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Boy's Emotion

  Taika Yamani. 

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  エピローグ
   一 「恋のカタチ」


 高校二年、十六歳の夏に、特発性性転換症候群、俗に言う性転換病にかかり、男から女へとなってしまった穂積貴之。完全に女の身体になって、穂積貴子と名前を変えてから、まだ一ヶ月弱。女の立場で学校に通うようになってから、まだ約一週間。一年以上片想いをしていた同級生の少女、脇坂ほのかに告白されて付き合うようになってから、まだたったの一日。
 コトの多い一日だったが、貴子にとって嫌な一日ではなかった。色々思い悩んだり、自分の取った行動に激しく情けなさを感じたりするが、好きな女の子の気持ちを初めて実感できた一日。
 九月ももう終わりかけのその日の夕刻、貴子はやや混雑している電車に揺られながら、携帯電話片手にメールを打っていた。
 文字を打って消し、消しては打ち直し、文面をチョコチョコ弄っては、結局消す。真剣にメールを打つ貴子のその表情は、男だった頃なら無愛想な無表情、よく言ってクールな表情に見えたのだろうが、今となっては愛らしい一生懸命な表情と受け取るものも多いだろう。内面は変わらなくとも、見た目だけでこうも印象が変わるのだから、世の中ちょっと詐欺めいている。
 自分の振る舞いを冷静になって考えれば、貴子はおそらく、自分でももう笑ってしまうしかないような気分になったかもしれないが、その時は大真面目だった。
 好きな人といつもどこかで繋がっていたいと、そう思ったわけではないが、もっと話をしたい相手がいる時に、ただじっと電車に揺られる時間はとても焦れったかった。電車内でのマナーはわきまえているつもりだが、電車で通話を使いたがる人の心理が初めてわかった気がした貴子だ。さっきまでの帰り道、途中の遊歩道に立ち寄って、重い話をすると同時にいちゃついたりもしたが、それだけでは全然物足りない。
 部活をサボると言ってくれたガールフレンドを、貴子が説得したからろくに話せなかったということはわかっているが、それでも、もっともっと話をして一緒にいたかった。
 別れ際、彼女は十時頃に電話すると言ってくれたが、十時まで待つのも焦れったい。
 貴子としては、ほのかからの電話なら九時でも八時でもよかったのだが、彼女は八時から見たいテレビがあるらしい。普段のほのかは学校から家まで自転車で十数分らしいが、この日は徒歩だった上に遠回りをしているから、ほのかが家に着くのは六時四十五分頃だろうか。
 「帰ったらご飯食べて、九時までテレビ見て、それからのんびりお風呂かな?」
 そう笑っていたほのかは、祖父母と同居しているし、家事の負担もほとんどない。母子家庭で家事などやることも多い貴子とは、ずいぶんな違いである。
 『おれのことより、テレビ優先……?』
 貴子は内心ちょっと不満を抱いたが、どちらかと言うとほのかは「恋愛をすることで、今まで楽しかったこともより楽しくなるタイプ」と言えるのかもしれない。貴子は逆に、恋をすると相手しか見えなくなるような傾向があるのだろう。ほのかはそんな貴子に敏感に気付いたようで、貴子にとってなんとなく理不尽なことに、横目で貴子を見てちょっと嬉しそうに笑っていた。
 貴子が真剣にメールを打つうちに、電車は自宅の最寄駅へと到着する。
 結局、悩むだけ悩んだ挙句に、貴子はメールの送信ボタンを押せなかった。スマートに恋愛ができない自分に、貴子は自分でも情けなさを感じるが、まだまだ好きな相手には臆病だった。学校ではすでに大胆なことをしでかしているが、衝動でなければ思い切った行動は取れない。貴子は落ち込みかけて、昨日のようにまたスーパーを素通りしかけてしまった。
 なんとか買い物をして帰宅すると、時刻は午後七時十五分過ぎ。
 貴子は制服から普段着に着替えて、お風呂を軽く洗ってセッティングしてから食事を取った。朝の母親のようにテレビと新聞を眺めながら、手抜きで買ってきたお惣菜を中心とした夕食を食べる。
 家の電話が鳴り響いたのは、午後八時前。お風呂に入ろうと着替えを用意している途中だった。食後にもろもろ家事をして、体育があったから今日もストレッチをサボることに決めた後のことだ。
 貴子は一瞬鼓動を跳ねさせたが、登録済の呼び出し音が示す相手は、母親の穂積雪子の携帯電話だった。母親の恒例の電話だと知って気を抜いた貴子は、すぐに着替えを持ったまま電話に出た。
