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 キオクノアトサキ

  Taika Yamani. 

番外編 
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  ショート番外編 「膝枕」


 友人たちと妹と、四人でやってきた春の自然公園。
 近くに桜の木が存在しないため特有の華やかさには欠けるが、新緑の草花が春の瑞々しさをまっすぐに表現している。散策用の遊歩道を少し離れた場所にあるその緑の広場は、賑やかに遊ぶ親子連れや、お弁当を広げる人たちで賑わっていた。
 そんな広場でお弁当を食べた後、翼は両足を投げ出すようにして草の絨毯に直に座って、なぜか太ももの上に文月の頭を乗せていた。
 もしも翼が男の翼で、文月も男である文也なら、こんな状況にはなっていなかっただろう。
 「翼〜、膝枕してくれ〜」
 「誰が男相手にするかよ」
 という、二言の会話で終わったかもしれない。
 もしも翼が男の翼で、文月が女である文月のままでも、状況はもう少し違っていたはずだ。
 「翼〜、膝枕して〜」
 「男相手にそういう台詞をぽんぽん言うなよ」
 翼は嫌ではないくせに、そんなふうに強がった発言をしたかもしれない。その手の翼の発言は、自分たちの性差を強調する発言で、文月も翼を異性として意識させられただろう。翼の性格を考えると、とっくの昔に、性別を気にしない関係ではいられなかった可能性も高い。陽奈か武蔵も絡んで、一歩間違うと、三角関係っぽくなっていたかもしれない。
 もしも翼が今の状態で、文月が男である文也だとしても、状況はまた複雑だっただろう。
 正直、その時の自分たちの関係がどうなっていたのか、翼は上手く想像することができない。文也たちにまた会うことができればとても嬉しいが、女の身体と立場で会いたいかと問われれば、難しい気持ちになる。
 今は翼は女で、文月たちも女で。
 「つばさ〜、膝枕して〜」
 だから昼食後、文月がそう要求してきた時、翼の反応は男だった場合とはやはり違っていた。
 「また何言い出すかな。いい年して恥ずかしいとか思わないのか?」
 あきれたように、翼は文月を見やる。翼が女として生まれ育った元のツバサであれば、「どうして女相手にそんなことしないといけないのよ」とでも拒絶したかもしれない。が、今の翼も「こいつは恥ずかしげもなく」とか「相変わらずガキだな」と思わされるが、そんな陽気な文月には救われる部分も多いし、行為自体は嫌ではなかった。
 文月はそれを察したのかどうか、「つばさ相手なら別に恥ずかしくないも〜ん」と笑うと、強引に寝転がって、両足を伸ばしていた翼の左太ももの上に頭を乗せる。
 「あー! 文月さん、ずるい!」
 「二人とも、まだ片付け終わってないのに」
 お弁当の後片付けをしていた飛鳥と陽奈が騒ぐが、文月は「へっへーんだ」というふうに、気持ちよさそうに威張る。
 翼を含めて、もういつも通りと言える四人の態度。こんなやりとりも平和に思えて、翼は本気で抵抗はせずに文月を受け入れて、素直に時を楽しむ。
 そのまま腕で上体を支えつつ、翼も身体を後ろに倒して寝転がった。
 「うぎゅ、つばさ、暴れないでよ〜」
 暴れているのはいったいどちらなのか、文月が笑って騒ぐ。翼は表情を苦笑の形にしただけで答えずに、両手を斜めに広げて、空を見上げる。
 少し雲が多いが、澄み切ったきれいな空だった。
 雲の白と、空の青、まぶしすぎる太陽の光。
 草の絨毯の柔らかさと、自然の匂いを一杯に含んだ新鮮な空気が、翼たちを優しく包み込む。
 今この瞬間も世界のどこかでは争い事が絶えないことを考えれば、とてつもなく平和な場所と、平和な時間。
