衣をと言われた時、翼は我を通せなかった。文月はほとんど諦めていたようだが、陽奈と飛鳥は翼をうかがうような非常におずおずとした態度で。
 翼としては、こんなふうに控えめに接してこられるくらいなら、やはり感情をぶつけてもらった方がまだましである。本気で落ち込まれた態度を見せ付けられると、翼は弱い。
 「今日は身内だけだし、だめかな……?」という陽奈の言葉の後、結局、翼は折れた。たかが浴衣と割り切った部分もあるとはいえ、自分で自分を笑うしかなかった。根が甘いのか変に打算的なのか、「縁日の時で懲りて期待してないだろうから、こんな状態で着るって言えば三人とも喜ぶんだろうな」という思考もあったからなおのことだった。まさか翼が折れると思っていなかった三人は、翼の予想以上に喜んでハイテンションになり、翼はちょっと後悔するはめになったが、後悔もまた人生と開き直るしかなかった。
 お風呂に入って夜ご飯を食べて陽奈の家にやってきて、陽奈たちの手できちっと着付けをされて、今、翼も浴衣を着て、この場にいた。
 そんな翼が着ているのは、陽奈と文月と同じような購入したばかりの浴衣ではない。
 翼が着ているのは、文月のおさがりの浴衣だった。中学二年生の頃、元のツバサと陽奈と文月と、三人で買いに行ったという浴衣。同い年の文月の四年前の浴衣だというのに、サイズが少し大きいくらいで問題なく着ることができた。
 翼は浴衣など着るつもりはなかったから、先日買い物に連れ出された時も、陽奈や文月に意見を述べただけで自分の分は完全に考慮の外だった。買い物の前、陽奈たちは残念がっていたが、すんなりと引いたのは、最初からこれをたくらんでいたらしい。
 当時の文月のチョイスで、淡い桃色の布地に、赤や白や黄色の朝顔や金魚という柄の浴衣である。帯は真紅に近い鮮やかなえんじ色で、雰囲気を華やかにまとめている。全体的に、大人の色気というよりは少女っぽさを強く漂わせる浴衣だが、今の翼が着ると、まだ中学生の飛鳥や当時の文月と比べて、やはりかなり大人っぽい。
 陽奈たちは本当に何がそんなに嬉しいのか、今の翼がそんな格好をするのが新鮮なようで、きれいだとか可愛いだとか喜んでいた。髪が耳にかからないように左右にシックなヘアクリップをつけて、いつもと違う雰囲気を演出しているのも、陽奈たちには好評らしかった。
 「はいはい、キミたちには負けるよ」
 そう軽く流していた翼は、身内に身体を女扱いされること自体には、もうかなり慣れっこになりつつと言える。さすがに、ヘアクリップや色付きのリップスティックまで用意周到に持ち出されて、軽いメイクの構えまで見せられた時はため息をつきたくなったが、自分で浴衣を着る選択をした以上、いちいち他人にどう思われようと、人目がどうであろうと、すべては自分の問題だと認識している翼だった。
 結局なんだかんだで、みなで浴衣を着て花火をするという行為は、翼も楽しいと思える。せっかくの浴衣がちょっと火薬臭くなりそうだが、翼はそんなの気にしないし、陽奈たちもほとんど気にした様子がない。浴衣で着飾っても、四人の中身は何も変わらない。
 身体が女であることや女物の浴衣であること、今の自分に女物の浴衣が似合ってしまうことは、気にし始めれば際限なく落ち込んでいくが、翼は人生を楽しむことの正しさを主観的に知っていた。普通に楽しめる時は、男だとか女だとか拘らずに楽しんでいたかった。



 しばらくみなと一緒に花火を楽しんだ後、翼は少し休憩と断って、友人たちや妹から離れた。楚々としたデザインの丸い下駄を履いたまま、縁側の廊下に座って団扇を片手に取って、のんびりと三人を眺める。
 翼の家の狭い庭に比べると、年季の入った陽奈の家の庭は、ちょっとしたガーデンパーティが開けそうなほど広い。きちんと手入れがなされた花壇にはひまわりが咲き乱れ、洋風の庭に彩りを添えている。そんな庭に、焼けた火薬と蚊取り線香の匂いが微かに漂い、夏の夜独特の雰囲気をかもし出していた。窓際に据え付けられた風鈴が、風に揺られて時折涼やかな音を響かせるのも、ムード作りに一役買っていた。
 翼にとって、夏休みに蓮見家で花火をするのは、小学四年生の頃から毎年恒例のことだった。