 貴子の母親は、意外にマメと言うべきか心配性と言うべきか、帰宅が遅い時には家で一人待つ我が子への連絡を欠かさない。我が子がちゃんと帰宅していることを確認すると同時に、自分の帰宅予定時刻を告げてくる。
 貴子としては、忙しい時にも律儀に電話をくれる母親に、あたたかいものを感じる時もあるが、気分によってはちょっとわずらわしいと思う時もあった。ご飯はちゃんと食べたのかというような、後でいくらでも話せるようなことまでいちいち尋ねてくるのだから、貴子としてはやっていられない。機嫌がいい時は穏便に付き合うが、たいていは適当に返事をするだけですませる。
 この日の母親は、恋人ができて二日目の娘を気にした様子で、からかわれたと感じた貴子はちょっとそっけなくして、手短に電話を切った。
 そんな我が子の態度に、母親はわざとらしくいじけて嘆くが、母親がそんなふうだから、貴子も遠慮のない素直な自分でいられるとも言える。母親も、時々非常に疲れた声で半ば義務的な電話になることもあり、そんな時は貴子の方がつい母親を心配してしまうような態度になったりするのだから、一方的な関係でもない。だから母親も、隠しておきたい弱さを、時々子供の前でも素直に出せる。なんだかんだで、仲のいい親子だということなのだろう。
 受話器を置くと、貴子は改めて着替えを持って、お風呂に入りに行く。
 お風呂に入る時は当然、服を脱いで、下着も脱いで、全裸になる。
 貴子が男から女になって、まだ一ヶ月もたっていない。
 普段から貴子は、視覚に頼らなくとも、自分の身体が女になっているのは肉体感覚的に意識させられているが、服を脱いでしまうと視覚面の影響が強くなって、一層強く意識させられる。自分の身体の肉体感覚は消せない以上、どんな格好であっても人目がなければ大差がないはずなのだが、まだまだ貴子は慣れていなかった。
 裸になると腕が胸やわきや腰に直接触れたりするし、時々太ももと太ももの内側の素肌同士が擦れ合ったりもする。上半身の下着を脱いだ時の開放感も、以前は知らなかったような感覚だ。無防備に空気にさらされる肌の感覚も以前とは違うし、ただ裸になるだけで、着衣の時とはまた違う感覚が襲ってくる。違和感はだいぶ薄れつつあるが、そんな何気ない感覚まで、視覚面の刺激と相乗するように気になる。胸の奥には性的な欲望もくすぶって、気にし始めれば際限がないとわかっていても、嫌でも強く意識してしまう。
 それに、なんの不思議もないことだが、洗面所を兼ねる脱衣所にも、そしてお風呂場にも鏡が存在した。
 全身鏡ではないから、映るのは一部分だけだし、貴子はあえてそちらに目を向けないようにしているが、それでも近くを歩くと、視界の隅で透き通るような肌色が動く。
 まっすぐな姿勢で歩く、十六歳の少女の、一糸まとわぬ白い裸身。
 すでに貴子は何度か、人には絶対に見られたくないような格好もして、今の自分の身体のすべてを隅から隅まで鏡に映したことがあるが、それでもまだ、自分の身体なのに見慣れない。
 白くほっそりとした首筋に、繊細な鎖骨、華奢でなめらかな肩。動くたびに敏感に震えて揺れる豊かな二つの乳房と、その先端のパールピンクの小さなつぼみ。細くくびれた腰、淡いかげりのあるふっくらとした下腹部、ふくよかで丸いお尻、すらりと引き締まっていながら肉付きのよい太もも。
 今の貴子の身体は、十六年間育ってきた男の身体ではない。まだ大人になりきっていないが、どんどん成熟を知り始めている、思春期の少女の身体。
 今の貴子は、繊細で可憐な容姿の、短い髪をした小柄な少女。
 「こんなの、おれじゃない……」
 普段どんなに平然として見せていても、強く意識してしまうと、未だに拒絶したくなる。そう呟く声も、自分の声じゃないと否定したくなる。頭ではわかっているし、もうだいぶ開き直っているとは言え、感情がついてこない。
 が、感情をかき乱されるが、毎日自分の身体に取り乱していたら生きていくのも辛い。できるだけ気にしないようにしながら、貴子はその自分の身体にお湯をかけた。肌の上をお湯を流れる感覚にもまた鬱屈した気分になりつつ、無造作に肩まで湯船に浸かる。
 否応なしに常時存在する胸部の変な重みも浮力によって多少軽減されて、ゆったりとした吐息とともに、貴子の全身から力が抜けていく。適温なお湯の中で、自分の身体を意識しないように天井を見上げて、貴子は少しの間くつろぐ。
 自然と貴子の脳裏に、この日の出来事が思い浮かんだ。
 今の自分の裸を感じて思考がそちら方向に流れていたせいか、真っ先に思い浮かんだのは、体育の更衣の時間の出来事だった。
 好きな女の子と一緒に着替えをして、半裸を見て、キスをされて、抱きしめて、昨日よりももっとお互いに触れて触れられて。
 今までで一番近付いた、恋人との物理的距離。