 翼はそんな現実をしっかりと知っていたが、この時は微塵も思い浮かべたりはしなかった。平和を満喫することに罪悪感を覚えるほど、翼は人間ができていない。楽しみたい時は余計なことを考えずに、素直に楽しむ。翼が心から望むことであり、ごく当たり前であってほしいこと。
 なにやら騒いでいる文月たち三人の声が賑やかで、「……これでもう少しまわりが静かならな」と思わなくもないが、勝手に微笑が浮かんでしまっているから、翼のその思いも本気ではなかった。今の翼は、静か過ぎると余計なことを考え込んでしまうから、多少まわりが賑やかなのも、やはりどこか救われていた。
 そうこうするうちに足元に飛鳥がやってきて、文月とさらにやいのやいの騒ぐ。かと思うと、翼のもう一方の太ももに重みが加わった。
 「えへへ〜」
 なにやら嬉しそうな飛鳥の声。
 「にゅ? 飛鳥チン?」
 「なんですか?」
 状況がよくわからないような文月の声と、どこかわざとらしく、つーんとした、だが楽しげな飛鳥の声。文月は頭を一度翼の太ももから持ち上げて、自分の頭上を確認する。それから文月も笑い出した。
 「あは、コレ、いい枕でしょ〜?」
 「文月さんにはもったいないですけどねっ」
 飛鳥まで翼の太ももの上に頭を乗せていた。文月とは頭をつつき合わせて、互い違いに正反対の位置だ。
 「…………」
 文月と同じようなタイミングで頭だけ起して状況を確認した翼は、騒ぎまくる二人にため息をついて、また横になって空を見上げる。正直少し痛重いのだが、コレ呼ばわりまでされて、もう勝手にやってくれという感じだった。そんな二人も楽しいと思ってしまう時点で、翼は最初から負けていた。
 「ずるいね、二人とも」
 後片付けを終えたらしい陽奈が、笑いながら、翼の頭の横に腰をおろす。
 「陽奈もやる〜?」
 「もう場所ないよ。文月が譲ってくれる?」
 「やだよーんだ。飛鳥チンに言いなよ〜」
 「え、あ、え、でも、わたし……」
 「あは、いいよ。横になると眠くなっちゃいそうだし」
 「わたし、もう眠くなってきちったよ」
 「わたしも、ちょっと眠いかもです」
 「翼も眠い?」
 「……そーだな。飛鳥に叩き起こされたしな」
 「そ、それは姉さんがお寝坊さんだからだもん」
 「……そーいうことにしとくよ」
 飛鳥は昨夜遅くまで眠れなかったようなのに、朝も無駄に早起きしていた。一緒にお弁当を作る約束をしていたとはいえ、目覚ましが鳴るより早く翼を起こしにきたのは、どう考えても飛鳥が待ちきれなかった以外のなにものでもない。
 「う〜」
 翼の太ももの上で、飛鳥が身体ごと頭を横向きにして暴れる。文月も一緒になって暴れた。
 「あは、やっぱり飛鳥チンだねー」
 「どういう意味ですかっ」
 「サーネー、ドーユーいみナンダローネー」
 わざとらしい言い方で、文月がふざける。飛鳥はぶすっと膨れっ面をしたが、文月の相手をしないことにしたのか、笑っている陽奈に水を向けた。
 「陽奈さんは、眠気、平気なんですか?」
 「ん、わたしはそんなでもないかな。でもみんなでお昼寝もいいかもね。ちょっともったいないけど」
 「こんなぽかぽかしてるんだし、昼寝しない方がもったいないよ〜?」
 「あは、そうだね。今日くらいは、のんびりしてもいいね」
 陽奈は座ったまま、寝転がっている三人を笑って眺め、翼のまわりで明るい声が飛び交う。たまに翼も口を挟みつつ、ゆったりと時を過ごす。
 遠くから聞こえてくる鳥の鳴き声や、子供のはしゃいだ声が、穏やかさに拍車をかける。
 そのうち飛鳥が本当にうとうとしだし、文月も口数が減って、「空が高いねー」などと翼と一緒に空を見上げる。陽奈も「うん、高いね」と、そっと呟く。
 柔らかく優しく、流れる時間。
 春の陽気に誘われて、翼もいつのまにか寝入ってしまった。