 翼の記憶では、女友達の蓮見陽奈の家ではなく、男友達の蓮見武蔵の家。
 小学生の間は久我山家と蓮見家、家族総出で楽しんでいたが、中学に上がってからは松本文也が加わり、子供だちだけで集まるようになった。武蔵の家族がちょっと顔を出す程度で、家族のことを少し邪険にして。中一の時は翼の弟や文也の姉も一緒だったが、文也の姉は年下の男の子たちの集まりに女子が一人というのはちょっと居心地が悪かったようで、彼女の参加は中一の時だけだった。翼の弟も、この時期兄との間に距離が出来つつあり、この年を最後に参加しなくなる。
 高校生になってからは、子供だけで遊びたいならいくらでも機会を作れることに気付いたから、というわけでもないが、また家族にも声をかけるようになった。だが、翼の弟は意地を張って去年も一昨年も参加しなかった。文也の姉は、受験生だったせいか一昨年は不参加だったが、去年は両親とともに参加している。弟が友人たちと楽しそうに騒いでいるのを、両親と一緒に眺めて楽しんでいるような、そんな雰囲気を持っていた文也の姉だ。
 翼としては、文也とは五年間、武蔵とは八年間も繰り返していた恒例の行事。
 だが今は、翼の前には、武蔵も文也も、弟の飛鳥もいない。
 陽奈がいて、文月がいて、妹の飛鳥がいて。
 陽奈たちによれば、翼の記憶と同様に、彼女たちも毎年こうやって集まって花火をしていたらしい。飛鳥がここ四年ずっと不参加だったのも同じようで、そのせいかどうか、この日の飛鳥は特にはしゃいでいる。
 少し子供っぽい飛鳥、自由に楽しみつつ飛鳥にかまいたがる文月、あれやこれやと二人の世話を焼く陽奈。
 先日の縁日では、飛鳥は友達と待ち合わせして現地では別行動だったが、途中で遭遇した時、かなりすました顔をした。なぜかやたらと緊張した様子の飛鳥の友人たちをよそに、文月が飛鳥をからかって、陽奈も面白がって笑い、飛鳥はクールぶろうとしていたが成功していたとは言えず、最後には真っ赤になって文月に食ってかかっていた。からかわれたこともそうだが、友達の前で飛鳥チン呼ばわりされたことも、かなり気に入らなかったらしい。翼が飛鳥を宥めて、陽奈も文月を制して、なんとか穏便に別れたが、飛鳥はその後友達にいろいろ言われたようで、家への帰り道も家に帰ってからも、翼は散々愚痴られた。
 翼としては、そんな三人が一緒にはしゃいでいると、近寄りにくいと感じる時もある。のだが、三人の方が良くも悪くも翼を放っておいてくれない。
 翼が休憩していても、三人ともよく翼の方に視線を向けて、手持ち花火を見せつけるように、空中で字を書いたり振り回したり。翼が笑うと、みなさらに調子に乗ってはしゃいだり。花火が消えると、新しい花火を人の花火に寄せ合って火を移し、賑やかに明るく騒いでいる。
 翼としては、そっとしておいて欲しいと思う時も少なくはないが、三人が気にしてくれていることを嬉しいと感じる自分を自覚してもいた。三人の存在は、時々翼の心を追い詰めるが、同時にやわらげてもくれる。三人が楽しげにしていると、翼の気持ちも勝手にほぐれる。
 「……ほんとに、救われてるんだか、救われてないんだか……」
 そう思うことも多かったが、「やっぱり救われてるのかな」と今は自然に思えた。
 翼にとって、陽奈たちは武蔵たちのかわりと言えるかもしれないが、とっくの昔にもうそれだけの存在ではない。だから切ないが、同じ理由で、ちゃんと自然な笑顔にもなれた。



 「やってるね。翼ちゃんは休憩かい?」
 縁側の廊下に座ってのんびりと楽しんでいると、男性の陽気な声が降ってきた。廊下を歩いてやってきた陽奈の父親、蓮見洋介に、翼は微笑んだまま返事をしようとして、少し眉をひそめた。
 「そんなところです」
 洋介もこの日、浴衣姿だった。十八歳の娘がいるにも関わらず二十代で通用しそうな容姿なだけに、浴衣姿も若々しい。シンプルな藍染めの浴衣で、ウエスト位置よりも低い腰骨のあたりで細い帯をしめているのが、男らしく小粋な印象である。
 ただ、首から下げているフォトカメラの存在が、粋と言い切るには少し浮いているかもしれない。しかも片手にはもう一つビデオカメラを持っていて、彼はさっきから翼にそのカメラを向けていた。