 好きな女の子の前で緊張しまくりの自分のしでかした言動を考えれば、貴子は情けなくて穴があったら入りたくなるし、羞恥にも襲われるし猛省したくもなる。が、初めて実感できた彼女の気持ちを思えば、心が舞い上がって頬が緩みそうになるし、身体に残った彼女の感触には興奮してしまいそうになる。
 なのにやはり、同時に鬱っぽい気分までも湧き起こる。
 『……これで、男のままなら……』
 ほんの数時間前、帰り道にその手の話になった時、「貴子が女でないと嫌だよ」とはっきりと言いきった、貴子の恋人。それを考えれば、今の顔と身体の女になったからこそ彼女に好きになってもらえたことを思えば、女になったことを肯定的に捉えることもできるが、それですべてが納得できるかと言えば、それほど単純にはいかない。
 ほのかと付き合えるのは文句なしに嬉しいし、今の自分の身体を冷静に受け止めて、彼女との関係を前向きに捉えて、今を一歩ずつ生きていこうという意志はある。彼女が言ってくれたように、今の貴子は今のほのかが好きで、今のほのかも今の貴子を好きでいてくれて、その気持ちを大事にしていきたいと思う。
 だがそれでも、「貴之」が男として男の性欲を実感するほど成長していなければまた違ったのかもしれないが、今の貴子には、元の身体で男としてほのかと愛し合いたいという欲求も、確実に存在した。
 それが叶わない現実が重く、苦しい。女の身体に対して欲情を覚えるのに、一歩間違うと、今の自分の身体を嫌うことで女性の身体そのものまで嫌いになってしまいそうだった。女の性的快感はそれはそれで気持ちいいが、人生はそれがすべてではない。ほのかといる時はいろいろ期待もしてしまっていたが、一人になると暗く落ち込んでしまいそうになる。こんな調子では、いつか将来「その時」になっても、鬱っぽい抵抗を感じてしまうかもしれない。
 反面、全く逆に、「いざ脇坂さんと、関係を、持てば。すんなり男の性愛を諦める気になって、不自然だなんて思わなくなって、女の性愛だけで満足できるかもな……」と、そう考える部分もあって、そういうことを考えてしまう自分に対して、貴子はネガティブな感情を抱いてしまうことを止められない。
 『……結構、おれって最低だな……』
 一歩ずつ彼女との関係を育もうとしているつもりだが、それ以前に、やはり自分の問題に拘っていた。男から女になってしまったことで、かえって身体の性愛を意識してしまっている部分や、ほのかと恋人になれたことで、女同士の肉体関係が現実味を帯びてきた部分もあるのだろうが、だとしても考えることが先走りすぎだし、欲望にもまみれていた。母親は昨日、相手が貴子の身体目当てという可能性を指摘していたが、むしろ自分の方が相手の身体目当てのように思えて、自己嫌悪に近い感情を覚えしまう。
 貴子は小さなため息をついて、湯船を出て身体を洗いにかかった。
 よく石鹸を泡立てて、柔らかいスポンジで、無駄にすべすべした白い肌を丁寧に洗っていく。
 が、なんとか気を取り直そうとしたが、身体を洗い始めたのはちょっと失敗だった。頑張って意識しないようにしていたのに、スポンジが肌を滑る感触と、今の自分の身体の柔らかい感触に、余計に「女」を意識してしまい、胸のふくらみを洗う時には、ついよからぬことを考えてしまった。
 「……脇坂さんに、さわられたんだよな……」
 頭の片隅には「揉まれた」という単語が思い浮かんでいたが、言葉にしないのはぎりぎりの男の矜持というやつだろうか。だが男のスケベ心の方は正直だった。「脇坂さんの身体も、きれいで、すべすべで、柔らかくて、いい匂いだったな……」と、さわった方の感触も、見た側の記憶も、どこか汗の混じった甘い匂いや、無意識に強く押し付けた太ももの感触、何度もキスをされた唇の柔らかさでも、まざまざと思い浮かんでしまう。
 好きな女の子のことを考えながら、泡だらけの繊細な左手で、貴子はそっと、自分の右の二の腕に触れる。
 きめ細やかな肌は、泡立っているせいで、普段以上になめらかだった。
 肘から肩にかけて左手を動かすと、柔らかさを増している腕の脂肪とふっくらとした筋肉の感触が、くすぐったさに似た感覚を伝えてくる。同時に、白くほっそりとした左腕が、男の身体ならありえなかったのに、泡にまみれた胸のふくらみを自然と押していた。
 日々大人に近付いている、大人の女に近付いている、貴子の身体。
 今の貴子の身体は、好きな人と同い年の、同じ性別の身体。
 ……事後に虚しくなるだけと、いっそう鬱になるとわかっていながら、まだ八時なのにとも思いつつ、貴子は欲望に負けた。
 右腕を下から動かして、ゆっくりと手を、左の乳房を支えるようにあてがう。
 「……脇坂さん……」
