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 ガールフレンド

  Taika Yamani. 

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   II


 そんなこんなで、スキンケアの話が一通り終わると、美朝はクローゼットから自分の洋服を取り出して、あれやこれやと初瀬にあてがいにかかった。
 これも今日の目的の一つだ。今の初瀬はまだサイズの合う服の数が少ないから、美朝に貸してもらう予定なのだった。初瀬としては、従姉がお下がりをくれるという話も出ているし、未来の義姉も自分の服をあげるとお世話を焼きたがっているから、当面は手持ちの服で無理矢理に間に合わせておいて、後は暇を見て買い足していくつもりだったのだが、入院中に美朝が自分から提案してきたのである。
 美朝はいつも身だしなみに気を遣って、今日も普段着のおしゃれをしているのに、初瀬は昨日も今日もサイズの合わないメンズの服装だ。本人的には、着こなれている服という点を抜きにしても、ゆったりとして変に着心地はいいのだが、ぶかぶか感もたっぷりだ。これでも中学時代の服を引っ張り出したりと気は遣っているつもりなのだが、男のままなら十代の少年として快活に似合っていた服装も、今となっては十七歳の少女が無理に男物の大きな服を着ている状態で、そんなメンズの服装では女性ならではのマニッシュな魅力も入り混じって、かえって性が強調されることもある。美朝としては、今の初瀬のそんな着こなしも気になるらしい。
 初瀬は美朝の服を着ることに乗り気ではなかったが、美朝は「初瀬くんのおっきな服着るよりも絶対いいよ」と熱心に主張して譲らなかった。結局なんだかんだで美朝に甘い初瀬は、「まあ、ここまできたらもうなんでも一緒だし、色々試しとくのはありか。自分がどれだけ化けられるのかも知っときたいところだしな」と、最終的にやれやれと肩をすくめて、『メンズっぽい服は、みあよりエリナに借りられると早そうだけど、あいつは自分のをおれが着るの嫌がりそうだなぁ。逆は平気なくせに』と内心色々なことを思いつつ、美朝の提案を受け入れた。
 ちなみに、初瀬にとってかなり悔しいことに、今の初瀬の身長は約百五十六センチで、中学入学の頃の初瀬自身よりも、そして今の美朝たちよりも、一センチほど低い。いっそもっと差があれば諦めやすかったのかもしれないが、約一センチの差というのが実に切実だった。初瀬が美朝に身長で負けたのは生まれて初めてで、成長の早かったもう一人のガールフレンドにだって小六で追い越してからは負けたことがなかった。初瀬の母親も伯母も従姉も百六十くらいはあるし、父親も元の初瀬も百八十近かったから、女になっても百六十くらいあっていいはずなのに、現実は非情である。まだ発育の余地は残っているのだろうが、それは美朝たちにも言えることで――特に美朝はここ一年で一センチほど背が伸びている――、本気で悔しがる初瀬を、美朝はくすくす笑って慰めていた。
 美朝は「サイズがあえば靴も」と先日提案してその場で確認していたが、初瀬の足の方が小さく、美朝の今の靴はワイズなども合わなかった。人の身体の形は、毎日の生活の中で自然な重力負荷や運動負荷がかかって形成されていく要素もある分、その長年の生活の影響がないTS女性の初期の身体は、一般女性とは少し違っているのかもしれない。それでも美朝は、成長して履けなくなっていたお気に入りの靴を用意していて、初瀬は後で試し履きをさせられる予定だった。
 ともあれ、服の試着は順調に進んだ。
 すっかり普段のペースを取り戻した初瀬は、少し眠だるさを感じつつも半分遊びモードで明るく開き直って、美朝の目の前で無造作に服を脱いで、胸全体を覆うソフトなハーフトップブラと、お尻と下腹部を包み込むボーイレッグの一分丈のショーツの、母親が買ってきた上下お揃いの水色の下着姿になった。