 「ん、ビデオは嫌だったかな?」
 翼の微妙な表情の変化を目敏くとらえ、洋介はさわやかな笑顔で言うが、カメラの向きを変えることはしない。
 「ここでニッコリ笑ってくれたりなんかすると、絵になって嬉しいんだが」
 「…………」
 翼は無言で、表情を消して庭に視線を戻した。どうということのない洋介の発言だが、翼としてはなんとなく気に入らない。洋介にケンカを売るつもりはないから、これでも穏便に対応したつもりだった。
 「はは、ま、そんな顔の翼ちゃんも捨て難いけどね。ホントに、すっかりきれいになったよね。もう子供扱いは出来ないな」
 「お父さん、なに翼をくどいてるの?」
 洋介がさらににこやかに言葉を連ねると、冷え冷えとした陽奈の声。すぐに花火を手に持ったままの文月と飛鳥の声も飛んできた。
 「あ、よーすけさん、それビデオですか? わたしも撮ってください〜」
 「姉さん、もう休憩いいでしょ! 座ってないで花火やろっ!」
 洋介は娘の言葉にも焦った様子はなく、自然に笑ってカメラのターゲットを翼から外した。カメラごと、庭の三人に向き直る。
 「くどいてるつもりなんてないさ。翼ちゃんだけじゃなく、陽奈も文月ちゃんも飛鳥ちゃんも、すっかりきれいになってるよ」
 「お父さんに誉められてもな」
 「あは、やだなぁ、よーすけさん、そんな何度もホントノコトゆわれても!」
 ちょっとそっけない陽奈、笑っている文月。飛鳥もまんざらでもなさそうだが、姉を引っ張り込むことの方に熱心だ。翼は賑やかに急かす妹には微笑みを向けて、団扇を置いて立ち上がった。カメラマンに注文をつけてポーズをとる文月を余所に、飛鳥から花火を受け取り、二人で花火に火をつける。
 陽奈は消えた手持ち花火をバケツに放って、カメラを構えて笑っている父親に話を振った。
 「お母さんたちは?」
 「ん? ああ、まだ話し中だよ。スイカを切ってくるってさ」
 この日は子供たちだけではなく、その母親たちも蓮見家にやってきている。翼たちは去年通り家族全員を誘ったのだが、翼の父親は夏休みを取った影響か残業続きで、レストランの経営者兼コック長の文月の父親も、タイミングが悪かったらしく欠席だった。文月の兄も、バイトを理由に招待を断っている。
 三人とも本当に忙しかったのかもしれないが、娘や妹を通した付き合いを、嫌ってはいないが苦手にしている節があるから、仕事を言い訳にしただけなのかもしれない。一方母親たちは比較的仲がよく、陽奈の祖母を含めて四人で、娘たちそっちのけで居間の方で談笑を楽しんでいる。
 「洋介さんは逃げてきたわけですね」
 さりげなくさらりと意地の悪いことを言う翼に、洋介は怯むでもなく、からからと笑った。
 「まあね。女連中の話には付き合ってられないからね」
 「わたしたちも女ですよ〜?」
 花火を振り回しながら笑う文月。飛鳥も笑顔だが、注意はそれていて、片手に火のついた花火を持ったまま、もう一方の手で大量に用意してある花火を物色するという、微妙なことをやっていた。
 「いやいや、お嬢様方とおばさん連中を一緒にするわけにはいかないさ」
 「お父さん、後でお母さんもビデオ見るのに、いいの、そんなこと言って」
 飛鳥の傍にかがみこんで一緒に花火を選びつつ、父親に軽い警告を告げる陽奈。洋介は「げ」などと慌てた様子を見せたが、冗談半分だった。「奥様方には内緒に頼むよ」などと笑っていた。
 適当に花火を手に取った陽奈は、翼に近づき、翼の花火から火を貰う。新たに二本の花火を確保した飛鳥は、まだ残っていた自分の花火でその二本に火をつけて、笑って両手に持って振り回していた。
 入れ替わりに文月が花火を物色して、「そろそろ派手なの行くよ〜っ」と噴水花火を持ち出す。なにやら凄そうな商品名を読み上げて、少し離れたところで地面に置く。
 多少ご近所迷惑になりそうなくらい、騒いでいる文月だ。
 だが飛鳥も負けていないし、陽奈も、そしてこの日は翼も、よく声を出して笑っていた。ご近所さんには悪いが、遠慮はしていない面々だった。洋介はカメラマンに徹することにしたのかあまり口を挟まずに、多彩な色の花火に照らされている浴衣姿の娘たちを見て、華やかだねぇ、とニコリとしていた。