 好きな女の子の名前を呟くと、それだけでいっそう心が震えそうになる。こんな姿を彼女に見られたらと思うと頭に血が上るが、手も心も止まらない。
 今の自分の肉体で好きな女の子の身体を想像してしまいながら、貴子はそっと、自分のその身体に触れる。
 この日のお風呂は、いつもより長いお風呂になってしまった。



 お風呂から上がってリビングに戻ると、時刻は八時四十五分を過ぎていた。
 火照りすぎた身体を冷ますように、貴子は林檎ジュースを飲んで少し休憩をして、恋人がいつも見ているというバラエティ番組を見てみたが、もうほとんど終わりだったせいもあってか、あまり面白いとは感じなかった。テレビより読書と思う貴子は、この年齢としては面白味のない性格なのかもしれない。
 テレビが終わると、貴子はキッチンに立ち寄って梨を切り、切った梨を乗せた皿を持って自分の部屋に戻った。鬱っぽさとけだるさを意志の力で抑えて、勉強机に向かう。
 貴子の恋人は家ではまったく勉強をしていないらしいが、貴子は毎日ちゃんと勉強しなければ学年三十番前後の成績をキープできない。彼女はそれでもいつも学年トップなのだから、貴子はちょっと羨ましいが、羨んでばかりはいられない。こんな状況でどこまで集中できるのかまったく自信がなかったが、昨夜も勉強をサボったから、できれば電話の前後を使って二時間は勉強もしておきたかった。
 が、事前の予想通り、貴子は勉強にも全然集中できなかった。梨を一人で丸一個食べて、以前なら食後のこのくらいは普通にいけたのに、ちょっとお腹が苦しくなったせいもあった。
 先に予習が必要な教科から取り掛かったが、そわそわと落ち着かずに、ついつい何度も時計を確認してしまう。時間はいつも通りの速さで流れているはずだが、一分一秒が妙に長く感じられた。恋人が九時からお風呂に入ると言っていたことも思い浮かび、その姿をつい想像してまた悶々としまうのだから、やはり重症だった。
 『脇坂さんは、お風呂上りは普段着なのかな、パジャマなのかな? 寝る時はどんな格好なんだろ』などなどと、半をまわるとまた余計な妄想が駆け巡り、どんどんと胸が高鳴って、勉強どころではなくなる。
 全然予定のところまで進んでいなかったが、貴子は素直に諦めて勉強を放棄した。携帯電話を片手に持って、念のためにコードレスの固定電話の方も部屋に持ってきて机の上に置いて、ひたすら電話がかかってくるのを待つ。
 椅子に座りなおしたり、部屋をちょっと歩いたり、ベッドに腰を下ろしたり。
 まだ帰宅していない貴子の母親がこの場に出くわせば、少し嫉妬の感情を抱くだろうが、同時に、初めて恋人ができてそわそわ落ち着かない我が子の初々しさに、もうぎゅっと抱きしめたくなったかもしれない。
 好きな女の子のことばかり考えて落ち着かないその様子は、男の姿なら男の純情と言えたかもしれないが、今となっては恋する乙女という表現の方が似合う態度だった。長袖のカットソーにストレッチ素材のカジュアルパンツという、男でも女でも誰でもやっていそうなごくありふれた服装なのだが、印象はやはりもう以前とは完全に違っていた。
 胸元に三つボタンのついたカットソーは、ボタンを三つともはずしているせいで鎖骨が剥き出しになって、本人としては単に季節に合わせているだけだが、そこには十六歳の少年の色気ではなく、十六歳の少女の色気が存在する。上下ともにメンズの服だからサイズが甘く、身体の線が多少あらわになっているせいもあるのだろうか。胸部は中から押し上げられて服が張りつめて、落ち着いた色合いのせいもあって露骨な印象はないが、年齢平均より豊かなふくらみが目立っていた。ボタンを止めていないせいで、前かがみになったりすると、薄手のタンクトップと真っ白な谷間までも簡単に覗けてしまう。逆にウエスト部分にはゆとりがあって、ラフなカジュアルパンツも動くたびに身体に密着したりもして、上半身から下半身へと続く女性特有の曲線を際立たせていた。
 「脇坂さん、遅い……」
 十時を一分ほど過ぎて思わずそう呟く声も、以前なら多少苛ついた印象も混じっただろうが、今となっては恋に焦れる少女の繊細な声でしかない。
 本人がどう思おうと、元の自分に拘っても拘らなくても、良くも悪くも、以前と同じではありえない貴子の身体。男だった時と似たような服を着て全く同じような動きをしても、もう何をやっても違う印象にしか見えない。
 貴子本人にも、今の自分の格好が客観的にどう見えるのか、それなりに自覚はある。一歩間違うと、今の自分の肉体で好きな女の子の身体を想像して、簡単に変な気になりそうになる。
