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Boy's Emotion

  Taika Yamani. 

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  第四話
   三 「他人」


 終始ほのかのペースで学校に到着し、到着してからも、貴子はほのかに振り回されっぱなしだった。ほのかが教室で大胆に、みなにむかっていきなり恋人宣言までぶちかましたからなおさらだった。
 ほのかは貴子の傍を離れず、まわりのみなに色々な質問をされるたびに、ちょくちょくと「ね、貴子?」と笑顔で話をふってくる。ほのかが相手では貴子も読書に逃げるわけにいかず、ぎこちなく、ついぽろぽろと馬鹿正直な本音で答え続けることしかできなかった。
 まわりもまわりで、ほのかの宣言に大騒ぎしつつ、ここ一週間のそっけなかった貴子の姿と、今のこの恥じらっているような姿との、そのギャップにもどよめいていた。
 「この場合、好きな人の前ではああなっちゃう穂積さんに呆れるべきなのかな? それとも、あの穂積さんにそうさせる脇坂さんがすごいって思うべきかな?」
 「んー、穂積が男のまま脇坂と付き合った場合も、ああだったかどうかによるんじゃない?」
 「あーん、穂積さん、もうとっても可愛い! 脇坂さんもなんだかいつもより可愛いし、二人ともいいなぁ!」
 貴子たちと同じクラスの松任谷千秋、藍川志穂、宮村静香の三人なども、遠くから眺めて思い思いのことを言いあっていた。
 「あれで元男とか言うんだから、また穂積のこと気持ち悪いとかいう奴もでてきそうね」
 「志穂ちゃん! まただめだよ、そんなこと言っちゃ!」
 「わかってるよ、あたしはもう言わないけどさ。言うやつもいるだろうってこと。相手が脇坂だし、やっかみも多そうでしょ」
 「…………」
 現実的な志穂の言葉に、千秋は少し難しい顔をしたが、まじめなのは千秋だけだった。静香はすぐに、貴子が聞けば冷たい視線を向けるであろうことを言う。
 「でもあの様子だと、穂積さんの方がネコなのかなぁ? 脇坂さんのこと、ほのかお姉さまとか呼んじゃったり〜?」
 「ねこって……」
 「はは、どうかな? 穂積もベッドの中ではまた豹変するかもよ? だいたい、ビアンだからってお姉さまとかいうの、静安直すぎ」
 「……べっど」
 「えー、志穂ちゃんそれ、全国一億五千万のファンを敵に回したよっ!」
 「あはは、なんのファンでどこの国よ、その数は」
 などなどと、好き勝手に騒ぐ三人に、そのうちまわりの生徒たちも口を挟んできて、言いたい放題盛り上がる。
 そんな外野をよそに、当事者の貴子の方は結構大変だった。
 一、二限の休み時間などは、女子陸上部の新キャプテンを含む他のクラスの生徒やほのかの去年の同級生や、ほのかを可愛がっていた部活の先輩なども様子を見にくる。彼彼女たちは、ほのかから貴子の紹介を受けたりしつつ、「しっかし脇坂がまさかレズだったとはね」「ほんと、ほのかちゃんがそんな趣味だったなんて全然知らなかった!」などなどと率直に騒いでいた。ほのかに親しい人たちが、ほのかに恋人ができたというニュースに興味を持つのは無理もないが、ほのかが同性愛者だったというのはみなの意表をついていたようで、貴子の予想以上の大騒ぎだった。
 当然のごとく、貴子に話しかけてくる生徒もいた。「脇坂さんになんて告白されたの?」と、生徒会の上級生男子になれなれしく言われた時など、貴子は「他人には関係ないだろ」と言いたくなったが、さすがにほのかの前で、ほのかの知人友人に簡単にケンカを売るわけにもいかない。ただでさえ不安や緊張で感情をかき乱されていた貴子は、ほのかがふってくる言葉に応じるのだけで精一杯だったせいもあって、紹介もされていない相手に対しては、素直な気持ちで無視という態度を取った。