 上半身も下半身も、もうはっきりと男性ではありえない初瀬の半裸に、美朝は瞳を揺らしたが、初瀬は白くなめらかな柔肌を惜しげもなくさらして、美朝に凝視されて身体を火照らせつつ、わざと大げさな態度で次々と試着をしていった。
 「みあの匂いがする」
 最初にふざけて本当のことを言ったら、美朝は頬を赤くして初瀬をぶつ真似をしたが、なんだかんだで美朝も前向きに楽しむ姿勢だった。あえて過剰に反応することで一気に受け入れるという無意識の衝動もあるのか、美朝はやけにハイテンションだったが、二人一緒になって楽しんだ。以前とは違いすぎる初瀬の半裸に、美朝も内心では色々な想いを抱えていたのかもしれないが、お互いに真っ向から「今の初瀬の現実」に向き合う。
 美朝の前で、「今の自分」の「女の裸」や「女の下着姿」をさらすことに、初瀬も羞恥や抵抗や鬱屈があったが、すでに病院で母親や医者などにその姿をさらしているし、この先は学校で体育の時など他の女子の前でも脱ぐことになる。それを思えば今は美朝だけだ。予行練習にもなるし、一番最初に見せる相手が美朝でよかったとさえ初瀬は思う。
 もともと、小学校高学年の頃まで一緒にお風呂に入ったこともある仲だし、中学高校にあがってからもボクサーブリーフ一枚などという姿も見られて、男だった時から美朝に裸を見られるくらい気にならなかった。むしろ思春期を迎えたあたりからは、美朝に知られると軽蔑されるかもしれないが、裸を見せつけたりさわらせたりアレコレという男の欲望もあった。その欲望を叶えようがない今の身体に、ネガティブな感情がしつこく湧き上がるが、それは建設的な思考ではない。
 以前は用がなかった下着に包まれているふくよかな重みのある部分も、以前なら堂々としたモノが存在していたのに今は下着がなだらかにフィットしている部分も、いっそ泣いて暴れたくなるが、初瀬は自分の身体の現実から目を背けない。
 女物の服、それも好きな女の子の着古しの服を着ることにも、初瀬は抵抗やこっぱずかしさや情けなさがないわけではなかったが、身体の問題に比べれば服装の問題は相対的に小さいし、入院中に初めて自分から女物のインナーを身に着けた時に、すでにもう色々と諦めて開き直っている。美朝にアウターを借りる程度は、寒い日に上着やマフラーの貸し借り――もっぱら初瀬は貸す方だったが――をするのと似たようなもの、と言えなくもない、はずだ。どう言い訳しようと「初瀬」が「自発的に女装」という一面は消えないから、悪友連中が知ったら女装趣味呼ばわりするかもしれないが、肉体が男ではなくなっている時点でいまさらだから、初瀬は思考を放棄して、あえて深く気にしない。
 現実問題として、今の初瀬の身体は「女」で、今の初瀬の立場は「元男の女」で。
 「元男の女」ではなく「女になった男」だと、「身体が女になっただけ」の「男」だと、そう言い張ることもできるが、どんなに泣き喚いたところで、「身体が女」という現実は覆せない。
 初瀬は、生まれつきの女性と同じ立場に拘るつもりはないが、同じ理由で、男の立場にも拘りたくない。時々感情がぐじゃぐじゃになるが、現実を受け入れずに否定するような男にはなりたくなかった。
 だから初瀬は、例えそれが強がりであったとしても、しゃんと胸を張って背筋を伸ばして、堂々と明るく前向きに振る舞う。
 ガールフレンドの服を色々と組み合わせて着て、姿見に向き直って真面目にチェックして、服の持ち主と批評しあって。彼女の目の前で脱ぎ直して、ふくらはぎの半分を覆う白い靴下とレディースの下着だけという格好に戻って、また別の服を着て。
 時々ふざけ半分でポーズをとって、二人じゃれあって楽しむ。