 だがだからこそ、貴子は意識して深く考えないようにしていた。ただでさえ、視覚に頼らなくとも自分の女の肉体感覚は常に意識させられているから、自意識過剰になっているだけだという思いも根強い。一番くつろげるはずの自宅で、普段着まで変に意識しすぎたらやっていられない。
 「深く考えないように」と考えている時点で、意識している事実を表しているから、ある種の現実逃避なのかもしれないが、今のこの服装も男だった時と同じようなシンプルな普段着だし、他人が同じ格好をしていても全然意識しないような、ありきたりのものでしかない。育ちと性格があるから、一人の時もひどくだらしないという格好はしないが、家での服装は快適さ重視だった。
 さらに付け加えれば、だれかに見られれば抵抗があったり情けなかったりする行動も、男であっても女であってもだれしも、一人の時であれば気にならなかったり、ついついやってしまったりすることもある。それはそれで鬱っぽい気分になるとしても、そんな負の感情も含めて、それが今の貴子だった。でなければ貴子も、男だった時も今も、好きな人を想って自分を慰めることもできないし、お風呂やトイレにだって行けなくなる。ごく当たり前の話だが、貴子も生身の人間だから、日々おしっこやうんこをするし、時々げっぷをもらしたりもすれば、おならだってする。
 人は、意識していようと無意識であろうと、人前では少なからず演技をして自分を作っている部分もあるものだが、その分、一人きりの自宅は、遠慮も何もなく、貴子が自然に振る舞える空間だった。
 そんな貴子が、落ち着かずに待つこと三十数分。
 十時を三分ほど過ぎた頃、やっと貴子の携帯電話が光を放った。
 とてつもなく長く感じたその最後の約十分間、華奢な手で携帯電話を握り締めて、通話ボタンにずっと親指をかけっぱなしだった貴子は、着信音が鳴り始めるよりも早く、鼓動を跳ねさせつつ即座にボタンを押した。さっと携帯電話を耳と口元に当てる。
 「はい、もしもし、穂積です……!」
 緊張に上ずった、繊細な少女の甘い声が、貴子の唇からこぼれる。ただでさえ今の自分の声にもまだ鬱屈した思いがあるのに、相変わらずあがってしまうのが、貴子は自分でもちょっと情けない。
 そんな貴子の声に対して、電話の向こうからはガールフレンドのきれいな声が聞こえてくるはずが、驚いたような男の声がふってきた。
 『うお、早っ』
 あまりにも想定外の声に、貴子はびくっと身体を揺らす。
 わけがわからずに反射的に携帯電話のディスプレイを確認すると、そこには好きな相手とは大違いな名前が表示されていた。高校に入ってからの友人である、槙原護の名前。
 「なんで槙原なんだよ」
 思わず一方的な不満が、貴子の口から飛び出す。可愛い声に不釣合いなそっけない口調。
 『って、おいおい。誰かと思ったのはこっちなのに、いきなりそれかい。ちゃんと確認してからでろよ』
 「……タイミングが悪すぎる」
 呼び出し音はいくつかのグループで分けているから、せめて呼び出し音を聞いてからボタンを押せば気付けたはずで、貴子は自分の取った行動に、また情けなさが込み上げてきた。
 『はは、なんだ、あれか。彼女の電話でも待ってたわけだな』
 「……わかってるなら、切るぞ」
 『こらこら、待て待て。今日はもうすごい一日だったぞ。あの脇坂ほのかに恋人ができただけでも大騒ぎなのに、レズだし、相手がおまえだし、おまけに脇坂まで元男だったらしいじゃん』
 「……だから?」
 『ん、まあ、なんだ。千秋の言うことだけじゃイマイチあれだったからな。穂積がどうなのかちょい気になったんだけど……その様子なら上手く行ってるみたいだし、ま、いいのかな』
 貴子と同じクラスの松任谷千秋が、彼女の恋人の護に何を言ったのか。
 貴子は想像する気にもならなかったが、真実を知ったら、ここでもかなり情けない思いを味合わされていただろう。幸いにも想像しなかった貴子は、護が心配して電話してきたらしいことを察して、ちょっとだけ気持ちを和らげた。
 『おまえは、脇坂が元男って知ってたのか?』
 「……今日、初めて知ったよ」
 『ああ、やっぱそうなのか。で? いいのか?』
 ずばり直球の、護の問いかけ。
 その問題は、すでに貴子の悩みの中心ではない。それでも、それを口に出して言うかどうか、貴子は少し迷った。
 貴子の脳裏に、一瞬、帰り道の恋人との会話が思い浮かぶ。



 初夏には紫陽花やキャンディタフト、冬にはサザンカや寒椿などがささやかに彩りを添える、学校から駅までの通学路。その途中の、遊歩道として整備されている、縦長の公園での会話。
 「ちょっとあっちから行こ」と、そう誘ったのはほのかなのに、道をそれてからの彼女は口数が少なかった。貴子はほのかと一緒にいられる時間が長くなればなんでもいいと思っていたから、ほのかが無口になってもさほど気にせずに、手を引かれるままにくっついて歩く。