 それが客観的には、はにかんでいるというふうに見えるのだから、本人の意図しないところで、貴子の容姿は影響力を発していた。ほのかの相手が元男と知って不快感をぶつけるつもりの男子生徒もいたようだが、そんな貴子とほのかの態度に、ろくに何も言えていなかった。これまで貴子を黙認していたはずのクラスの男子の一部も、どこか気にくわなそうに貴子を見やっていたが、口出しはまったくできていなかった。
 逆に女子の先輩の中には、「さっすが、ほのちゃんが選んだだけあって可愛い子だねっ」と調子に乗って貴子にさわろうとする人もいて、どこまで本気なのか「あ、ダメですよ、小夜先輩! 貴子にさわっていいのはぼくだけなんですからっ」とほのかが貴子を素早く抱きよせる場面もあったりした。貴子は他人との会話のほとんどをほのかに任せていたが、ほのかのそんな言動は、貴子の心を揺らしまくりだった。
 二限の休み時間には、噂を聞いてさすがに真偽を確かめたくなった五組の槙原護も、たまたま途中で遭遇した友人と一緒に二組にやってきた。
 その友人――ごついガタイをしている堅物と評判の野球部の新主将――が「あれがあの穂積なのか……」などと呟くのを横目に、護は恋人の松任谷千秋と合流して、遠くから貴子の様子を見て、千秋たちと一緒にちょっと笑っていた。先日から髪を極端に短いスポーツ刈りにしている護は、彼も脇坂ほのかが同性愛だったらしいというニュースは驚きだったようだし、貴子の態度にはつっこみを入れたい気分になったようだが、とりあえず友人の恋愛を無用にかき回さずに、笑って様子を見るだけの余裕を持っていた。その程度のデリカシーは持ち合わせている男だった。
 三限の休み時間は、貴子は授業が終わるなりトイレに立った。現実的な生理的欲求もあったし、さすがにまわりの反応に疲れていたこともあった。ほのか本人との付き合いは望むところだが、その知り合いとの付き合いまではやっていられない。
 「あれ、貴子、どこ行くの? つぎ貴子は生物でしょ」
 「あ、ちょっと、トイレに……」
 またすぐに貴子の傍にやってきたほのかはそう見咎めたが、返事を聞くと貴子を一人で行かせてくれた。貴子はほっとしたが、ほのかの内心を知ればまた別の感慨を抱いたことだろう。
 この時のほのかは「ぼくも一緒に行こうかな?」と考えたのだが、緊張しすぎな様子の貴子に、なんとか我慢して自制しただけだった。ほのかとしては「貴子も、何もそこまで緊張することはないのに」と思うのだが、ほのかにも貴子の内心は読めない。そんな貴子も可愛く、先週は冷静だった貴子をそんなふうにしているのが自分だと思うと嬉しい心理もあるが、「なれなれしくしすぎると嫌われるかも」といったような不安は、実はほのかの方にも存在した。
 それでも姿勢が前向きなのは、性格の違いであり、一度告白してふられた者と、ほぼ九割の確信を持って告白してOKの返事を貰った者の違いでもあるのだろう。
 貴子はほのかを普段通りと思い込んでいるが、ほのかもほのかで緊張があり、こうとしか振る舞えないだけだった。ほのか自身、自分の気持ちを露骨にいっぱいにぶつけている自分がちょっと気恥ずかしいと思う心理もあるのだが、貴子に対してはどうしてもハイテンションになってしまう。貴子が拒絶しないから、なおのことテンションが上がる。一歩間違うと悪循環に陥っていたかもしれない。
 そんなほのかだから、なかなか貴子が戻ってこないと、すぐに落ち着かなくなった。
 『おっきい方かな』とか『もしかしてアノ日かも』などと下なことも考えたが、堪えきれなくなって席を立ち上がる。また騒ぎにきていた友人や先輩方にはお手洗いと断って、「ついでに彼女も探してイチャイチャしてきますね」とにっこり堂々と宣言して、みなの前から逃げ出してトイレに向かう。
 その貴子は、用を済ませて手を洗ったところで、千秋と静香と志穂とに捕まっていた。
 ほのかやその友人たちのせいであまり貴子に近付けなかったから、三人は機会をうかがっていたらしい。「穂積さん、おめでとう!」と笑顔で言ってくる宮村静香に、貴子はちょっと返答に困った。
