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 ショートショート

  Taika Yamani. 

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  「一つの生き方」


 「人生において、しなくてはいけないことなど何一つない」
 老年の養父からそう教わった時、翔は首を斜めにして、こう問い返した。
 「じゃあ、しちゃいけないことは?」
 「当然、そんなものも何一つない」
 養父は胸を張って息子にそう答える。夫と息子の横で、養母はにこやかに笑顔を浮かべてお茶を飲んでいた。
 まだ五歳だった翔の、たった二人の家族。穏やかな昼下がりのひとコマ。
 そんな養父母に育てられた翔にとっても、中学一年生の冬のそれは、さすがに青天の霹靂だった。
 急病で入院したところ、仮性半陰陽なるものだと言われたのだ。男の子と思われていた翔は、性器の見た目が男の子なだけで、実は女の子だったのだと言う。医者に言われて、さすがの養父母もビックリしたし、本人もビックリした。
 だが、その次の日に養母が出した結論はこうだった。
 「まあ、世の中ってそんなものよね」
 翔は何がそんなものなのかよくわからなかったが、なるほどと重々しく頷いた。養父も息子が娘になって感慨深いものがあったようだが、「そうだな、そんなものだな」と、お茶をすすっていた。
 というわけで、なにやら手術が行われて、四月になる頃には、翔は肉体的にも戸籍上も、すっかり女の子ということにされていた。
 「ぼく、実は女の子だったんだって」
 中学二年生に進級し、女子の制服で現われた翔にビックリした友達たちに、翔はあっけらかんとそう話した。それを聞いてさらにビックリした友達の反応は、きれいに半々だった。もともと年齢の割に、小柄で子供っぽくて女の子みたいに見えていた翔。そんな翔を、そのまま同じように扱う友達もいれば、白い目で見て離れていった友達もいる。後に高校に上がると、翔が元は男だったことを言いふらして、余計な悶着もあったりもした。
 だが翔はそんなことでへこたれるような可愛い性格ではなかった。表面上の子供っぽさとは裏腹の、来る者は拒まず去る者は追わずという、年齢に似合わない達観した態度。離れていなかった友達もちゃんといたからこその態度だったのかもしれないが、翔はその年にして、望んでもすべてが手に入らないことをよく知っていた。
 肉体的には、翔の成長は遅かったと言える。翔の身体が、女として本格的に成長を始めたのはそれからのことだ。さすがにそれがきた時は、少し戸惑ったが、その日のお赤飯は美味しかった。養母に連れられて女性専用の下着売り場に行った時は、好奇心一杯で観察してまわって、養母に恥ずかしがられたりもした。
 養父母はそんな翔を、身体が大きくなっても心は子供なのだと思っていたらしい。だが、それは大間違いだった。単に、翔の感性が大幅にずれていただけだ。養父母の教育のせいもあれば、捨て子という出自のせいもあったのかもしれない。
 幼い頃から男の子っぽかったわけでもない。手術後も女の子っぽくなったわけでもない。そして身体だけは女性として大人に近づいても、男っぽいわけでも、女っぽくなったわけでもない。
 高校に入学した時の翔はそんな女の子だった。振る舞いだけは武器として女性らしくすることも覚えたが、基本的には子供っぽい態度のままで、翔はマイペースに能天気に日々を送り、それなりに充実した高校生活を送って大学に進んだ。
 大学の四年間でも、結局恋人と呼べる相手はできなかったが、セフレと言える関係の相手が、同性にも異性にも何人かできた。人生は、手段や環境であって、目的ではない。性別もそう。幼児期の教育の成果なのかどうか、翔が執着を見せるのはごくわずかな物だけだった。
 なんと言っても、しなくてはいけないことも、してはいけないことも、翔の人生には何一つ存在しないのだ。だとすれば、今の自分を前提にして、やることもやらないことも全部自分で選ぶだけの話だ。



