夢の続き
Taika Yamani.
第九話 「今だけだから」
十月の希の誕生日までに、怜悧から話しかけてきたら絶交という条件を、怜悧に突きつけた希。
そんな希と仲良くしなければもう絶交だという条件を、幼馴染みの三人の女の子に提示した怜悧。
その結果、その三人の女の子、かつて希をいじめていた三馬鹿トリオは、打算全開で希に話しかけるようになった。同時に、希と怜悧との間の条件を知った彼女たちは、希から怜悧に話しかけるのを最大限邪魔するようになる。
そんなトリオとの仲は、はじめは打算で始まったが、すぐに三人が堪えきれずに希に絡み、希がそれを笑って受け流すという奇妙な関係に落ち着いた。怜悧などは「どこが仲がいいんだ?」と思っていたようだが、希自身が「あの三人とは仲良しだよ」と、怜悧に向かって言い切るため、怜悧と三馬鹿トリオの関係も一定距離で落ち着いていく。
その結果、クラスの雰囲気が、正確には希に対するクラスの女子の雰囲気が変わった。
これまで、クラスの女子たちは、希に対して一歩も二歩も距離を置いた態度で接していた。一年の時いじめられっ子でありながら、一年後半からそれを独力で打ち破った希。高等部のアイドルと言われる怜悧と付き合っているという噂のある希。実際に怜悧がとても親しくする希。さらに一年の時は痩せててがりがりだったのに、二年になるまでの間に、体重と身長が増えて健康的に可憐になった希。
色々な要因が希と他の生徒たちの間に壁を作っていたようだが、三馬鹿トリオが希と表面上は親しくし始めることで、クラスの他の女子たちも、はじめはおずおずとだが話しかけるようになっていく。
一度仲良くなり始めると、加速度的にそれは広まった。もともと、色々な意味で希に興味を持つ生徒が少なくなかったこともあるのだろう。六月の体育祭ではぎこちないながらも一緒に応援に精を出せる友達もできたし、暑くなってから始まったプールの授業では水遊びができる友達もできた。
五月には下級生の友達もできていたし、希の交友関係はここにきて急速な広がりを見せていた。
「最近、おまえご機嫌だな?」
となると面白くない人間がここに一人。
はじめは嫉妬しつつも、希に友人ができることを多少はよい傾向だと思っていたようだが、すぐにそのメッキは剥がれた。自称「希の彼氏」である朝宮怜悧は、その日ぶすっとしていた。
夏休みに入って少したったこの日、希は女の子の友人たちと遊びに行ってきた帰りだった。一日一回は希の方から話しかけるという約束なので、夕刻、二人の家から最も近いターミナル駅付近の喫茶店での待ち合わせだ。
挨拶をした後の怜悧の言葉に、希は座りながら笑った。
「うん。女の子の生活を満喫してます」
基本的に浅く狭くの付き合いしかしない希だが、「希」の記憶でも、女の子として友達と楽しく遊んだという経験は少ない。正直新鮮で、今は素直に楽しんでみようと思っている希だった。いじめられていた時に何もしてくれなかった面々だけに、心を開くことはできないが、それでも充分に楽しめる。
「おまえ、このごろ付き合いが悪すぎる」
「家も遠いのに、休日にも毎日会ってるだけで充分すごいと思うんだけど」
「ここずっと休みの日は会うだけじゃないか。最近は少ししか一緒にいてくれないし」
「友達づきあいもあるしね。それに、バイト探してたから」
「バイト?」
「うん」
希が頷いたところで、ウェイトレスが水を持ってきた。希はメニューを見もせずに、リンゴジュースを注文する。店員が去ると、怜悧はさらに詳しくつっこんだ。
「バイトって何だよ? なんでそんなのするんだ? もう決めたのか?」
「夏休みだから。お金も欲しいし。午前中に面接をしてきたよ」
「何のバイトだ? いつからどこでやるんだ?」