 自分の若い頃を思い出して懐かしんだりもするが、彼も彼で今を楽しんでいた。
 「子供の頃もよかったが、大人になった今も今で、子供の頃に負けてはいない」
 洋介はそんなふうに思うから、子供たちに対しても同じことを願う。
 どんなに辛いことや苦しいこと、悲しいことや嫌なことがあっても、願わくば、幸福な記憶と、幸福な今と、そして幸福な未来とを子供たちに。



 楽しい時間はあっという間に流れる。
 しばらくして母親たちが食べやすいサイズに切ったスイカを持ってきて、場がまた少し違った形に賑やかになる。
 母親たちが花火に参加し、入れ替わりに娘たちは廊下に横座り気味に腰を下ろして、スイカに手を伸ばす。
 洋介は彼の母親にビデオカメラを譲り、かわりにフォトカメラを構えて、花火を楽しむ妻たちや、スイカを食べる娘たちの写真を撮っていた。蓮見奈子という名前の、古風に表現するとなかなかハイカラな性格のおばあちゃんは、最新式のビデオカメラを器用に操って、男の洋介では撮れないような孫たちの表情を記録に残す。
 翼は今の状況でのビデオや写真撮影自体、あまり好きではないのだが、些細な問題だと自分に言い聞かせて流れに身を任せる。飛鳥はスイカにかぶりつく寸前にカメラを向けた洋介とばっちり目が合ったりして顔を赤くして、傍にいた陽奈の母親――飛鳥にとっては、陽奈の母親である前に幼稚園の時の蓮見初瀬先生――にからかわれたりしていた。
 そんなふうに賑やかに、浴衣を汚さないように注意しつつもスイカを食べると、文月が真っ先に花火に戻る。すぐに文月は翼を呼び、後半用にとってあった打ち上げ花火を用意して、母親たちに予告してから、火をつける。
 ひゅ〜という音とともに光の玉が空に飛び出し、ばーんと弾けて、あたりを光が照らす。
 「た〜まや〜!」と、騒ぐ飛鳥。
 文月も「か〜ぎや〜!」と、笑って飛鳥に続く。
 みな、空に咲く花を見上げて、夏の夜に浸る。
 「なんで玉屋とか鍵屋って言うのかな?」と、飛鳥が素朴な疑問を口にしたのには、「昔の江戸の花火屋さんの名前みたいだよ」と、陽奈がウンチクを披露していた。
 一発目の次は続けて二発目も点火し、三発目へ。
 四発目は、飛鳥がわたしもやりたいと主張したから、文月は点火役を交代した。翼は飛鳥の後ろから、文月や陽奈と一緒に、他愛もない冗談を言い合いながら飛鳥を見守る。
 洋介と奈子おばあちゃんは、そんな娘たちの姿も、しっかりとカメラに収めていた。
 打ち上げ花火の後は、洋介の催促で、後で楽しむためのちゃんとした写真撮影だ。浴衣姿の娘たち四人の写真や、親たちが混じっての写真を、カメラマンを交代しつつ、何枚も撮る。
 飛鳥は母と姉と三人での写真を撮影してもらう時、「お父さんもいればよかったのにね」とちょっと残念そうな顔をし、文月も「にーさんもバイトなんて休めばいいのに」と、予定が決まった時から何度も愚痴っていたことをまた繰り返して不満げな顔をした。
 そんな文月をやんわりと宥めたのは松本家のお母さんで、飛鳥に対して笑って去年の実績を持ち出したのは久我山家のお母さんだ。
 「ま、どうせいたってお酒飲んでるだけでしょ」
 久我山家のお父さんも松本家のお父さんも、特に酒飲みと言うわけではないが、下手に子供たちに混じるのは邪魔になるだけだと考えていたらしい。洋介や奥様方も御相伴に預かったが、去年は後ろで、ちびちびと日本酒など口にしていた二人である。
 「ほら、ふっちゃん、わがまま言わないで、お兄ちゃんには今度埋め合わせしてもらうんでしょう?」
 「そうだけどぉ」
 文月は兄のことを引きずって、携帯電話で写真をとってもらって送ったりしていたが、みなが笑顔でいるこの場では、暗い気持ちも長続きはしない。撮影後は、また手持ち花火をしながら、残った噴出花火や打ち上げ花火にも火をつけて、賑やかに楽しむ。
 最後は線香花火で少ししんみりするうちに、花火がなくなった。
 「あーあ、もう終りか〜」
 「文月さんは一人でやりすぎなんです」
 「飛鳥チンだって、いっぺんにつけたりしてたじゃんっ」
 すぐに、文月と飛鳥とが騒ぎ出す。花火の余韻を、良くも悪くも引きずらない二人に、陽奈は立ち上がりながら少し微笑んだが、ちょっと感傷的な声を出した。