 もっとどうでもいい相手ならうんざりして冷たく返すのだが、ここ一週間で三人との距離は微妙に縮んでいる。特に、身体全体で貴子の味方だということをアピールする静香は、貴子のマイナスの感情を不思議と刺激しない。「二人ともとってもお似合いだよね!」と本気の顔で無邪気に言われてしまえば、貴子にはもうお礼しか言えない。
 「穂積さんも脇坂さんも、少女漫画だったら、バックに白百合の花でも背負ってそうな感じよね」
 「はは。はまりすぎて怖いね、その例え」
 「…………」
 横で笑う松任谷千秋と藍川志穂には容赦なく冷たい視線を向けたが、三人には強がっているようにしか見えないのか、それすらも笑われて話の種にされてしまった。
 本人は冷たいつもりの無表情を作る少女と、傍目にはちょっと拗ねたような表情にも見えるその可憐な少女を囲んで、楽しげに話をする同級生たち。
 それが、ほのかが見つけた時の貴子たちの光景。
 「貴子、戻ってくるのおそーい!」
 ほのかは笑顔で貴子に近付いたが、その声に嫉妬の感情が混じっていることに、気付いたものは気付いた。
 「ご、ごめん……!」
 謝る必要はないのに、とたんに緊張した様子になって謝る貴子に、ほのかは横から抱きつく。そうやってしっかりと恋人を確保して、ほのかは凜とした視線でまわりの三人を見やった。
 「藍川さんたちも、ぼくの貴子を取っちゃだめだよ」
 抱きつかれて鼓動を跳ねさせた貴子は気付く余裕がなかったが、冗談めかしているだけでその言葉にも本音が混じっていることに、気付いたものは気付いた。
 「脇坂さんも、本気で本気なのね」
 「二人ともいいなぁ」
 松任谷千秋はちょっと感心したように笑い、宮村静香はいったいどういう意味なのかそう繰り返す。藍川志穂は、顔は笑っていたが、言うことはなかなかシビアだった。
 「だれも取らないよ。そんな独占欲剥き出しだと、穂積に嫌われるんじゃない?」
 「大丈夫だよ。嫌われてもそれ以上に好きになってもらうから」
 ほのかは取り乱したりせずに、不安や緊張を微塵も表に出さずに、彼女らしく凜然と笑う。
 貴子の心を直撃するような、ほのかの発言だった。貴子は思わず反射的に言い返した。
 「嫌いになんて、なれないよ」
 華奢だがはっきりしたその声は、ほのかの心にも影響を与えたようで、ほのかは「うん! ぼくもだよ」と本当に嬉しそうに笑い、さらにぎゅっと貴子の身体を抱きしめた。
 「うわぁ……」と顔を赤らめたのは千秋で、志穂は「なんっていうか……、もうごちそうさまって感じ」と天を仰ぐ。静香も「千秋ちゃんたちも見てらんないけど、脇坂さんたちももっとすごいねー」とやけに身近な例えを出して感嘆した。
 もしも貴子が男のままであれば、男子生徒が女子生徒に横から抱きつかれて赤い顔で立ち尽くすという、少し情けない図になったのだろうが、今の二人では印象が全く違っていた。
 身長の六センチほどの差は、些細な差に見えて、全体的な体格にも確実に影響を及ぼしている。肩の高さにも六センチ近い差があって、「貴之」はほのかが大きいなんて思ったことはなかったが、今となっては貴子の方があきらかに小柄だった。ほのかの両腕は、貴子の胸と背中を抱くようにしっかりと貴子の身体を包み込み、ほのかの胸のふくらみも貴子の一方の腕に横から押し付けられている。
 その貴子の身体からは、貴子自身には自覚のない、今の貴子の身体が持つ自然な香りも漂って、今朝のバニラの残り香とともに、ほのかの鼻腔を甘くくすぐっていた。
 「わ、わたしは、さすがにこれほどじゃないと思うけど……」
 もごもごと言う千秋に、ほのかは貴子を抱いたまま明るい笑顔を向けた。
 「松任谷さんの彼氏って、貴子の友達なんだよね。みんなも仲いいの?」
 「わたしはそんなでもないよ〜。千秋ちゃんと志穂ちゃんは、中学から一緒なんだよね」
 「あたしも、槙原と同じクラスになったのは一回だけよ」
 自分を包み込んでいるほのかの身体を意識してドギマギしている貴子をよそに、ほのかと三人の会話が弾み始める。普段頻繁には話をしていなくとも、四人の性格とこういう状況のせいで、みなの話題は尽きないということなのだろうか。
 「今度さ、その人も誘って、一緒にお昼ご飯食べない? 貴子の友達なら、ぼくも一度会っておきたいし」