まるで尋問でもされている気分になるが、自分から口に出したのは、ちゃんと話すつもりだったからでもある。希は一つを除いて、すべて素直に応える。
「明後日から、アイスクリーム屋さん。かき入れ時の夏季限定募集にひっかかりました」
「どこで? 何時から何時?」
「週に四回、十一時から三時。この身体でできる普通の昼間のバイトの中では、時給もいい方かな。その分忙しそうだけど」
「だからどこなんだ? どこのアイス屋?」
「それは教えない」
「なんでだよ」
「来て欲しくないし、見られたくもないから」
「ま、まさかミニスカートとかはくんじゃないだろうな!? おれも見たことないのに!」
「…………」
こいつはそういうことしか頭にないのか。
希は刹那冷たい目をしたが、口には出さなかった。そのまま普通に応える。
「タイトだけど、短くはなかったよ。それに、基本的に足なんて客に見える位置にはないし、女の子ばっかりのお店だから大丈夫。客も女の子ばかり」
「そういう問題じゃないだろ!」
ではどういう問題なのか訊きたいところだが、怜悧の独占欲に付き合っていたらそれこそ外にも出られない。希は無造作に聞き流す。
「だいたい、バイトなんかやったら色々遊びにいけないだろ。何でそんなバイトなんてするんだよ。しかも接客業だなんて」
「そういうバイトも楽しそうだから。今しかできないとも思うしね」
やはり、怜悧の顔はものすごく不満げだ。
「おれと会う時間も減るじゃないか。今日だってこんなとこで待ち合わせだし」
「電話じゃダメだって言うから」
「あたりまえだ。ちゃんと会いにくる約束だろ」
「話しかける、という約束だよ。電話でも充分のはずなのに、来てあげてるだけでも感謝して欲しいな」
「電話は話しかけるとは言わない」
「言うと思うよ」
「いや、言わないね」
「言う」
「言わない!」
希はくすりと笑って、一歩譲った。
「わがままだね、キミは」
「おまえほどじゃないよ。今日は夜飯もいいだろ?」
「うんん、六時半には帰るよ。暗くなる前に着きたいし」
今午後五時半すぎ。七月下旬で日は長いが、ちょっとのんびりすればすぐ暗くなることだろう。
「おじさんたち早いのか?」
「電話もないし、仕事でたぶん、今日も午前様」
「なら飯も食っていけよ。送ってくから」
「今日は車なの?」
お坊ちゃまの怜悧には、自由に使える運転手つきの車がある。学校なども、家が近くはないから、バスや電車でくることもあるが車でくることも少なくない。
「いや、でも送ってくから」
「んー、いい。やめとく。家で食べる」
「一人は美味くないだろ」
「気にしない」
このあたりの会話は毎度繰り返されるやりとりなのだが、怜悧はこの日もやはりふてくされた。普段なら怜悧の機嫌が戻るのを希は適当に待つのだが、この日は武器がある。希はくすくすと笑いながら、さりげなく切り出した。
「怜悧、明日はお昼、あいてる?」
「…………」
怜悧の顔が、複雑に動いた。ごまかされないぞというふうでもあり、嬉しげでもあり、何かを期待しているふうでもあり。希はテーブルに両肘をついて、笑顔のまま怜悧を見つめる。
「もしよければ、うちにくる? お昼ご飯、ごちそうするけど」
「プレゼントは希でいい」
不機嫌そうな顔を作ろうとしたようだが、怜悧の表情は思い切り緩んでいた。希は笑いだす。
「却下だよ。安物で我慢してください」
「ちゃんと覚えてたんだな。忘れてたら泣くところだったぞ」
明日は怜悧の十七歳の誕生日。希はプレゼントにハンカチを用意していた。怜悧の家は裕福すぎるので、モノを送る場合は小物でないと高級品は高くて選べない。後は手料理でごまかす予定だ。
「一度本気で泣かれてるからね」