 途中で美朝にせがまれて、束ねていた髪をほどいてナチュラルに肩に流して、二つの青いヘアゴムは左手首にまいて、初瀬はどんどん試着をしていった。
 基本的には、美朝の服はほとんど問題なく着ることができた。
 が、サイズが合わないものも、中にはあった。
 美朝と初瀬、二人の身長差は小さいが、スリーサイズまでもそうとは言えない。美朝は初瀬の申告を聞くだけで自分のサイズは言わなかったが、バストは美朝の方が大きく、ウエストは初瀬の方が細く、ヒップも少し美朝の方が大きい。
 「……チャックがきつい」
 「あ、やっぱりきついみたい? ウエストきつい?」
 中学三年の春に、初瀬のオススメで選んだデニムのミニスカート。
 美朝はミニスカートをほとんど穿かないから、その年の春夏に冒険して家でたまに着て、そのままクローゼットに眠っていた一品。
 「いや、きついのはケツの方だな。これ元からタイトだし」
 おへそより低い位置でボタンをはめて、なんとかスカートの前中央のファスナーを上げて。ユニセックスな白い半袖のポロシャツに、ぴっちりしたミニスカートという格好になった初瀬は、最初の方で試着した美朝の最近のスカートと比べながら、きれいな声であっさりと言う。
 「あ、でも穿けた? うん、ちょっとピッタリな感じだけど、カッコいい感じで可愛いっ。やっぱりこういうのも似合うよね」
 ウエストではなく腰で穿く、タイトなミニスカート。
 今の初瀬が白いポロシャツと組み合わせて着ると、どこか少し大人っぽく背伸びをしているような、活動的な女の子という雰囲気が漂う。短い袖と短い丈は二の腕と太ももの半ばが露出して、十七歳の少女の自然な健康美に溢れていた。
 「んー、動きにくいし、似合っても微妙だけどな。サイズ合わせても動きにくそうだし、さすがにこの手のはきびしーな」
 正面の鏡の中の「自分」の姿をじっと確認した初瀬は、言いながら後ろ向きになって、長い髪を揺らして上半身をひねって鏡を見て、今の自分の後ろ姿も確認する。
 「そこはしかたないよ、そういうスカートだもん。初瀬くん動き方とかまだ男の子だから、こういうスカートの方がしぐさとかも可愛くなりそう」
 白いポロシャツに包まれた華奢な背中に、艶やかにサラサラと流れる黒い髪、上体だけ振り向くような姿勢で斜めにほっそりと反り返っているウエスト。タイトなミニスカートに包まれて窮屈そうなヒップラインと、そこから伸びる柔らかそうな二本の裏太もも。なめらかな膝裏から短い靴下に続くふくらはぎも透き通るように白く、デニムの青によく映えて、明るいコントラストを描いている。
 「――余計に微妙じゃん。そんなのまで気にしてたらやってらんねー」
 「あは、わたしにいつも薦めるの、初瀬くんだよ?」
 「おれとおまえじゃ違うし。だいたい、おまえが大人しいのばっか選ぶからだろ。たまにはもっとこういうのも着ればいいのに」
 「ん、じゃあ、初瀬くんが着るなら、わたしも着てもいいかも?」
 「はは、それはそれでどーなんだ」
 終始楽しげな美朝に、初瀬も笑って受け答えしているが、内心ではやはり、どうしても、複雑な思いもないではない。
 総合的には、「今の自分」の「女のスカート姿」は、「今の自分」の「女の下着姿」や「女の全裸姿」よりましなはずだが、下半身がどうにも心許ない。股間がなだらかになっているだけでもやるせないのに、サイズがぴっちりしてお尻まわりがきついし、ただでさえタイトなミニだから、脚の可動範囲が狭くて、内ももと内ももも密着しがちになって動きにくい。デニムが張り付くまろやかなお尻から上品な太もも、膝やふくらはぎのラインもあらわで、かえって下着姿や裸よりも女の脚線が強調されているようにも感じて、いっそう複雑な気分になってしまう。
 「ま、なんにせよ、ここ二年でみあのケツもでかくなったってことか」
