キオクノアトサキ
Taika Yamani.
ショート番外編 「お料理教室」
「じゃあ始めるよ〜、第一回、文月先生のお料理教室〜。どんどんぱふぱふ〜」
「…………」
「……ふぅ」
「……えっと」
飛鳥の冷ややかな視線、翼のやれやれというため息、陽奈の苦笑い。
「な、なによぉ〜? そのやる気のない反応は〜?」
「やる気はあるんだけどな」
「うん、あるんだけどね」
「わたしはたった今なくなりました」
翼と陽奈は冗談半分の顔だが、飛鳥はなぜ文月が先生なのか、本気で理不尽に思っている表情だ。かなり癪ながらも文月を認めている部分は少なくないが、姉や陽奈まで文月に教えを請うという状況は、ちょっと受け入れ難いらしい。
「飛鳥チン、減点一!」
「……姉さん、文月さんなんかほっておいて、三人でやりましょう?」
「一応、見捨てるのは教わってみてからでも遅くないと思うよ」
「文月はバスケと料理だけは自慢できるからね」
翼と陽奈はわざとふざけてそんなことを言い、文月は「む! ダケってなによぉ!」と膨れて、両腕を陽奈と翼の首に回す。陽奈はくすぐったそうに身をすくめ、翼はゆっくりと振り払う。「ダメな所が多くても、取り得がちゃんとあれば問題ないよね」という陽奈の発言は、フォローになっているのかどうか微妙だった。
そんなやりとりの後、気を取り直して、文月先生のお料理教室が始まる。
最近長くしている髪をバレッタで束ねている飛鳥は、先生が文月なのはやはりどこか不満げだったが、すぐに理不尽な悔しさを顔に出した。文月の料理の腕前は飛鳥も聞き知っていたが、飛鳥の想像以上に、文月がまじめにしっかりと先生役を務めたからだ。文月は普段の大雑把さからは信じられないくらい器用に調理器具を扱い、実演を織り交ぜながら、三人に丁寧に基礎的なことを教えてくれる。
ピクニックといえばお弁当。お弁当といえば手作り。
春休みに入ってすぐ、ピクニックの日程を決めた時そう主張したのは飛鳥である。
これまではこういう時、お弁当はすべて文月が自分から進んで作ってくれていた。今回も文月は「わたし、別にまた作ったげてもいいよ〜ん」と笑っていたし、陽奈も「うん、できればお願いしたいな」と同意していたのだが、初参加の飛鳥がなぜか対抗意識を燃やして自分で作ると言い出し、すったもんだの末に、「自分の分は自分で!」ということになってしまった。翼としては、文月がダメでも既製品を買うとか母親に頼むとか、いっそ飛鳥か陽奈に自分の分も作って欲しかったところなのだが。
自慢の料理の腕を披露する機会を奪われて少し残念そうだった文月は、すぐに「飛鳥チンの手料理、楽しみだね〜」などと、人の悪い顔をしていたものだ。
翼は男としての記憶では、料理なんて必要最低限度しかしなかった。母親が不在の時など簡単な料理――炒めただけのチャーハン、茹でただけのパスタ、卵を割って焼いただけの目玉焼きなどなど――なら作ってはいたが、料理を真剣に覚えようとしたことはないし、手際や見た目や栄養バランス、味などについて、まったく自信がない。正直、不味くなければいいやという腕前である。
意外に、と言っていいのかどうか、陽奈と飛鳥は、自分たちも翼と似たような物だと白状した。元のツバサも含めて三人とも、たまに家族を手伝う程度らしい。中学までは学校給食というものがあったし、高校も学食や購買が充実している。家族がきちんと、頼めばお弁当を作ってくれていたのもの大きいのだろう。四人の中で普段まともに料理をしているのは文月だけで、文月は「三人ともそんなんじゃお嫁にいけないよ〜?」と笑っていた。
「文月って結構古風だよね。今時、そんな考え流行らないよ?」
「そうですよね。料理で差別するような男子、用はないですよね」