 学校からずっと繋いだままのほのかの手は、柔らかくてあたたかくて、貴子にはとても心地よい。ほのかが静かになったのも、このぬくもりを感じていたい自分と同じ気持ちだと思って、貴子は照れくささと幸せな気分とを、こっそりと味わっていた。公園に連れ込まれて、昨日今日のキスを思い出したりして、自分から迫りたくなるような衝動と期待とを感じてドキドキしていた。
 「黙っててごめんね」
 だから、ほのかが唐突にそう謝ってきた時、貴子はわけがわからず、えっという顔でほのかを見上げた。
 「ぼくが、中一まで男だったこと」
 あたりは木々に囲まれて、子供向けの遊具や休憩用のベンチが点々としている。時刻は六時過ぎ、まだ完全に暗くはなっていないが、もう日は落ちてひと気は少ない。人目を避けるような木陰で足を止めたほのかは、手を繋いだまま貴子に向き直り、貴子をまっすぐに見つめていた。
 「やっぱり気になる、よね?」
 「き、気にならないって言ったら、嘘になる、けど……」
 幸せな気分を味わっていた貴子とは違い、ほのかは少し真面目なことを考えていたらしい。貴子はほのかのきれいな瞳に思わず息を呑んでちょっと慌てたが、すぐに繊細な声で、正直な気持ちを答えた。
 「でも、もう、大きな問題じゃないよ」
 「そう? じゃ、貴子が女になったのも、大きな問題じゃない?」
 「…………」
 そちらは、まだ慣れきっていない、いつ慣れるとも知れない貴子にとっては、充分大きな問題である。
 押し黙ってしまった貴子に、ほのかは少しだけ笑みを見せた。
 「貴子は、女になるより男でいたかったって、やっぱり思ってるんだ」
 微笑んではいるが、どこか鋭く感じられる、ほのかの瞳。
 貴子は数瞬だけその瞳を見返して、耐え切れなくなって、視線を斜め下に落とした。
 貴子は男としての身体や立場や人生などに拘っていたつもりはないが、これまでの女の身体での生活の中で、少なからず自分の中に拘りがあったことに気付かされていた。肉体的な違和感も薄れつつあるからこそ、理屈で逃げられなくなって、かえって強く感じさせられる部分もあるのだろうか。
 これまでもこの先も、恋愛が絡む部分でも絡まない部分でも、女の身体や立場に不満を抱いたり、良くも悪くも「男のままだったら」と何度も思うことになると、貴子はこの件では自分をよくわかっていた。もう元の身体に戻れないことはわかっているし、割り切ろうとしているつもりだが、理屈でわかっていても、感情がついてこない。
 男女の肉体的社会的違いを公平に比べた上での評価ではなく、もっと根本的な部分に根付いている、貴子の個人的な感情。
 「……ごめん……」
 「なんで謝るの? それをひっくるめて、貴子は貴子でしょ?」
 ほのかは笑って、さらりと言った。
 貴子は今度は少し驚いて、ほのかを見上げる。ネガティブな貴子まで受け入れるような、ほのかのそういう言葉は、じんと貴子の胸を打つ。
 「……うん、ありがとう」
 まっすぐに礼を言う貴子に、ほのかはなぜか少し笑い、軽く頷いたが、すぐに貴子にとってきつい言葉も口に出した。
 「でもね、ぼくも男だったんだから、同じこと思ってるかもしれないって、思ったりしない?」
 「…………」
 「…………」
 「……え?」
 「だから、ぼくも、戻れるなら男に戻りたいって、そう思ってるかもしれないよ? もしもぼくが、やっぱり男の身体の方がいいから性転換手術を受けるとか言ったら、どうする? 大きな問題じゃない?」
 「え……」
 貴子だけではなくほのかも、それをひっくるめて、ほのか。
 貴子もそう言うべきだったのかもしれないが、あまりにも許容できない衝撃的なほのかの言葉だった。貴子は嘘でもほのかと同じ台詞は言えなかった。
 「わ、脇坂さんは、男に、なりたいの?」
 「あくまでももしもの話だよ。完全に男になれるとか、元の身体に戻れるなら少しは真面目に考えるけど、今はその気はないよ」
 かなり動揺した態度の貴子に、ほのかはまた少しだけ笑う。
 「別に今のぼくは、自分が男か女かには、あんまり拘ってないから。たまに男のままだったらって思ったりはするけど、もうどうしようもないことだし、拘るのってなんか馬鹿らしいし。貴子が好きでいてくれれば、女でもいい」
 貴子もその方がいいでしょ? と、ほのかはにっこりと笑顔を見せる。
 「う、うん……」
 貴子はほっとして正直に頷いたが、ほのかはやっぱりと言いたげに頷いて、鋭く踏み込んできた。
 「だからね。ぼくも、貴子が女でないと嫌だよ」
 「…………」
 わざわざ言われなくとも、一度男の立場でふられている貴子には、とっくにわかっていたこと。