 「いいけど、ろくなやつじゃないよ」
 自分の彼氏なのに――自分の彼氏だからこそなのか――、千秋は結構きついことを言う。そんな素直ではない千秋を志穂が笑い、静香も「もー、千秋ちゃんてば、愛し合っちゃってるくせに〜」とニコニコする。
 「だ、だれがなによ!」
 ちょっと赤くなって静香の首に腕を回して締めにかかる千秋を、ほのかも一緒になって笑っていた。
 余裕があれば貴子も少しは笑ったかもしれないが、まだ簡単には緊張は解けない。
 『貴子ももっと笑えばいいのに。ただでさえ可愛いんだから、笑うと絶対もっと可愛いのに』
 ちらりちらりと貴子を見るほのかがそう思っていることに気付かずに、貴子はほのかの腕に包まれたまま小さくなって――実際今の貴子はほのかより小さいが――、自分の胸元あたりにある彼女の腕にそっと手を添えて、ずっとうつむきがちに大人しくしていた。
 好きな女の子の前だからと言って、変に意地を張ったり無理にカッコつけようとしたりしないのは、貴子の長所と言っていいのか、短所と言うべきなのか。貴子も頭の片隅では『なんか立場が逆だよなぁ……』と思ったりして情けなさも感じていたが、それ以上に今は、ほのかとくっついているだけで、心が震えるほどの嬉しさがある。
 大好きな女の子のきれいな声を間近で聞きながら、そのぬくもりと柔らかさと甘い香りとを、貴子はこっそりドキドキと満喫した。



 四限は理科の選択授業で、生物を取っている貴子は二組に残り、物理のほのかは物理教諭の指示で第二理科室へと出かけていく。ほのかは嘆いていたが、さすがにこれはどうしようもない。理社の他の選択授業は同じものを選んでいるだけ、まだましな方だった。
 貴子はほのかの視界から離れて、ちょっと気を抜いたが、身勝手な物足りなさも感じたりした。これまでの授業中は、一列右横二つ後ろの席のほのかの視線を強く意識していたものだが、今はその視線が存在しない。合同授業になる他のクラスの生徒たちの視線を感じないでもなかったが、ほのかの視線に比べれば全然少しもまったく意味がない。
 そんな物足りなさを感じると同時に、冷静さが少し戻ってくると、いつも通りに見えるほのかの態度に不安を抱いたりもするのだから、貴子の心理は安定しているとは言いがたかった。今の自分の身体や声が元の男の身体とはあまりにも違いすぎることへの鬱っぽさや、普段どおり振る舞えない自分への情けなさも強く湧き上がり、感情は千々に乱れる。
 どこまでそんな貴子の気持ちがわかっているのか、ほのかは四限が終わると速攻で戻ってきた。「寂しかったよー」と大げさに抱きついてくるほのかに、貴子はわたわたしたが、この場にいない母親がそんな我が子を見れば、慌ててるけどなんだかんだで嬉しそうだと察して、また本気で悔しがったかもしれない。
 昼休みは、新生徒会長のほのかは生徒会の用事で、また二人別行動だった。ここ三日、昨日から明日までは、昼休みを使って、任期が今月末までの現生徒会からの引継ぎなどが行なわれている。執行委員の選出、生徒会の一年間の活動計画の立案、来年度の予算案の組み立てや、各種クラブの体育館グラウンド部室の使用割り当ての見直し、十一月の樟栄祭関連、ボランティア活動の年間予定、冬休みのスキー旅行の企画などなど、この時期に話し合っておくべきことは多いらしい。四日後の十月一日土曜日からは、新生徒会の初活動である毎年恒例の朝の挨拶運動もあるし、十月の下旬には生徒総会も待っている。
 「えーん、貴子と一緒に食べたかったのにぃ」「ぼくは去年もやったんだから、いちいち引継ぎなんかいらないのに」「鳥羽さんたちに任せてればぼくいなくたって平気だよ!」「だいたい、ご飯食べた後で集合でもいいはずなのに!」「生徒会長なんてならなきゃよかった!」「体育は一緒に行こうね! 教室で待っててね!」などなどと、騒ぐだけ騒いで、ほのかは貴子を置いて、クラスメートの執行委員の男子に声をかけて出かけていった。
