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 キオクノアトサキ

  Taika Yamani. 

番外編 
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  幕間 「ゲーム」


 雨が降りしきる六月の日曜日の午後、友人の家のリビングで、翼は友人のお父さんと向かい合っていた。
 相手の名前は蓮見洋介。十八歳の娘がいると思えないほど若く見える、まだ二十代で通用する容姿を持つ男性。大学生の時に、実家の幼稚園で働いていた数歳年上の保母さんとできちゃった結婚しただけあって、実年齢もまだ四十前と若い。
 洋介は彼の父親が四十過ぎ、母親が三十代の時に生まれた一人息子なだけに、おぼっちゃま然とした物腰を持っているが、さすがに今では私立幼稚園の理事長でもあるし、対外的には毅然とした男性だった。が、洋介が働いている姿をあまり知らない翼としては、毅然とした洋介というのはあまりぴんとこない。翼たちの前では「友人のお父さん」や「おじさん」というよりは、「お兄さん」という雰囲気を漂わせていた。
 「チェック」
 「う、そ、そうきたか」
 翼の言葉に、洋介は微かに怯んだ声を出す。
 今、翼と洋介の間には、少し古びているが小洒落たチェステーブルが置かれていた。黒色白色をした王様や兵士たちが、六十四マスの戦場で戦いを繰り広げている。
 勝負は終盤だった。
 翼はチェスの駒の意味を知った時、「王妃様が最強のゲームなのはある意味すごいな」とありがちな感想を抱いたものだが、それを証明するかのように、翼の黒のクイーンが、洋介の白のキングを追い詰めていた。かなり悩んだ挙句、洋介も洋介で、王妃様を盾にして王様を守る。その手を予測していた翼は、クイーン同士を取り合える状態を無視して、ビショップを動かしてボーンを頂き、別の角度から洋介のキングを狙った。
 「チェック」
 「…………」
 洋介は今度は声一つ上げなかったが、一瞬フリーズしていた。数秒後に動き出したが、腕組みをし、盤上を睨むように黙って考え込む。
 そんな無駄な足掻きをする洋介を余所に、チェックメイトまでを読みきった翼は肩の力を抜いた。かなりの接戦だったが、どう逃げられてももう翼の勝ちは動かない。翼はさっきから集中力を妨げてくれている、斜め前方の二人を見やった。
 前方では、翼と洋介の地味な戦いと違って、派手な戦闘が繰り広げられていた。
 明るい音楽と大げさな効果音、アニメチックな映像と過剰な色彩。
 蓮見家の一人娘である陽奈と、翼と一緒に蓮見家に遊びにきている友人の松本文月とが、床に座り込んでテレビゲームに興じていた。最近発売されて文月が買ったという対戦格闘ゲームで、二人テレビの前でそれぞれアニメ調のキャラクターを操作して、賑やかに騒いでいる。文月は指先だけの器用な動きでコントローラーを操っていたが、陽奈はキャラの動きに合わせて、時々身体や腕も一緒に動いていた。
 「ほっほっほ〜。陽奈チン、まだまだシュギョーが足りないぞよ〜」
 勝負の方は一進一退……とは行かず、陽奈の方が押されぎみだった。ぎりぎりな勝負も多いが、自宅で鍛えている文月が、大半は上手く押し切って勝ち星を増やしていく。それが余計に悔しいのだろう、この日メガネをかけている陽奈の表情は、かなり本気モードになっていた。
 「……文月、もう一回」
 「あ、わたし、ちょっとキャラチェン〜」
 文月は楽しそうに何度かキャンセルボタンを押して、キャラクター選択画面に戻した。陽奈は黙って、文月がキャラを選択するのを待つ。
 陽奈は唇をとがらせるように引き締めて、メガネ越しの瞳を冷ややかと言えるほど鋭くしている。ムキになっていることを隠さない素の表情で、幼くも見えるが、同い年の翼には妙に艶っぽくも見えた。なんとなく、意識してしまう陽奈の表情だった。
 その理由は、徐々に暑くなる季節のため、服装が薄着になってきているせいもあるかもしれない。この日の陽奈は、デニムのスリムパンツに、アニメ調のゲームキャラがプリントされた軽い感じのTシャツいう格好だった。微かに波打つ長い髪も前と後ろに半々に流れて、シャツとの間にきれいなコントラストを描いている。妹の飛鳥が同じ格好をすれば、翼は兄馬鹿的な偏見でひたすら子供だと思うのだろうが、陽奈のその姿は翼の目には少し毒だった。