 性別なんてどうでもいいと思えるほど、二人の付き合いはまだ深くはない。
 貴子だって、ほのかの性別を無視できないし、心だけを見ているとも言い切れない。性別や肉体は各人の個性の一部で、それが変化してしまったら、本人の感情も周囲の人間の感情も変化する可能性はいくらでもある。この可能性を肯定することは、もしかしたら非難に値するのかもしれないが――例えば恋人が事故で顔や身体にひどい火傷をおったりして心変わりするようなケースにも当てはまる――、だとしても、ほのかが男でもかまわないと、貴子も言い切る自信はない。
 なのに、わかっていても、ほのかのその言葉に、貴子の胸はぐさりと痛んだ。
 「ごめんね。貴子が男でも好きだって、言ってあげられなくて」
 「それでも!」
 自分の胸の痛みを打ち消すように、ほのかの言葉を遮るように、貴子は少し大きな声を出した。
 高域に抜ける澄んだ声で、貴子はほのかにはっきりと言う。
 「お、わたし、は! 脇坂さんのことが好きだよ!」
 「うん、ぼくも、今の貴子が好きだよ」
 ほのかは「でも貴子は、ぼくが男だったら、それでも好きって言える?」という言葉を、口には出さない。問われたら、貴子はたった今言ったばかりの台詞に反して、口篭もることになっただろう。
 ほのかは、自分を振り返るまでもなくそれがわかっているのか、ただやんわりと微笑んで、片手で貴子の腰をそっと抱き寄せた。
 「ぁ……」
 「それだけじゃ、だめかな?」
 ほのかの身体は中学の一年の頃まで男で、今は女で。
 貴子の身体もついこの間までは男だったが、今は女で。
 「今の貴子は今のぼくが好きでいてくれてて、今のぼくも今の貴子が好き。今は、それでいいよね?」
 人生のカタチは人それぞれで、恋のカタチも人それぞれで。
 これから先、二人の関係が深まっても、性別なんてどちらでもいいとは、一生言えないかもしれない。逆に、お互い同士であれば男でも女でもかまわないと、そう言えるようになる可能性もあるが、先のことはだれにもわからない。
 どちらにせよ、今はそれが、二人の正直な気持ち。
 過去でもなく未来でもなく、今を、二人は生きている。
 「ま、男に戻りたいって思っても、元からもうどうしようもないんだけどね?」
 貴子がほのかの瞳を見返し、小さく、だがまっすぐに真剣に頷くと、ほのかは腕の力を抜き、一転、少し茶化すようにそう言って笑った。
 間近にある恋人のきれいな笑顔が、貴子を正面から見つめている。お互いの胸のふくらみ同士も軽く触れ合って、とくんとくんと高鳴って震えている。
 彼女に抱きしめられたままの貴子は、自分からキスをしたくなって、頬を熱くしてさっと視線を泳がせた。か細い声で、がんばって反論をしてみる。
 「中には、元に戻る人も、何人かいるみたいだよ……」
 「ああ、そう言えばそうらしいね。全世界で三十年で四人くらいだっけ?」
 「う、うん、医者も言ってた……」
 「あは、よかった、すごい確率で。貴子が男になったりしたら、ぼく泣いちゃうから」
 「…………」
 貴子はちょっと傷ついた。
 「でも、じゃあ、もし貴子が男になってもいいように、今のうちに、キスもいっぱいしておこうかな?」
 「ぇ……?」
 ほのかはにっこり笑うと、有言実行とばかり顔を近付けてくる。
 貴子は慌てたが、当然嫌なはずはなく。まだ付き合い始めて一日しかたっていないのに、キスの回数はどんどん増えていく。
 最初は真面目な話だったはずなのに、いつのまにか公園でイチャイチャしていた二人だった。



 『……やっぱ気にしてるのか?』
 少し長い沈黙を作った貴子に、槙原護が、電話越しに重苦しい声をかけてくる。帰り道での出来事を思い出しつつ、護にどう答えるか少し迷った貴子は、微かな吐息を漏らした。
 自分の身体が女になっているという問題に比べれば、ほのかにも言ったとおり、彼女が元男だったということは大きな問題ではない。が、いちいちそれを他人に言うかどうかは話が別だった。相手が護でなければ、または一年前なら、貴子は「おまえには関係ないよ」とでもそっけなく言い放っていただろう。逆に母親になら、正直にありのままの気持ちのすべてを話したかもしれない。
 だが今の護はそのどちらでもない。親しい友人だからと言って簡単になんでも話すわけでもなく、だから貴子が選んだ言葉は、事態の表層でありながら、確信をついた部分だけだった。
 「もうたいして気にしてないよ。向こうが気にしてないのに、おれだけ気にするのも変だろ」
 相変わらず、繊細で可憐な声には少し不釣合いな口調の、貴子の率直な言葉。