 残された貴子は、生徒会役員の男子に対する一方的な不快感と、なんとなく今まで感じたことのなかったような切ない気持ちを抱きつつ、悶々としながら歯磨きセットと文庫本を取り出し、スカートのポケットに入れて学食に行こうとしたが、ほのかがいなくなるなり、昨日まで会話がなかったほのかの友人たちに囲まれた。
 ほのかと同じ陸上部の菊地愛梨や、愛梨と仲がいい西条真子や遊佐和泉など、朝からほのかにかまいたがっていた面々。彼女たちはほのかの気持ちには気付いていなかったようだが、先週貴子がじっとほのかを見ていたことには、気付いていた子もいたらしい。「貴之」が三月に一度告白したことまで知っている子もいて、その時の気持ちまで、根掘り葉掘り尋ねてくる。
 ほのかと一緒の時は、貴子は深く考えずに会話のほとんどをほのかにまかせていた――ほのかは時には真面目に、時には冗談めかして彼女たちの相手をしていた――が、こうやって一人だけの時に問いつめられると、ちょっと不快感を刺激された。
 貴子の被害妄想なのかもしれないし単に相性の問題かもしれないが、率直であまり裏表を感じさせない静香たちとは違い、貴子を気に食わないと思っているような気配も、一部感じられるせいもあった。
 「いまさらカッコつけたってしかたないしょ?」
 「そうそう、ほのかさんの前ではあんなにかわいこぶってたじゃん」
 「……そうよ。男だったくせに、あんなの」
 彼女たちには、人気のあるほのかに急接近した貴子への嫉妬もあったのかもしれない。貴子が言葉を選んでいると、すぐにそう言って貴子をせっついてくる。
 貴子はこの発言で自分のスタンスを決めた。
 いくらほのかの友人とはいえ、貴子とはろくに話したこともないのに、いきなりなれなれしすぎだった。だれとでも笑顔で話せて、だれとでも簡単に仲良くなる――ように貴子には見える――ほのかとは、貴子は違う。
 貴子が大人になって穏便に付き合うのが賢明なのだろうが、正直うざったい。いくら恋人の友人とは言え、善意を感じられない相手に対して善意で接しようとは思わなかった。不要な敵を作る行為かもしれないから、自分を過大評価していない貴子としてはリスクも感じるが、貴子は計算だけで動けるほどまだ大人ではなかった。ほのかの友人に嫌われたらほのか相手にもマイナスだろうから、ほのかに媚びているようにその友達にも媚びてポイントを稼ぐべきなのかもしれないが、貴子は自分でもああとしか振る舞えないだけで、ほのかにも媚びているつもりはない。
 「悪いけど、これからご飯だから。どいてくれないかな」
 冷たい視線を向け、容姿や声からすると不釣合いなきつい口調で、貴子は言い放つ。
 ここで相手が色めき立ったりしたら面倒なことになったのかもしれないが、貴子にとって都合がいいことに、まわりは怯んでくれた。
 冷静な第三者から見れば、本人の意図と無関係に「大人しい女の子がどこか一生懸命に強がっているような印象」にもなっていたが、真正面のクラスメートたちには充分通用していた。
 ほのかの前とはあまりにも違いすぎる、貴子の態度。
 教室に妙な沈黙が広がりかける中、動いたのは様子をうかがっていた松任谷千秋と藍川志穂だった。
 「穂積さん、今日も学食よね?」
 「さっさと行かないと席なくなるよ」
 ちなみに宮村静香は、後ろで「やっぱり穂積さんは穂積さんだよねー、うんうん」と変な感心をしている。リアクションを警戒していた貴子は、『また松任谷さんたちに余計な気を遣わせてるな』と思いつつ、それにのった。小さく頷いて、千秋たちの方に歩く。
 「ちょ、ちょっとぉ。友達のこと気にしてなにが悪いって言うのよぉ?」
 「そ、そうよ。ほのかさんのこと気にして話しかけてあげたのに」
 少し焦ったような、西条真子と菊地愛梨の声。
 貴子は数秒だけ、足を止めた。
 「脇坂さんにいい友達がいるのはいいけど、おれは脇坂さんとは違うから。おれのことはほっといてくれ」
 半身で彼女たちを見やって、貴子は愛らしい声や容姿には不釣合いな言葉遣いで、はっきりとした声音でそれだけ言うと、いつも通り背筋を伸ばしたしゃんとした姿勢でまっすぐに歩き、もう振り返らなかった。