 あまり自分のことは意識したくなくて、初瀬は狙って話題の方向を変えた。表面上は平然として、わざと美朝をネタにして話を広げる。
 初瀬がニヤニヤと、傍目にはニコニコに見える楽しげな表情で笑うと、美朝は少し恥ずかしそうになって初瀬を睨んだ。
 「初瀬くんだって、今は同じくらいのくせに」
 「あ、そーなのか?」
 初瀬は顔ごと目線を下げて、黄色いチェックのジャンパースカートに包まれた美朝の腰をじーっと見やる。その露骨な視線に、美朝はぴくっと身体を揺らした。
 「その服だとよくわからんな。おまえの方がでかくね?」
 「そんなことないよ、一センチしか違わないもん」
 「一センチ違いか。って、つまりおまえは八十七か」
 「っ……」
 今の自分のヒップサイズに一センチを足して、初瀬はまたニヤニヤ笑う。
 「女子の高二の平均ってどのくらいなんだろうな? なんかでかく感じるけど、おれもおまえも、身長を考えるとでかめなんかな?」
 一般的に、身長との割合からすると、女子のお尻は男子より大きい。それでいて肩や背中やウエストは華奢で、まだ今の初瀬たちの身体は発育途上の未成熟さも残っているが、そのラインは女性ならではの曲線を描いている。
 そんな外観の男女差と同時に、初瀬は体感的に、今の自分の身体は骨格全体のあり方から男だった時とは違うことを、はっきりと自覚していた。身体が一回りも二回りも小さくなっていることによる相対的な差もあるのかもしれないが、例えば肋骨などは構造自体が内側に狭いように感じる。これが男女の骨格や内臓器や肉付きの差ということなのか、特に腰まわりは違和感が強く、初瀬は今の自分の身体はお尻全体が大きいように感じていた。
 「さわる分にはいいけど、自分がでかいとなんか変な感じだよなぁ。男も女も、ケツから出すもんは一緒なのにな」
 「っ、もうっ、初瀬くん、女子になったのにはしたないよ」
 「女子になってもおれはおれだからな」
 「だったらなおさらだよ。品がないのはカッコよくない」
 「む」
 「ほら、きついなら次の着てみてっ」
 思わず動きを止めた初瀬に、美朝は強引に話題を変えるように次の服を持ち出した。
 初瀬もすぐに気を取り直して、笑って話題の転換に付き合う。
 頭の片隅で『これエリナならまだ楽に穿けるのかな、どうなのかな。みあよりエリナのが小さいしな』と、ここにいない女の子の今のヒップサイズをちょっと想像しながら、初瀬はスカートのボタンをはずして少しきついファスナーを全開にし、片手でスカートを持つように身をかがめて、両足を抜いてスカートを脱いだ。
 再び靴下とショーツだけになって、ショーツから伸びる太もももすべてむき出しになる。長い黒い髪と左手首の青いヘアゴムが、初瀬の動きに合わせて、白いポロシャツと水色の下着にアクセントとなって揺れていた。



 あれこれじゃれあいながら、二人の時間が和やかに進む。
 さらにいくつもの服を試着して、次々に色々な服を持ち出してくるガールフレンドに付き合って、ガーリーなシフォンチュニックや躍動的なショートパンツやキュロットスカートや、フリフリしたブラウスやらひらひらしたスカートやら、頭にちょこんとのっけるベレー帽やコサージュのついた白いつば広の帽子なども試してみたりした後、初瀬は美朝のスリムなジーンズに合わせて、細身のデザインの伸縮性のある薄手のロンTを着込んだ。
 クリーム色の地に、白や桃色や紫の入り混じった、大きな花模様のロングスリーブTシャツ。
 うん初瀬くん似合う似合う、と楽しげな美朝の言葉を聞き流しながら、初瀬は艶やかな長い髪を両手で払うように服の背中から出して、目の前の姿見の中の「自分」をじっと見つめる。
 「なんか、こういうのって、元の形はまだ男物にもあるのに、色とか柄とか――で女物って感じだな」