 ……昼下がり、おやつ時も近づいてきた頃。
 春休みあけには高校三年生になる背の高い少女と、同じく中学二年生になる背の低い少女が、騒ぎながらシャボン玉を飛ばして遊んでいた。二人で、シャボン玉の大きさや持続時間、飛んでいく高さを競っている。
 背の高い少女からしてみれば、背の低い少女はおしゃまな妹分といった感じなのか、陽気に笑ってふざけている。背が低い少女は、背の高い少女に時折冷たい言葉を投げるが、その表情は言葉とは裏腹に思いっきり緩んでいた。
 もっと二人が大人になっていたら、「童心にかえって」と言えそうだが、かえらなくとも充分まだまだ似合うお年頃だった。華やかな明るさに満ちている。
 そんな二人の賑やさが、翼に覚醒を促す。
 横になったまま目を開いた翼は、数秒、寝起きで頭が働かなかった。
 陽奈の上半身が影を作って、翼の身体に落ちている。
 頭の下が、やけに心地よかった。
 とても柔らかく、弾力があって温かい物体。
 「あ、起きた……?」
 シャボン玉で遊ぶ少女たちをにこやかに眺めていた陽奈が、目を覚ました翼に気付いた。
 翼の髪を撫でながら、真上から翼を見つめて、にっこりと微笑む。
 逆光に輝く、陽奈の笑顔。
 ここでそのまま横になっていられたら、翼の神経はかなり強靭になったと言えたかもしれない。
 陽奈の膝枕で、眠っていた翼。
 「…………」
 飛び起きこそしなかったものの、一瞬身を強張らせた翼は、しっかりと上体を起こした。陽奈に背を向ける形で、体育座りに近い体勢になって、数秒、自分の膝に額を預ける。
 ……どうしようもない感情に苛まれながら、男のままだったらと、翼は強く思う。
 男のままだったら、素直に微笑み返せたのに。
 心に余裕がないことを、こういう時に思い知らされる。
 「おはよう、翼」
 陽奈が後ろから、ちょっと名残惜しそうに、だが笑いながら言う。陽奈の手が翼の背中に触れて、翼はびくっと身体を揺らした。
 「草、ついてるよ」
 陽奈の手を避けようとした翼は、その言葉に辛うじて行動を自制した。陽奈は両膝を地面につけて半立ちになり、そっと、翼の背中の汚れを払う。
 「よく眠ってたね。文月も飛鳥も、もう起きてるよ」
 「……なんで、陽奈が?」
 「ん、気持ちよくなかった?」
 「…………」
 顔をうつぶせたまま答えない翼に、陽奈は笑って、今度はその髪に手を伸ばす。
 「髪も、少し乱れちゃってる」
 「…………」
 今の翼の髪は、両方の耳をおおい、うなじを隠す長さできれいに切りそろえられている。顔を伏せている翼を後ろから見ると、白く繊細な首筋がすっきりと露出していた。
 陽奈は優しく、そのストレートの細い髪を撫でる。翼は陽奈に気付かれないようにため息を一つつくと、無言でゆっくりと上体を起した。わざとらしくあぐらをかくように姿勢を崩し、少し身をすくめて、なすがまま陽奈に髪を撫でられる。
 「あ、姉さん、起きた?」
 「お、つばさもやる〜?」
 身体を起こしている翼に、シャボン玉で遊んでいた二人、文月と飛鳥も気付いた。明るく駆けてくる二人を見て、髪型は落ち着いたのかどうなのか、陽奈は笑って翼から手を離す。翼は軽く頭を振って顔を上げると、片手で髪をかきあげた。
 「……まだ眠い。勝手に遊んでなよ」
 「いーからいーから、ほれ、つばさ!」
 文月は翼にシャボン玉セットを押し付けてくる。
 「今度は姉さんと競争よ! どっちが大きいの作れるか!」
 飛鳥も文月もさっきまで寝ていたせいか、元気が有り余っているらしい。シャボン玉セットを押し付けられてしまった翼は、「まったく寝起きの人間に何をさせるかな……」と小さく呟いたが、その表情は、どこか気が抜けたようにやわらいでいた。
 飛鳥や文月が絡むと、いつもすぐに賑やかになってしまう。翼は一緒になってはしゃぐような性格ではないが、二人のその賑やかさは、やはり嫌いではなかった。
 「あーあ、どうせなら四セット持ってくればいいのに、つばさも気が利かないよねー」
 「ほんと、そうだよね。自分たちの分だけ、ずるいよね」
 文月は翼の横に足を投げ出して座り込み、翼を挟んで陽奈とあーだこーだ言う。飛鳥も笑って、翼を急かしてくる。翼は「はいはい」と適当に返事をしながら、文月から受け取った棒状の吹き器具を、シャボン玉液が入った容器に少しだけ浸した。
 座ったまま口にくわえこみ、上向きにそっと息を吹き込むと、ゆっくりとシャボン玉ができて、大きくなる。
 飛鳥も立ったまま同じ動作だ。陽奈と文月は、楽しそうに二人の顔を眺めている。
 「あっ」
 息を吹き込みすぎたのか、飛鳥のシャボン玉が、飛び立つ前に、パンとはじけて割れた。
 「あは、飛鳥チン連敗〜」
 文月の明るい言葉に、翼も唇を微かに笑みの形にすると、優しく最後の一吹きをした。シャボンの薄く広がった膜が流れ動くように揺らぎ、大きく育ったシャボン玉がふわりと空へと飛びたった。
 呼気の熱と、含まれる水蒸気のせいで、ふわふわと上昇していくシャボン玉。
 飛鳥は少し悔しそうに、だが瞳は笑ってシャボン玉の行方を追い、上を向いてまたシャボン玉を作る。今度は無理に大きくしようとせず、ふぅっと一息にたくさんのシャボン玉を吹いた。
 飛鳥の作った小さな無数のシャボン玉と、翼の作った大きなシャボン玉が、入り乱れて空を舞う。
 ……飛ばしたばかりのそれを、自分の手で壊してしまいたい。
 翼はそっと微笑んで、だが不意の衝動を実行には移さずに、飛鳥の真似をした。吹き器具をシャボン玉液に浸すと、一息にたくさんのシャボン玉を吹いた。
 陽気な飛鳥に、横で見上げて楽しげな声を出す陽奈と文月。
 春の光に照らされて、シャボン玉は七色に輝いていた。








 concluded. 

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初稿 2005/02/22
更新 2008/02/29