 志穂は「おー、カッコいいー」と茶化すように笑って、貴子に続く。「似合ってるんだか、似合ってないんだか……」と少し困ったような微苦笑を浮かべたのは千秋で、静香は何事もなかったかのような顔で「穂積さん、たまにはお弁当作ったりしないの? 作ったげると脇坂さんも喜ぶんじゃないかなぁ?」などと、貴子に明るく話しかける。
 「菊地さんたちごめんね。でも、穂積さんってあんなみたいだから、あんまり気にしない方がいいよ」
 すぐに貴子を追った志穂と静香と違い、千秋はスタートを遅らせて、少し世話焼きなところを発揮していた。苦笑気味にそう言って、傍観していた他の面々に「後はお願い」と言いたげなすまなそうな顔を向けてから、貴子たちの後を追う。
 が、あいにくと千秋のそんなフォローもあまり効果がなかったようで、四人が教室を出たところで、「な、なによ、あの態度! ほのかさんに気に入られてるからって、なんかむかつくわ!」などという声が教室から聞こえてきた。それ以上は貴子たちには聞こえなかったが、宥める声もあれば同意する声もあり、貴子に対するまわりの感情も単純とは言い難いらしい。
 『朝から緊張しっぱなしだから……。ちょっと神経過敏になってるのかな。もうちょっと言い方があったかも』
 食事中、貴子は内心少し反省したが、反省を超えることはしなかった。勘違いされているようだが、千秋の言う通り、ほのかに告白される前から貴子はそんな性格で、ほのかの前での態度の方がどちらかと言うと変なのだ。ある意味、幼くなっていると言える素直すぎる振る舞いで、貴子は恋人の前で普段通りに振る舞えない自分が自分でも情けないが、それでも自然に振る舞った結果にすぎない。貴子はほのかとは喜んで付き合う気満々だが、やはりほのかの知人たちとまで無条件に親しくなるつもりもない。
 「まあ、菊地たちも、脇坂に急に近付いた穂積にいろいろあるんでしょ。脇坂って、今まで特定の誰かと極端に仲良くするのって、あんまりなかったみたいだし」
 「脇坂さんって、友達多いもんね〜」
 「特に仲いいのって、五組の福山さんくらいかな? って言っても従姉妹みたいだけど」
 「あれ、千秋、五組の福山と知り合いだっけ?」
 「え、全然。話を聞いたことあるだけよ」
 「脇坂さんと福山さんって、お昼に中庭とかでも結構見かけるよね〜。部活の子なのかなぁ? 他の一年生とかも一緒に〜」
 話がほのかの交友関係の方に流れる中、貴子は学食でも「あの脇坂ほのかが付き合い始めた元男の女」ということで目立っていたが、本人は黙殺しまくった。千秋たちのふってくる話に言葉少なに付き合いつつ、貴子はもぐもぐと昼食を取る。ほのかの友人のことよりも、生徒会に出かけているほのか本人のことや五限の体育のことをついつい考えてしまうから、千秋たちに対する反応も気もそぞろだった。



 学食や購買のある三号館一階は、学食の手前、渡り廊下を渡ってすぐの場所はミニホールになっている。壁の一面がガラス張りの明るい空間で、ちょっとした談話コーナーとして椅子とテーブルも広げられて、昼休みはここで昼食を取る生徒やひなたぼっこをしている生徒の姿がいつも見られる。
 このミニホールは各種活動の成果物を飾る展示コーナーも兼ねていて、美術部などの作品や、美化委員か華道部あたりが用意していると思われる花も飾ってある。図書室のオススメ本の紹介や新刊案内、各種の統計情報や読書会・文化講座のお知らせなども張り出されて、数種類の新聞も置かれている。
 食後、食べるのが遅い宮村静香を見捨てて一人で学食を出た貴子は、三号館二階にある図書室に向かうためにそのミニホールを突っ切ったが、そこでほのかの知り合いに遭遇した。体育の着替えのことなどを思って悶々としながら歩いていると、前方から陽気な声がふってきたのだ。
 「あ、わ! 貴子ちゃんだ! ゆかり、あれがほのちゃんの彼女ちゃんだよ! 貴子ちゃーん! やほー!」
 午前中もわざわざ二年の教室にまで騒ぎに来ていた、三年生の女子生徒。