 今はあえて深く考えないようにしているという、貴子本人すらも気付いていない無意識の心の動きに、母親なら気付いたかもしれないが、そんな貴子の気持ちは、可愛い声の裏に隠れて滲まない。
 「大事なのは、これからのことだから」
 貴子はきっぱりと言い切った。
 そんな貴子をどう受け止めたのか、護は一瞬だけ沈黙を作ってから、すぐに態度を崩した。
 『……おまえ、かっちょいいな』
 電話の向こう側で、ニヤニヤと笑っているかのような陽気な声を出す。
 『でもおまえってさ、好きな女の前ではもろに態度が変わるやつだったのな。二限の休み時間に見に行ったの気付いてたか? あれはもう笑えたぞ』
 「…………」
 『千秋も喜んでたぜ。こっぱずかしいくらい初々しいとかなんとか言って。まあ、面白がってたっつう方があってるかもしれんけど。おまえって、男のままでも女の尻に敷かれるタイプだったのかな?』
 ちょっとは真面目なことを言ったかと思えば、すぐにこれ。
 母親といい恋人といい友人といい、貴子のまわりには真面目が長続きしない人間が多いように思えてくるのは、貴子の気のせいなのだろうか。
 恋人に指摘されたら顔を赤らめてあたふたしたかもしれないが、護に言われても心が固くなるだけだった。貴子は意図的に冷淡な声――少なくとも本人はそのつもりの声――を出した。
 「用はそれだけか?」
 『はは、ああ、まあな。じゃまして悪かったな。もちっと落ち着いたら一緒にめしでも食うって話になってるんだろ? その時にでもいいから、ナレソメからじっくり聞かせてくれよ』
 「何が馴れ初めだよ。おれもおまえと松任谷さんの馴れ初めなんて聞いたことないぞ」
 『お、聞きたい?』
 「――暇があったらいつかな。もう切るよ」
 言いたいのかおまえは、と思いながら、貴子は少し呆れたように言う。へいへい、と応じる護の声はずっと笑っていた。
 『ま、おめでとうって言っておくよ。脇坂と両想いになれてよかったな』
 「…………」
 『じゃ、またな。おやすみ』
 護は最後まで笑みを含んだ声でそう言うと、貴子が何も言えずにいるうちに電話を切った。
 「……キザなやつ」と思えばいいのか、「さすがに松任谷さんが惚れるだけのことはある」と思えばいいのか、それとも「いい友達を持ったかな」とでも思えばいいのか。
 「槙原の奴、おれを世慣れぬ弟分とでもみなしてるつもりなのか……?」
 とまで貴子は思ったが、その感想は、護が聞けば笑っただろう。「いやいや、そんな黄色い声で弟とか言われてもな。妹分だろ、今は」などと反論が飛んできて、貴子はかなり釈然としない思いを味合わされたかもしれない。実際に口に出してみた時、「いっそお兄ちゃんとでも呼んでみるか?」とふざけられて、護の恋人と一緒にかなり冷ややかな目を護に向けることになるのだが、それはまた後日の話だ。
 ちょっとだけそんなことを考えた貴子だが、すぐに着信音が鳴り響いて、ビクッと身体を揺らした。
 今度こそ間違いない。恋人専用に登録した着信音。
 貴子はドキドキしながら、即座に電話に出る。
 とたんに、貴子が口を開くより早く、相手は挨拶もそこそこに、少しきつい声を投げてきた。
 『貴子? 十時に電話するって言ったのに、だれと電話してたの?』
 ちょっと不満げな嫉妬の篭った、恋人の声。
 貴子はあたふたと慌てて彼女に答えながら、頭の中で護を責めた。そんな貴子の内心を護が知れば、「せっかく気にして電話してやったのに、相変わらず友達がいのないやつだなぁ」とでも笑ったことだろう。すぐに貴子の頭から友人のことはきれいに抜け落ちて、恋人との電話だけに集中したのだからなおのことである。
 怒って見せたのは半分演技だったのか、簡単に機嫌を直してくれたガールフレンドとの電話は、話が四方八方に飛び回った。
 ほのかの部活の先輩方のことや、陸上部の練習のこと、十月の都大会のこと。同じ学校に通っているほのかの従妹たちのことや、明日は秋茄子を使った料理を作るらしい調理部のこと。そして帰り道の会話で映画に決まっていた、日曜日の初デートのこと。
 あまりにも以前の自分の声とは違いすぎる今の声を、貴子は電話だと強く意識させられるが、彼女が楽しげに笑っていてくれるから、話をしている間はネガティブにならずに受け止めていられた。無意識のうちに、貴子も時々笑みをこぼす。
 この時の二人の甘すぎる会話をだれかが聞いていたら、やはり見聞きしている方が恥ずかしくなったかもしれない。
 その夜貴子は、母親が帰ってくるまで、恋人と初めての長電話をして過ごした。





 to be concluded. 

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初稿 2008/02/26
更新 2014/09/15