初等部の頃の話だが、あれは手の施しようがなかった。思い出したのか、怜悧は少し頬を赤くする。
「あれはおまえが悪い。今年こそはなにかくれるよな? もうナシなんて許さないぞ」
「それもないしょ」
希が機嫌よく笑うのを見て、怜悧も笑った。ささいなことですぐご機嫌になるそんな怜悧の様子は、希から見るととても可愛い。
「家に十二時でいい?」
「もっと早くてもいいぞ」
「準備があるから早くこられても困るよ」
「シャワーを浴びたりシーツを整えたりとか?」
「……明日、急に予定が入りそうな気がしてきた」
「……ごめんなさい。調子に乗りました」
お互い、顔を見合わせて笑う。
「そういうことばっかり言ってると嫌われるよ」
「だれに?」
「わたしに?」
「と言うことは、やっぱり好きなのか?」
「さあ、どうでしょう?」
希は笑顔でしらんぷり。機嫌がよくなっている怜悧は深く追求せずに笑って、残り少なくなったコーヒーを飲み干す。
ちょうどウェイトレスが希の飲み物を持ってきたから、怜悧はまた追加オーダー。リンゴジュースにストローを突き刺しながら、希は思い出したように声を出した。
「あ、そだ、来月、会えない日があるかもしれない」
「なんでだよ?」
上機嫌だった怜悧の表情が、またいきなり崩れる。ささいなことですぐ不機嫌になるそんな怜悧の様子は、希から見てもとてもやれやれだ。
「お父さんたちが八月にまとまった休みが取れそうだから、旅行でもって。二泊三日になるみたいだから、真ん中の日だけは電話でいいかな? できれば三日とも電話で許して欲しいんだけど」
「…………」
ますます怜悧の顔が不機嫌になる。
「……キス三回」
「……またすぐそういうことを言う」
希はちょっと睨んで見せるけど、その目は笑っている。怜悧がそこでやめておけば、その条件で交渉はまとまっただろう。が、次の怜悧の言葉に、希の視線が本気で冷たくなった。
「本当はセックス三回と言いたいところだ」
「…………」
無言で冷めた表情になる希に気付いたのか、怜悧はかなり慌てた。
「そ、そのくらいしないとわりにあわないだろ! キスなんて一瞬だし」
「…………」
ますます希の瞳が冷気を帯びる。
「べ、別にまだ本当にそうしろとは言わないよ。今回は一日につき一回で、三回キスだけでいい」
「…………」
「な、なんだよ? ムチャな条件じゃないだろ?」
「……わたしたち、まだ付き合ってないよ」
希は声も冷ややかだった。
「お、お試し期間とか話したこともあるじゃないか」
「だけど、まだ付き合ってない。キスするのだって変だよ」
「お、おまえだっていやがらないじゃないか!」
「…………」
「あ、い、いや、そうじゃなくて、気持ちだから。好きだからしたいんだ」
「……わたしの心も欲しいのなら、キスなし、電話だけで、譲って」
「それ暴利すぎだろ!」
「…………」
「…………」
見つめあい、というよりは、睨み合いだろうか。冷たい希の瞳と、熱い怜悧の瞳。最近は希が折れることも多いが、この日は別だった。怜悧は希の本気を感じて、がっくりとうなだれた。
「わかったよ! あーもう、くそ!」
「……よかったね、明日が平和になりそうで」
希も、少し息を吐き出す。
「お、おまえ、それ、どーいう意味だ?」
「今頷いてくれなかったら、明日は絶対家に入れないでおこうと思ってた」
怜悧はだらだらと背中に冷や汗をかく。
「そんな勝手許されるわけないだろ!」
「どうだろうね。ともあれ、話がまとまってよかったよかった」
うんうん、とわざとらしく頷いて、両手でグラスを持ち上げる希。ストローを唇に挟んで、ジュースを吸い込む。
「なーんか、不公平じゃないか、これ」
「ん?」
ストローを唇に挟んだまま、希は首を斜めにする。怜悧は憮然とした顔だ。
