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 ガールフレンド

  Taika Yamani. 

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   II


 白黒タータンチェックのプリーツスカートに、襟や裾や袖口に黒いラインが走っている多少独特なデザインの白い半袖オーバーブラウス、その上からスカートと揃いの明るいチェックのベスト。
 私立樟栄高等学校の二年生女子の二人、夏の制服姿の佐藤美朝と春日井エリナは、病院特有の薬品の匂いが漂う入院病棟で、お目当ての病室の前に到着して、二人そろって足を止めた。
 美朝がエリナを見ると、ちょうど同じタイミングでエリナも美朝を見て、ほぼ同じ高さにある二人の視線が絡み合う。
 ためらいで瞳を揺らすエリナを、美朝はまっすぐに決意を込めた瞳で見返して、先に動いた。耳を覆うセミロングの髪を揺らして病室に向き直り、コンコン、と、入り口のドアをノックする。
 「カギなんてかけてないぞー」
 すぐに返ってきた声に、覚悟を決めていたはずの美朝ですら、一瞬怯んだ。
 今日のお見舞いの相手は、二人がよく知る男の子。美朝にとっては赤ちゃんの時からの、エリナにとっても小学一年生の頃からの、長い付き合いの同い年の男の子。
 その男の子の、いつも通りの口調と、いつも通りの物言い。
 なのにその声は、彼女たちがよく知る「彼」の声ではなかった。まったく見知らぬ、初めて聞く声。「彼」の声変わり前の幼い声とも全然違う、玲瓏に高く澄んだ、明らかに女の子の声。
 美朝の逡巡は一瞬だった。スライド式のドアを思い切って開けて、美朝は病室に入った。
 ごくありふれた、そう広くはない個室。
 ドア側にもカーテンがあるが、今は大きく開け放たれている。その向こうにサイドテーブルなどがあって、小さな写真立てがあって、花瓶に花が飾られていて、窓際にベッドがあって。
 そのベッドの上に、とても髪の長い、きれいな女の子が、あぐらをかいて座っていた。
 白い模様の入った明るい緑色のスウェットのパジャマ姿で、美朝たちも見覚えのあるメンズの黒いカーデをぶかぶかに羽織って、華奢な両手で細い両足首を持って、ちょっとお行儀が悪い、だがどこかしゃんとした姿勢で。
 「よっ、久しぶりだな」
 美朝たちと同じくらいの背丈のその少女は、軽く片手をあげて、瑞々しい桜色の唇を動かして、ごく気軽そうに言葉を紡ぐ。
 容姿に見合ったきれいな透明感のある声なのに、ミスマッチなラフな口調で、「初対面」なのに久しぶりだと笑う少女。
 美朝は入り口に立ち尽くしたまま、小さく声を出した。
 「……初瀬、くん?」
 「ああ、そんなとこに突っ立ってないで、さっさと中に入れよ」
 その少女は、首元の透き通るような肌を細い指先でつまむように撫でながら、高く澄んだ声で、にっこり愛嬌のある明るい表情で、お気楽そうに笑う。
 「……ほんとに、初瀬くん……?」
 「残念ながら本当におれだ。自分で言うのもなんだけど、かなりいい女だろ。ま、中身はおれだけどなっ」
 お行儀が悪い姿勢のまま、どこかいたずらっ子のような瞳で、明るくふざけるように笑って、そのきれいな女の子は、美朝たちを見つめてくる。美朝がよく知る「彼」の口調で、「彼」と同じようなしぐさで、「彼」によく似た瞳で、なのにまったく違う顔と声で。
 「ばか……」
 美朝は小さく呟き、くしゃっと顔を泣き笑いに変えた。
 とっくに覚悟を決めていた美朝は、強いショックを押し殺して、反動で衝動的に動いた。次の瞬間、美朝は荷物を床に落として、飛びつくように「彼」の身体に抱きついていた。