 養父が亡くなったのは大学時代で、養母が亡くなったのは卒業してまもなく。大学時代の友人たちと小さな貿易会社を経営していた翔が、子供が欲しくなったのは三十も近づいてきた頃だ。
 翔は自分の身体が女であることを、この時だけは感謝した。子供をプレゼントしたら縁が切れるとわかっている男のために、わざわざ子供を産もうとする女が多くないことはわかっている。お金を積めば解決するかもしれないが、それでも余計なしがらみが付きまとう。女であれば、乱暴な言い方をすれば、男に種だけもらえれば、後は全部自分でやれる。
 三十になった年に、子供が生まれた。女の子だった。
 娘は、なぜかやたらとしっかりした女の子として成長した。母子家庭であったことや、母親が妙に子供っぽかったこと、それでいながら母親が時には達観した大胆なふるまいをしていたことも原因なのだろうか。娘が中学に上がる頃には、傍目にはどちらが親かわからないような関係が成立していた。
 娘は、翔が初めて真剣に愛した存在。
 だがそんな娘だけに、社会へ飛び出すのも早かった。大学一年の年に、子供ができたと言って男を連れてきて、結婚の許可を求められた時には、さすがに翔は困った。すでに五十年近く生きてきた中で、もっとも困った瞬間だった。
 「おまえのような男に娘をやれるか〜」
 と、叫びたくもなった翔だが、娘の決意は固く、とりあえず翔はその場では保留して逃げたものの、反対などしようものなら駆け落ちでもしそうな勢いだった。
 「ぐっすん、しょせん子供なんて簡単に親を見捨てちゃうんだね」
 約一月後、翔が娘の結婚に同意した時の言葉。
 「これまでこんなにもぼくが愛情そそいで育ててきたのに、他の男に取られるなんて。いじいじ」
 娘は困ったように笑っていたが、その夜親子で一つの布団で朝まで語り明かせたのは、女親の特権かもしれない。
 一人目の孫が生まれたのはそれから数ヵ月後で、二人目は三年後。さらに三年たって、三人目が生まれた。
 女の子と女の子と男の子だった。娘夫婦は家を出て暮らしていたが、若年だけに経済的にも双方の親に頼ったし、翔も積極的に会いに行ったこともあって、翔と孫達との関係も良好だった。
 六十になって惜しまれつつ会社を引退した頃には、下の孫も四歳。娘が結婚してからは一人暮らしだった翔は、誘われるままに娘夫婦との同居に踏み切った。だがあまり義理の息子には干渉せずに、これまでできなかった趣味に没頭した。読書といった安上がりなものから海外旅行といった相当に費用がかかるものまで、セカンドライフを楽しむ。
 その合間合間に、孫たちとのコミュニケーションにこっそりとはげんで、いろいろよからぬことを吹き込んだのは、娘夫婦には内緒だった。特に一番下の孫息子は、翔の幼児期によく似ていて、翔に最もよく懐いた。忙しい娘夫婦にかわって、しょっちゅう幼稚園の送り迎えをするようになった翔は、孫息子に向かって偉そうに講釈をたれたりもした。
 「人生には、しなくちゃいけないことは何一つないんだよ」
 「じゃあ、しちゃいけないことは?」
 こう尋ね返してくるところも、かつての翔とよく似ている。翔は今は亡き養父母を思いながら、胸を張って孫息子に答える。
 「当然、そんなものも何一つない」
 孫はわかっているのかいないのか、同じように胸を張って、ふむふむなどと頷いていた。
 さらに十数年たって翔が七十五歳になる頃には、その孫も大学生だ。彼は祖母の教育の影響なのかどうか、一見子供っぽく能天気なくせに、その実したたかな男の子に育っていた。ゴーイングマイウェイで、他者にさほど頓着せず、他人の干渉を物ともしない。
 「ぼくも、男のままなら、この子みたいになってたかもね」
 死期を悟っていたわけではないが、体調を崩して入院した祖母に会いに来た孫たちに、翔は自分の昔話をして聞かせる。孫たちは、祖母が昔は男だったと知ってビックリしたようで、翔はそんな孫たちの顔を見て明るく笑った。
 結局男のままであっても、似たような生き方をしたかもしれないと、翔は自然に思う。翔は、おそらく運がよかった。もとが捨て子だったとは言え、養子にもらってくれた養父母はいい親だったし、友人にも恵まれた。娘との関係も、多少人とは違うかもしれないが暖かい物で。こうやって、自分を心配してお見舞いに来てくれる孫たちもいる。
 仕事に遊びに子育てに、どれも楽しんで生きてきた。楽なことばかりだったわけはないし、余計な揉め事もあったし、様々な軋轢もあったし、辛かった時もある。
 それでも、充分幸せな一生だった。
 その翌年の夏、翔は自宅で息を引き取った。








おしまい。 

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初稿 2004/06/30
更新 2008/02/29