 彼女は別の三年生女子と一緒で、貴子はその二人の名字を知っていた。ほのかが所属している女子陸上部のキャプテンだった人たちで、声をかけてきた陽気な先輩は榎木小夜子、もう一人の小柄な先輩は武村ゆかり。二人ともすでに部活は引退しているようだが、彼女たちがほのかを可愛がっていたらしいことも、貴子は知っていた。生徒会選挙の運動期間中など、たまに二年二組にもやってきて、何かとほのかに協力していた先輩たちでもあった。
 貴子は「彼女ちゃん」とか「貴子ちゃん」などと呼ばれて、無視したい衝動に駆られたが、教室とは少し状況が違う。男のままならぞんざいにあしらったかもしれないが、「女子社会」の仕組みはまだよくわからないし、女子の方が男子よりも陰湿かもしれないという偏見もあった。ただの先輩と言うには二人はほのかとの距離が近いようだし、学校という狭い社会で、上級生に名指しで呼ばれて一方的に無視してのけるほど考えなしにもなれない。相手が形だけでも友好的に接してくるなら、最低限挨拶くらいはして、冷静に相手の出方を窺うべきだった。拒絶するのはその後からでも遅くはない。
 貴子は今の自分の女の立場に少し鬱っぽさを感じつつ、足を止め、軽く会釈をするようにおじぎをした。
 「こんにちは」
 短い髪と長めのスカートが微かに揺れ、細く澄んだ少女の声が、貴子の唇からこぼれる。
 「あはっ、はい、こんにちわ!」
 普通に挨拶をして、上級生に対して軽く会釈をしただけなのに、なぜか榎木小夜子先輩には楽しげに笑われた。もう一人の武村ゆかり先輩は「……折目正しいのね」と呟くが、その声は小さく、貴子にも小夜子にも届かない。
 「ほのちゃんは一緒じゃないの?」
 「……脇坂さんは、生徒会の方に」
 貴子の言葉は短く、口数も少ない。ただでさえ容姿も声も繊細なのにそんな態度だから、今の貴子は引っ込み思案な大人しい女の子と誤解されやすい。榎木小夜子もそっけないとは受け取らなかったようで、「ああ、そう言えば何かあるって言ってたね」と明るく笑った。
 「あは、今ごろ小嶋さんたちに質問攻めにされてそうだなぁ。せっかく付き合い始めたのに、お昼一緒できなくて寂しいね」
 「…………」
 この人もいきなりなれなれしすぎるな、と貴子は感じた。からかっている風ではなく好意的な発言だからまだましだが、貴子に言わせれば余計なお世話である。
 ちなみに、小嶋さんというのは、ほのかの姉の後輩にもあたる、任期が今月末までの現生徒会の女子の副会長さんだ。人付き合いが悪い貴子とは比べるのが馬鹿らしくなるくらい、ほのかの交友範囲は広い。
 「ね、とっても可愛い子でしょ? この子が噂の、ほのちゃんの彼女ちゃんだよ」
 「そうみたいね」
 榎木小夜子に話をふられて、武村ゆかりは短くそう答えると、一歩足を踏み出した。
 「小夜子、もう行きましょう」
 「え、なんで、せっかくチャンスなのに」
 「話があるなら、ほのかが一緒の時にしたら? こんなところでろくに知らない相手に呼び止められても、その子も迷惑でしょう」
 貴子の気持ちを敏感に察したのか、少し集まりつつある外野の視線を気にしたのか、または単に常識的な気配りなのか。ずばり貴子の気持ちを言い当てた武村ゆかりに、榎木小夜子は「えー」と唇を尖らせた。
 「貴子ちゃん、そんなことないよね?」
 貴子は一瞬だけ考えてから、できるだけ穏便な表現を使って、本音で応じた。
 「ええ、少し困ります」
 真っ向から困ると言われると思わなかったのか、武村ゆかりはちょっと興味深そうに貴子を見やり、榎木小夜子は口で「がーん」と言った。
 「ほのちゃんって、そんなにヤキモチ焼き? 貴子ちゃんが他人と話すだけで妬いちゃうの?」
 これは少し予想外の榎木先輩の反応だった。一瞬、貴子の理性は「頷けば話が楽になるな」と、打算的なことを考えた。
 が、それは恋人を悪役にするようなものだった。貴子はここでも、正直にありのままの事実を話した。内心「そんなに嫉妬してくれたらいいな」と思ったりした貴子は、自分から人生の墓場に片足をつっこみたがる傾向があるのかもしれない。
 「脇坂さんは関係ありませんよ。おれがこんな性格なだけですから」