 「あは、そうかも。アクティブな女の子な感じで可愛いよね」
 服の材質や形状と、色や柄と、そしてその服に包まれる肉体と。
 作り自体は比較的ありふれたものだから、初瀬も男物のこの手の服は何着か持っている。が、身体に張り付くような伸縮素材の服だから、以前の身体なら胸板や逞しさを強調するような着こなしになっていたが、今の初瀬の身体では全然印象が違っていた。
 「やっぱり、こういう服はわたしより初瀬くんの方が似合うね」
 「ん、おまえもあんま変わらんと思うけどな。てか、派手、ってのとは違うけど、女っぽいっていうか、もうちょい柄とかシンプルならいいのに」
 初瀬の内心をどこまで洞察しているのか、美朝はまた楽しげに笑った。
 「この服も、選んでくれたの初瀬くんだよ?」
 「そりゃ、おまえ向けだったからな」
 もともと美朝のために選んだ服で、初瀬は自分が着ることなど想定していない。
 「今の初瀬くんだと前向きな感じできれいだよ。わたしが着ると、なんだか子供っぽくなっちゃうし。やっぱりこういうのは初瀬くんの方が似合うよ」
 「いやいや、子供っぽいってことはなかっただろ。――おれが着ると、これでも胸があまるしな」
 初瀬が真下を見ると、山なりの隆起が視界を遮る。
 薄手の服に包まれている自分の身体の柔らかな重みのあるその部分と、目の前の鏡の中の、身体に張り付くようなロンTを着ている長い髪の少女の胸のふくらみの部分を、初瀬は軽く交互に観察する。
 「え、ん、そう? 全然、おかしくないよ? ちょっとピッタリしすぎなくらいだよ?」
 美朝がゆったりした服を好むから、今の初瀬にもゆったりな服が多かったが、さすがにこの手の服だと身体のラインが表れていた。きれいな花模様のバストの部分はふくよかに張りつめて、ウエストまわりはほっそりとくびれてシャツがゆるんで、ボトムのジーンズのヒップラインもまろやかで、全体的に、今の初瀬の女性の身体つきを自然に引き立てるような着こなしになっていた。
 「別にゆるゆるじゃないけどさ。おまえが着てた時は、もっと胸んとこがピシってしてたじゃん」
 初瀬の言葉の意味に気付いて、美朝は微かに目のふちを赤らめた。
 「また、すぐそんなこと言うんだから」
 「みあはおっぱいのサイズはどうなん?」
 初瀬は鏡ごしに、美朝がさりげなく右腕を前に運んで胸を隠すのを見ながら、ニヤニヤと問いかける。デリカシーに欠けるとわかっているが、これは抑圧された感情の無意識の反動もあり、さっきからこの場のノリというやつだった。しょっちゅう服を一緒に選んでいたから、おおよそのサイズは把握しているが、本人が具体的な数字を教えてくれたことはなかった。
 「初瀬くんのすけべ。そういうのセクハラだよ」
 「いいじゃん、もう隠すことでもないだろ。八十八くらいか?」
 「っ」
 美朝はさっと両腕を抱いて露骨に胸を隠した。赤い顔で初瀬を睨む。
 「お、けっこう近い? もしかしてビンゴ?」
 ――美朝のふくらみが両腕に圧迫されて、明るいチェックの洋服がたゆんで、かえって強調されているように感じるのは、初瀬のスケベ心が悪いのだろうか。
 笑って振り向いた初瀬は、高鳴った鼓動を抑えるように、自分の胸部に両手をあてがった。以前とは違いすぎる、自分の柔らかな二つのその部分と、美朝のふくよかな同じ部分を、またじろじろと見比べる。
 「これで円周で五センチの差か。やっぱ目に見えて違うもんな」
 「初瀬くんのエッチ!」
 「はっはっは」
 初瀬は高い声でわざとらしく笑って、胸から手を離してシャツを脱いだ。
 服と一緒に両腕が持ち上がって、自然と胸をそらすような動きになる。数瞬、無毛のわきの下がなめらかに顔を覗かせて、水色の下着に包まれた乳房が震えるように揺れる。