「陽奈も飛鳥チンも何言ってるかなぁ。男も女も、両方できた方がいいに決まってるっしょ。わたし、彼氏は絶対料理できなきゃヤダし〜」
「文月は未来の彼氏のために頑張ってもらうとして、わたしたちは自分のためにやるだけだよね」
「ですです。男子は関係ないですよね」
「む〜。つばさはどーお? 彼氏できたら作ってあげたいとか、思うでしょ?」
「……おれは作るより作ってほしい方かな」
「あ、うんうん、そうよね。今は男子の方が上手くないとダメよね」
「……翼って、恋人は料理ができなきゃダメとか、思う方だっけ?」
「……ダメとまで思ったことはないけどね。できないよりはできた方がいいのは、なんでもそうだと思うよ」
「自分はできないくせに、この姉妹はわがままチンだね〜」
「それは、あれです。友達でも恋人でも、お互いに補い合える関係がいいんです」
「飛鳥、なんだかカッコいいね」
「飛鳥チン、それダレのウケウリ?」
「たしかに、自分を棚に上げて、相手にだけ一方的に求めるから問題になるのかもな」
などなどの会話が交わされたのは、数日前のことだ。
そしてこの日、春休みの平日の夕刻。
久我山家では、また長女の友人たちでお泊り会が開かれていた。久我山家のお母さんは、夕食を娘たちに任せて、リビングでテレビをつけっぱなしにして、娘たちの賑やかな声をBGMにノートパソコンで仕事をしている。その隣のダイニングキッチンで、子供たちはみなエプロン姿で、楽しみながらも熱心にお弁当を作る練習をしていた。
お弁当の三種の神器、からあげ、卵焼き、タコさんウィンナーに加えて、三角や丸のおにぎり、焼きシャケやクリームコロッケ、ミニハンバーグまで放り込めば、体裁としてはばっちりである。文月は「野菜が足りない!」と言って、陽奈と一緒に、アスパラのベーコン巻きや、肉詰めピーマンなども仲間に加えていた。文月はもっと凝った物も作りたかったようだが、それは本番の日に自分の分でやることにしたのか、最後まで先生役に徹する。
調理で賑やかに騒いだ後は、夕食を兼ねて、完成品の試食会だ。
久我山家のお母さんは、食卓に呼ばれたが一緒に食べることはしなかった。文月が彼女に苦手意識を持っているから、その点に気を配ると同時に、楽しげな娘たちのじゃまをしたくないという配慮でもあるらしい。
もっとも、お弁当をもらってリビングに戻る時に、彼女は自分の娘二人に対しては、「こんな時ばっかりじゃなくて、もっと手伝ってくれたら、あたしも楽になるんだけどね」と少し人の悪い笑顔を向けていた。次女は即座に視線をそらし、長女も「部活引退して受験も終わったら考えるよ」と、学生の本分を盾にして逃げる。久我山家のお母さんとも親しい陽奈は、横で他人事のように笑っていた。
すぐに四人、いただきますを言って食べ始め、みなでそれぞれのお弁当をつつきあって、あれやこれやと品評する。
採点者の文月先生は、見た目や味を総合して、陽奈に七十四点、翼と飛鳥には六十一点という、妙に細かい点数をくれた。飛鳥は文月に採点されることやその点数の低さに不満顔をしつつも、姉と同点だったのはちょっとだけ喜んでいた。文月はわざとそうしたようだが、では翼と飛鳥、どちらの腕前が上だったのか。数時間後に帰宅して、娘たちが作ったお弁当を食べさせられる久我山家のお父さんは、非常にコメントに困ることになるのだが、それはまた別の話である。
料理の反省点や、数日後に予定したピクニックの話題で盛り上がりながら、明るく時間を過ごす。
作りすぎたせいで頑張って食べすぎて、みな少しおなかが苦しくなったのは、ちょっとしたお愛嬌であった。
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初稿 2005/02/25
更新 2008/02/29