 相変わらず、可愛い声や容姿に不釣合いな、貴子の物言い。少しは言葉遣いも取り繕えばいいものを、急にこの手の発言をすると、特に初対面の相手には違和感が強烈だった。
 「おれ〜〜!?」
 「…………」
 榎木先輩が大きな声を上げ、武村先輩も驚いた顔をする。が、すぐに武村ゆかりはその驚きを消した。「そう言えば、ちょっと前まで男っていう話だったわね……」と小さく呟く。
 「うー! 貴子ちゃん!」
 榎木小夜子は立ち直ったかと思うと、急に貴子の方にぐいっと両手を伸ばした。
 小夜子としては、貴子の両肩を押さえた上で、正面からなにか言いたかったのかもしれない。が、とっさに、貴子はスカートを揺らしてひょいと横に避けた。
 「あわ!」
 手がスカッと空気を抱き、小夜子は自分の身体を抱きこみながら二歩進んで、くるりと振り向く。
 「な、なんで逃げるかなぁ!」
 「……それは逃げたくもなるでしょう」
 ちょっと呆れたように言う武村ゆかり。貴子は色々な意味で「大丈夫ですか?」と問うわけにもいかず、冷静な視線で無言をキープだ。鬱陶しいから、もう早くこの場を離れたかった。
 「うー、貴子ちゃん! 男だったかなんだか知らないけど、そんな言葉使っちゃダメだよ! ほのちゃんに嫌われちゃうよ!? っていうかー! ほのちゃんといた時と性格違ってないー!?」
 「……おれはおれですから。もう失礼しますね」
 一方的に糾弾されるいわれはない。貴子はそれを利用して逃げにかかった。どうしても冷ややかになりそうな感情を抑えてそれだけ言うと、さっと身を翻した。
 「あ! 貴子ちゃん!」
 「小夜子! そのくらいにしなさい。今日会ったばかりのあなたが何を言うつもりなのよ」
 「でも! ほのちゃんの彼女なのに!」
 「本人たちだって色々考えてるでしょう。いい先輩でいたいのなら、ほのかが相談してきた時にでも話に乗ればそれで充分よ」
 「でもでもでもだってほのちゃん、好きな子ができたってことも、百合ってことも相談してくれなかったし! わたしそんなに頼りない先輩かなぁ!?」
 「ほのかはあれでしたたかだし、何かあったら頼ってくるわよ。あなたを嫌ってはいないから、いいじゃない、それで」
 「でも! ほのちゃんの彼女ちゃんとも仲良くなりたかった!」
 「……そうね。なかなか、面白そうな子ではあるわね」
 貴子はすでに立ち去っていたが、先輩たちのこの会話を最後まで聞いていれば、ほのかがまわりに好かれていることを改めて実感しただろう。と同時に、自分に興味を持たれても、やはりいい迷惑も感じただろう。
 「あの子、ほのかの前だとそんなに違う?」
 「言ったでしょ、もじもじしちゃってもうむちゃくちゃ可愛かったって。ほのちゃんもほのちゃんで、もうはめをはずして幸せ絶好調って感じだし、ゆかりも絶対驚くよ」
 「はめをはずすほのかも、珍しいわね」
 「そうだよ。あ、五限の休み時間にでも、ゆかりも行ってみない?」
 「……わたしは遠慮しておくわ。そのうち機会もあるでしょうし」
 「今がチャンスだったのに!」
 「ほのかが一緒ならね」
 「一緒じゃないから、いろいろ聞けたかもしれないのに!」
 「あの子、そう簡単に何でも話してくれそうじゃなかったわよ。見た目に騙されない方がいいんじゃない?」
 「う〜。さすが、ほのちゃんが選んだ子ってことなのかなぁ?」
 「……そうね、ほのかとは、ちょっと話してみたいわね。放課後、部活に顔を出してみましょうか」
 「ほのちゃん、昨日サボったみたいだよ。今日来るかな?」
 「三年が抜けたからって、二日も連続でサボるなんていい度胸じゃない。その時は後でしっかりとしぼらないとね」
 あれやこれや話しながら、先輩方も歩いて行く。
 貴子とほのかが付き合い始めて最初の昼休みは、あちこちで波紋を広げながら、いつも通りの速さで過ぎていった。








 to be continued. 

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初稿 2008/02/26
更新 2008/02/29