 美朝は、同性の下着姿は見慣れているはずなのに、さっきから初瀬が着替えるところを何度も見ているのに、ますます頬を上気させて、自分の胸を抱いたまま初瀬から目をそらした。
 「……初瀬くんは、トップが八十三、なんだよね」
 「ああ、正確には二・八とかだ。アンダーが六十六くらいで、ブラジャーはD65かC70くらい? で探せって言われた」
 美朝の視線の意味に気付かずに、初瀬は内心のもやもやも顔に出さずに、シャツをベッドに放った。華奢な肩も小さなおへそもむき出しにして、また腕を持ち上げて乱れた髪をかきあげながら言う。
 身長体重スリーサイズなどは、病院で一通り測ってもらっている。計測してくれた看護婦さんは、ブラジャーは色々なメーカーの色々なサイズを試着して一番着け心地がいいのを好みで選んでいいと言っていて、初瀬はどういう理屈なのかイマイチ謎だったが、サイズの謎は買い物の時にでも改めて考える予定だった。
 「……インナーも、いる? わたしのお古、あげようか?」
 「ん? Tシャツとかか? 別に間に合ってるからいいよ」
 「んと、その、キャミとか、ブラ、とか」
 「…………」
 美朝の突然の提案に、初瀬は数秒思わずフリーズした。
 普通の服ならまだしも、インナーウェア。
 頭から除外していたが、要するに下着。
 美朝のお古のキャミソールやブラジャー。
 瞬時にあれこれの妄想が初瀬の脳裏を駆けめぐり、初瀬の顔が熱を帯びる。初瀬は落ち着かなくなって、無意識に自分の首の肌を指でつまむように引っ張った。
 「い、いやいや、さすがにソレはアレだろ。うん」
 「う、うん、そうだね」
 自分で言い出しておいて恥ずかしくなったのか、美朝も顔を赤くしてうつむく。
 「エリナちゃんはね、春に八十ちょっとって言ってたよ。初瀬くんの方が大きいみたい」
 よほど焦ったのか、美朝は友人のサイズを暴露した。
 『おれに教えていいのかエリナに怒られるぞ』と、初瀬もとっさに少しずれたことを思いつつ、微妙な話題の転換に乗った。中三の夏のある日の初瀬の部屋で、エリナの様子が変だったから強引に聞き出した時、「Cのブラなの……」と初めてのCカップのブラジャーではにかんで真っ赤になっていたエリナの下着姿がフラッシュバックしたが、すぐに振り払う。その時七十九センチでまだBがごにょごにょと顔を赤くしていたエリナのそれをつい具体的に思い浮かべてしまいながらも、初瀬はあえて平然を装う。
 「数字だけ言われてもあんまピンとこんな。って、なんかカップとアンダーにもよるんだっけ? おまえはなにカップなんだ?」
 「…………」
 羞恥に言葉をつまらせる美朝に、初瀬も頬を桃色に染めたまま、またわざと大げさに美朝の目を覗き込んだ。
 「ほらほら、おれも教えたんだから、おまえも言えよ」
 「Eだよっ、ばかっ」
 「おー?」
 最近またサイズに少し悩んでいることまでは、美朝は口に出したりしない。
 初瀬はまだよくわかっていないが、基本的にトップバストとアンダーバストの差が十五センチならCカップで、十七・五センチであればDカップ、二十センチでEカップ、二十二・五センチでFカップになる。
 「知らないっ! もう休憩しよっ!」
 「はいはい」
 首まで赤くしている美朝を、初瀬も内心ドキドキ見惚れながら笑って、ジーンズも脱いだ。このままだとまた変なことを口走ってしまいそうだから、初瀬は意識して話の方向を元に戻す。
 「おまえの服、やっぱあんま着やすいのないな。メンズっぽいのも少ないし、大人しめの可愛いのばっかだし」
 「――初瀬くんは、ミニスカートとか、いつも穿いてみたいの?」
 「いやいや、なんでそうなる。やっぱ今度ちゃんと買いに行かないとなって話だよ。一回くらい試すのはいいけど、おまえのはスカートとかばっかだからな」