 サイズがぴったりなのかゆとりが少ないようで、胸の部分はしっかりとシャツを押し上げて、背中からくびれたウエストへのラインもくっきりと浮き出ている。シャツの色彩が明るいため健康的な印象だが、陽奈の身体は、彼女が年頃の女の子であることを強く主張していた。
 翼の記憶の中の男友達の武蔵も、同じような状況でよく似たような態度をしていたが、明らかに違う存在。
 「ん? 翼? 何?」
 じっと見る翼に気付いたのか、陽奈が翼にまできつい視線を向けてくる。翼は内心ちょっと慌てたが、翼が口を開くより早く文月が反応した。
 「あ、こっちしたい? 終わったらかわろっか?」
 「いや、いいよ。負けるの目に見えてるし」
 「文月、勝ち逃げはダメだよ」
 「陽奈もつばさなら勝てるっしょ。つばさ相手に練習すれば?」
 「いいから、ほら、早く決めて」
 「もっと強くなってくんないとつまんないよー」
 そう言いつつも、文月は陽奈の言葉に従ってキャラクターとバトルフィールドを決定した。陽奈の視線がますますきつくなるが、文月は楽しげに笑って戦闘体制だ。
 「……翼ちゃん、もう一回だ」
 腕組みをして唸りながら盤上を睨んでいた洋介が、負けを認めたのか、ようやく顔を上げた。
 今回は自分がどうやってももう勝てないことを認めたようだが、降伏もせずに再戦の要求だった。彼も彼で、ぎりぎり勝てそうなことも多いだけに、悔しいらしい。
 「いいですけど、少し休憩しません?」
 「勝ち逃げはずるいよ、翼ちゃん」
 洋介は娘とかなり似ている視線で翼を見やって、娘と同じようなことを言う。翼はいつものことながら、ちょっと笑ってしまった。
 翼の男としての記憶では、洋介は妻には言えないような際どい話を息子やその友人に聞かせてくれるような男性だった。息子の友人である翼にも男の付き合いを強要してくるようなところがあり、翼は彼が嫌いではなかったが、そのなれなれしさは少しうんざりすることがあった。
 なのに、今となっては、彼は露骨に翼を女の子扱いして、極端になれなれしくはしてこない――逆に彼の妻で陽奈の母親、蓮見初瀬のなれなれしさは五割増くらいになっている気がするが――。今の翼は、洋介にとっては娘の女友達であり、お年頃の女の子という立場なのだから、洋介の態度も当然なのかもしれない。男同士の場合とは、やはり違ってしまっていた。
 が、その現実は翼にとって軽くはないが、こうやって遊んでいる時の洋介は、翼が知る洋介だ。「仕事は余力を持って、遊びは全力で」とか「真剣になるなら仕事よりも遊びの方がいいな」などと、子供の前で放言するような部分は何も違っていない。
 これが何回も繰り返されるとさすがにうんざりするが、二、三回までなら翼も楽しめる。
 「ほら、早く並べて。次は負けないよ」
 「たまには陽奈に鍛えてもらったらどうです?」
 「陽奈はなぁ。子供にハンデ付きで勝つ情けなさといったらないよ?」
 洋介は駒を並べなおしながら、「負けると目も当てられないし、最近は付き合ってもくれないし」と、愚痴めいたことを付け加える。翼も駒を並べながら、笑って受け答えだ。
 「子供の友達にハンデなしで負けるのも、似たようなものだと思いますけどね」
 翼が男だった時からお互いに何度も勝負しているのだが、最近全然実力が上がっていないのは、普段練習をしていないせいなのか、それとも才能の限界なのか。上達しないにも関わらずに飽きないのは、実力が伯仲していて、かつごくたまにしか勝負をしないからかもしれない。
 「だから次は負けない」
 洋介の顔立ちは陽奈や武蔵と露骨には似ていないが、それでもどこか翼の知る武蔵と同じ雰囲気で、陽奈とも似た雰囲気で、洋介は勝負に燃える瞳を翼に向ける。そんな洋介の斜め後方では、彼の娘もムキになったようにコントローラーを操作していた。
 陽奈は自分の両親を子供っぽいと言うが、翼に言わせれば、こんな時の陽奈はまさにその両親の子供だった。
 翼は軽く笑って、真剣に遊ぼうとする洋介に付き合う形で、遊びを真剣に楽しんだ。








 concluded. 

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初稿 2005/04/02
更新 2014/09/15