「おれの立場が弱すぎないか?」
「んん?」
さあどうでしょう? という表情の希。実際希は自分の立場が強いとも思っていない。半年前ならまだしも、もう遅いことを、希はすでに知っていた。
「おればっかり求めて不公平だ!」
「じゃ、求めないでみれば?」
「違うだろ! おまえももっと求めろっていってるんだ!」
「…………」
そんなこと言われても、と希としては思う。片方が激しければ、片方は冷静にならざるを得ないではないか。怜悧がもう少しひくことも覚えれば、希も素直になりやすいのに。押しっぱなしで嫌なとこまで押し入られてしまえば、素直になんてなりようがないのだ。油断すればどこまでも踏み込まれてしまうのだから。
怜悧はさらに何か言いかけたようだが、ここでウェイトレスがまた飲み物を持ってきた。一拍の間ができる。怜悧はすぐにカップに口をつけて、じっと希を睨んだ。
希は、少し微笑む。
「怜悧は、今年の夏はなにもないの?」
「……基本的には部活だけだよ。話しただろ」
「家族旅行、行ってくればいいのに」
「今年はいいって言ったろ。おまえが一緒なら行ってもいいけど」
「去年までは行ってたよね。おじいちゃんたちに会いに行かないの?」
怜悧の母親はハーフで、その両親は海外在住でまだ健在だ。むこうが会いに来ることもあるようだが、長期休暇などは怜悧たちの方から遊びに行くのことも多い。
「今年は行かない! だいたい、もしおれが旅行行ったらおまえどうするんだよ? おれの旅行先まで追いかけて話しかけにくるのか?」
「電話で済ませます」
にこっと、笑う希。怜悧はまたぶすっとした。
「言っとくけど、緊急の時だけだからな、それは。普段はちゃんと会いにこいよ」
「わかってるよ。嫌って言うまでは、会いに行くよ」
「言うわけないだろ。なあ、そろそろおれの方から話しかけてもいいだろ?」
「だめ。もう後三ヶ月だよ」
「まだ後三ヶ月もあるんだぞ。三ヶ月くらいいいじゃないか」
「だめ」
きっぱりと希は言い切る。怜悧はテーブルに突っ伏した。
「泣きそうだ」
「…………」
希は、なんとなく、手を伸ばした。
「…………」
怜悧の身体が、一瞬だけゆれる。
なでなでと、怜悧の頭を撫でる希。「素直じゃなくてごめん」という希の心の声は、怜悧には伝わらない。怜悧は目を閉ざして、希のその手を、甘んじて受ける。
「……今日は、お昼はみんなでスパゲティを食べたよ」
「……昼も食ったのか。ほんとにだいぶ仲良くなったな」
「ホットケーキもついでに頼んだけど、おなかいっぱいになったから、残りは食べてもらいました」
「間接キスか?」
「すぐそっちにもってく」
希は笑って、怜悧の頭から手を離した。
「みんなでウィンドウショッピング、楽しかったよ」
「……よかったな、と、言うべきなんだろうなぁ」
「…………」
「…………」
「今だけだよ」
希の瞳に、一瞬だけ、強い理性の輝きが垣間見える。
恋人がいないと言い切れるのも、恋人未満の関係でいられるのも、先のことを深く考えずにいられるのも。今だけだと思うから、希は女の子として振る舞う。素直に女の子の生活を楽しむ。
「怜悧も、しかめつらしてるより、笑ってた方がいいよ」
「……おまえを独占できればずっと笑ってるのに」
「今一緒にいるのに、楽しまないと損だと思わない? それとも、一緒にいても楽しくない?」
「……その言い方は反則だ」
怜悧は「よっと」と声をだして、身体を起こした。
「で、どこ行ったんだ?」
希はにっこりと笑った。笑顔で、その日の出来事を話して聞かせた。
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初稿 2003/12/18
更新 2008/02/29