 上下とも下着姿に戻った初瀬は、自分の服を着直す前に、身軽な動きでベッドにお尻を乗せた。少し疲れて眠だるくなってきていたから、シャツもジーンズも脱ぎっぱなしにして、気を抜いて大きくのびをする。
 うんと小さく返事をした美朝は、すぐに初瀬の横に座って、半裸の初瀬に身体を寄せた。
 美朝の両腕がそっと初瀬の腰にまわり、美朝の半袖から伸びる素肌と洋服ごしの身体が、初瀬のむき出しの肌と下着とに触れ合う。ドキッとした初瀬は、微かに肩を揺らして、片腕を自分の太ももに、もう一方の腕を美朝の背中側に下ろした。
 「……初瀬くん、寒くない?」
 「ん、いや、ふつーかな」
 「……ちょっと暑いくらい?」
 「もうすぐ六月も終わるからな。もう夏だな」
 短い言葉を交わしながら、初瀬は正面に身体を寄せてきた美朝に押されて、背中から斜めにベッドに倒れこむ。
 初瀬の長い髪が、柔らかく乱れてベッドに広がり、シャンプーやリンスの残り香がふわりと漂う。お互いに足をベッドの下に出したまま、目の前の相手の体温と甘やかな香りを感じながら、二人見上げて見下ろして、まっすぐに向かい合う。
 アップスタイルの美朝の前髪が揺れて、美朝の瞳が初瀬の瞳に接近する。
 まだ目元をほんのりと赤くして、どこか瞳を潤ませている美朝は、そっと目を閉じて、ゆっくりと初瀬の唇を奪った。
 これはもうここ一週間毎日のことで、半ば予期していた初瀬も、抗わずに軽く美朝の唇を吸う。
 艶やかな唇と唇が重なり合い、ちゅっ、と、微かな音が鳴った。
 「おれの服、みあはどういうのがいい?」
 「……白のワンピが、やっぱりすごく似合ってたよ」
 美朝の去年の夏のお気に入りの、白い無地の涼しげな半袖ワンピース。美朝が毎年のように選んでいるタイプの洋服で、ある種の定番だが、それなりに自信がなければシンプルすぎて着こなすのに少し度胸が必要そうな一品。美朝は外でこの服を着る時はサマーカーディガンなど他の服を組み合わせて着ていた。丈も膝をしっかりと隠す長さで、雰囲気的にはどこぞのお嬢様という印象の洋服。
 男物だと上下一繋ぎの服はオーバーオールやツナギの類くらいしか見かけないものだが、初瀬はこのワンピースを着るのもかなり屈折させられた。初瀬がわざとふざけてお嬢様ぶって見せると、美朝は可愛い可愛いと両手を合わせて喜んで、初瀬は自分からやっておきながら、美朝のそのはしゃぎようはちょっと複雑だったものだ。
 「それは単におまえの好みじゃね?」
 「そうだけど、でもきれいで可愛かったよ」
 無意識に舌でちろりと自分の唇を舐めた初瀬は、『みあだって似合うだろ。おまえの方が可愛いよ』と笑って甘い言葉を重ねようとしたが、美朝は言わせてくれなかった。
 繊細で柔らかい、美朝の唇の感触。
 今の美朝は、おしゃべりよりも別のことに口を使う方がいいらしい。美朝の瑞々しい唇が、甘く温かく、初瀬の唇をふさぐ。
 初瀬は、抱き合いながら他愛もない話をするのも好きだが、キスをするのもイヤではない。口をふさがれたまま小さく笑い、初瀬も頬を上気させて、顔を少し傾けて積極的に受け入れて、美朝の身体に腕をまわし、その背中をそっと撫でた。
 自然に、美朝の手も初瀬のウエスト付近で動いて、初瀬のなめらかな無防備な素肌を美朝の指が撫でる。
 「んッ……」
 初瀬は思わずぞくぞくっと背中を震わせて、美朝の唇を自分の唇で噛むように挟んだ。
 ここ数日の毎日のキスで確実に学んでいる美朝は、すぐに自分からも同じように、初瀬の唇を唇で甘噛みする。優しい弾力のある唇に唇を押し付けて、自分の唇に相手の唇を含むように、何度も甘く挟んで、そっと吸う。柔らかな唇同士がしっとりと密着し、たびたび上唇と下唇が互い違いに触れ合って、時々微かに相手の前歯や舌にも唇が接触する。
 美朝の手に力が入って、また少し初瀬は抱き寄せられる。