 「終わっちゃったね……」
 「うん」
 翼もそっと微笑み、立ち上がった。
 「面倒だけど、後片付けしないとね」
 「……来年は、わたしたち、どうなってるのかな?」
 「……どう、なのかな」
 一年前と比べると、翼は違いすぎる。飛鳥も、去年までは一緒に海に行ったりしなかったし、この集まりにも参加しなかった。
 それほど極端な変化がなくとも、まだ中学二年生の飛鳥はともかく、来年になれば高校を卒業している翼たちは、一年後の環境は少なからず変わっているだろう。
 「……来年も、またみんなで集まって、花火したいよね」
 高校最後の夏も終りが近づいているせいか、どこか切なげな陽奈。翼は去年までを思い起こして胸に痛みを覚えつつ、そうだねと、優しく微笑み返す。
 「なーに二人してしんみりしてんの!」
 急に、騒いでいた文月が後ろから二人の首に抱きついてきた。
 「わっ」
 「きゃっ」
 意図しているのかいないのか、翼と陽奈との感傷を吹き飛ばすかのように、文月は二人の首にぎゅっと腕を回す。
 「来年も再来年も、ずーっと、みんながその気になれば花火くらいいつだってできるよっ!」
 「ですですっ!」
 飛鳥も駆けてきて、横から笑顔で姉の身体に抱きつく。
 「姉さんたち一緒の大学なんだし、いつでもやれるわ。文月さんはダメかもですけどねっ」
 「そのくらい簡単に時間作るよーだ。来年、一番忙しいのは飛鳥チンだよね、きっと。ジュケンセーだし〜」
 「文月さんと一緒にしないで下さいっ。わたしは文月さんとは違うんです」
 「そりゃ違うよ。わたしは飛鳥チンほどガキンチョじゃないし」
 「自分を子供じゃないって言う人ほど子供だって、よく言いますよねっ」
 またあーだこーだ騒ぎ出す二人だった。文月は翼と陽奈から手を離して、「飛鳥チンがそれを言うかっ」などと笑って、飛鳥に襲いかかる。
 「ヤぁっ! やめてくださいっ!」
 飛鳥は翼の反対側から文月に首に腕を回されて、それを嫌がるように暴れて、翼にいっそう強くしがみついた。翼は身体を押された形になって、肩が腕が、陽奈の肩に腕に押し付けられる。
 「姉さん、笑ってないで、文月さんをなんとかしてよぉ! 陽奈さんもぉ!」
 陽奈の身体を感じた翼も、翼を支えた陽奈も、文月と飛鳥のやりとりに、いつのまにか笑い出していた。
 過ぎ去った時間、過ぎ去って行く時間を想って、感傷的になるのも無意味ではない。だが、楽しい時にまで感傷を持ち込むこともない。より大切なのは、今過ごしている時間と、これから過ごしていく時間。
 絶対に不可能なことも存在するが、簡単に実現することだって存在する。本人次第でどうにかなることも少なくはない。
 本人にその気があるなら。自分で望むのなら。
 望みが叶うように、自分で決めて、自分で動く。
 ごくごく、あたりまえのこと。
 「文月、そのくらいにしなさい?」
 陽奈は笑いながら、そっと、一緒になって笑っている翼の腕をつかむ。
 「二人とも、じゃれてないでさっさと片付けるよ」
 「えー、いいじゃん、そんなの明日でさぁ。ネー、飛鳥チンっ」
 「何がネーなんですかっ。もうっ、離れてくださいーっ!」
 飛鳥は翼に抱きついたままだから、飛鳥が暴れると翼にまで被害が及ぶ。また陽奈の方にちょっと押されながら、翼は頬を緩ませたまま、飛鳥の腰を片手で抱き寄せた。
 「ほら文月、ほどほどにしときなって」
 飛鳥は「もっと言ってやって!」と言わんばかりに翼に抱きつく腕に力を入れ、文月はふざけてぶーたれる。が、陽奈が笑いつつも改めて後片付けを促すと、騒ぎながらも従った。
 親たちも後片付けを始めつつ、そんな子供たちを笑いながら見ていた。
 花火は終わってしまったが、この後も子供たちは陽奈の部屋に泊まりこむ予定だから、遊びの時間はまだ終わらない。浴衣を着替えて、火薬の匂いが気になるならお風呂にも入りなおして、また遅くまで騒ぐことになるのだろう。
 この日も賑やかな長い夜になりそうだった。








 concluded. 

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初稿 2005/07/01
更新 2008/02/29