 美朝は以前とは違う初瀬のむき出しの素肌を愛おしそうに撫でて、もっともっとと言いたげに全身で初瀬を抱きしめる。二人の胸のふくらみとふくらみも重なり合い、弾力的に柔らかく形を変えて、お互いにお互いを刺激し合う。
 幾度となく繰り返されるソフトなキスと、長い抱擁。
 合間合間に美朝は唇を離して、今の初瀬の瞳を見つめて大きく息を吸って、自然に舌で自分の唇を湿らせて、すぐに再び唇を重ねてくる。乱れる呼吸に胸が弾むように上下し、息継ぎするようにこぼれる湿った吐息が、熱く入り混じって、お互いの口内に甘く吸い込まれる。
 いつになく、美朝は積極的だった。
 どこもかしこも柔らかくていい匂いがする美朝の身体と、初瀬の情感を刺激する動きに、初瀬の理性も薄れていく。
 もういつ美朝のお父さんとお母さんが帰ってきてもおかしくないし、初瀬は今日はできるだけ自重するつもりだったのに、自重できなくなる。感情が溢れて美朝の身体への強い欲望も湧き上がってきて、もう美朝のすべてを奪いたくなる。胸の奥に『なのになんでおれは女になんかなっちまってるんだ』と暗い衝動も湧き上がるが、今は愛情の方が勝っていた。
 久しぶりの美朝の部屋で、さっきからずっと半裸で、彼女の身体と香りに包まれて。
 だんだんと愛欲が抑えきれなくなってきた初瀬は、美朝の身体を半ば押し倒すように、組み敷くように体勢を入れ替えた。
 美朝はすぐに、それを待ちわびていたように、初瀬の背中に両腕をまわす。
 「初瀬、くん……」
 唇にかかる吐息が熱い。
 自分の名を呼ぶ美朝の顔が、やけに可愛くて艶っぽくて、初瀬の心が震えた。
 頬が淡く紅潮し、瞳もしっとりと濡れた輝きを帯びる。
 また一つ歯止めがきかなくなった初瀬は、前に流れる自分の長い髪をわずらわしくかきあげるように片側に払って、そのまま片腕で美朝の頭を抱き込むように、自分から美朝の唇を奪った。
 美朝もぎゅっと、下からしがみつくように、初瀬に抱きついてくる。
 六月の薄着の美朝と、半裸の下着姿の初瀬の、二人の柔らかな身体が密着する。胸が激しく高鳴り、触れ合う体温と甘やかな体臭が、熱く情熱的に、お互いの身体に溶け合う。
 大好きな女の子の唇を優しく味わいながら、初瀬はさらに衝動的に、半ば本能的に動く。少し上体を浮かせて、自分の胸と触れ合う美朝の胸に、横からそっと、片手をあてがった。
 「ぁ……」
 最近のベッドの中で、つい何度も想像してしまっていた、美朝の胸のふくらみ。
 女性のそこというだけなら、今はもう自分の身体をいくらでもさわれるが、その分余計に妄想してしまっていた、好きな女の子の身体。
 ここ数日毎日抱きしめて、いつも胸と胸も触れ合って、美朝のその部分が弾力的でとてもふくよかだとわかっていたつもりだが、手で触れるとまた感触が違う。衣服の表面の少し硬い下着の質感が妙に生々しい。洋服と下着に包まれたふっくらと柔らかなぬくもりが、じんわりと温かく、初瀬の手のひらで震える。
 思春期以降、美朝の発育が目立ち始めた頃にふざけてさわったことはあるが、初めてはっきりとさわる美朝の胸。ずっと前からもっとさわってみたかった、美朝の成長した女性の部分。初瀬の手のひらにおさまりきれない、もう子供ではありえない、美朝の豊かな乳房。
 初瀬にさわられた美朝は、ぴくんと身体を揺らし、微かに鼻にかかった声を漏らしたが、逃げない。
 そのかわり、美朝の唇が動いた。艶やかに濡れた唇と唇の隙間から、何かを求めるように、湿ったぬくもりが伸びてくる。
 初瀬も身体を熱く火照らせながら、美朝の身体にあてた手を動かし、小さく唇を開いて、彼女の舌をそっと吸った。








 to be continued. 

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初稿 2012/03/10
更新 2012/03/10