 「ばかばか! 初瀬くんのばか!」
 「わっ」
 美朝を受け止めきれずに、初瀬はベッドに倒れこむ。
 「わたしびっくりしたんだからね! 急に聞かされて、初瀬くんが女の子になるなんて、わたしびっくりしたんだからね!」
 美朝は同じ言葉を二度繰り返して、今の初瀬の華奢な肩に顔をうずめるようにして、わんわんと泣き出した。
 「わたし怖かったんだから! 不安だったんだからぁ!」
 泣きながら初瀬に抱きついて、美朝は切れ切れに初瀬を責める。
 本当なら、美朝の知るままの初瀬なら、もっと大きくて逞しい男性の身体。
 だが今は、華奢で柔らかくてどこか甘い香りのする、美朝たちと同じ女性の身体。
 これが、今の高槻初瀬。
 「……すまん。悪かったな」
 押し倒されて両足をM字に立てた体勢のまま、初瀬は繊細な声で謝って、泣きじゃくる美朝の頭を優しく撫でた。自分も泣きたくなるような胸の痛みを覚えながら、小さくなった手で、ぽんぽんと、そっと美朝の背中も撫でる。
 「まあ、おれもおれでたいへんだったわけだよ。わかるかね、みあくん」
 「そんなのわからない! 初瀬くんは初瀬くんだよ! わたしわからない!」
 「あー、まあ、なんだ」
 初瀬は以前とはまったく違う高く澄んだ声で、今の初瀬の自然な声で、軽く冗談めかそうとしたが、美朝は泣き止んでくれなかった。
 いっそう泣きじゃくる美朝を優しく抱きしめて、初瀬は彼女の頭と背中を撫で続ける。もらい泣きしてしまいそうな気持ちを抑えて、抱きついてくる美朝の身体の柔らかさと甘やかさに溺れそうになりながら、今はただただ自分の腕の中にいる大切な女の子を思い遣る。
 しばらくそうやっていたが、美朝は全然泣き止まない。
 そんな美朝が愛おしくて切なくて、大きく変わってしまった自分の身体がつらくて苦しくて、だんだんと初瀬も感情が溢れて止まらなくなりそうになって、長いまつげを震わせた。ゆっくりとまばたきをして、やるせなさと衝動をごまかすように、視線を入り口の方に向ける。
 「エリナも、黙って見てないで、なんとかしてくれよ」
 初瀬のその言葉に、エリナではなく、美朝が動いた。
 「っ……! ご、エリナちゃん、ごめんなさい……!」
 初瀬から離れながら、美朝は両手のひらで涙をぬぐう。
 「――なぜエリナに謝る」
 初瀬は甘い声で笑って、茶化すようにつっこみを入れる。身体を起こして少し頭を振り、乱れた長い髪を両手でかきあげて、改めてあぐらで座り直す。
 初瀬は無意識に、大げさに普段通りに振る舞う。女になってしまった姿を、こんなに変わり果てた今の姿や声を、美朝とエリナにさらして、心から平然としていられるほど、初瀬も強くはない。
 心の準備をする時間、というものは、良くも悪くも人の行動を左右する。
 先に友人に動かれて、その間に動揺を押し殺したエリナは、表情を消して動いた。美朝が落としたコンビニの袋と学校標準指定のスクールバッグを拾って、エリナもベッドに近づく。
 「初瀬がバカだからでしょ。みあをこんなに泣かせて、反省してるの?」
 「おれのせいかよ」
 「初瀬くんの、せいだよっ」
 美朝は涙をぐっと堪えるように両手で頬を押さえて、涙混じりの瞳で初瀬を見つめる。
 「わたしたちに嘘ついて入院して、わたし怒ってるんだからね」
 美朝が本気で怒ると色々厄介だが、今の美朝ではあまり怖くない。むしろ久しぶりの美朝の涙目が可愛くて切なくて、初瀬は胸を震わせながら明るく笑った。
 「嘘はついてないだろ。二ヶ月もたったらぴんぴんしてるって言ったじゃん」
 「でも、なんの病気か隠してた!」
 「まあ、そんだけおまえらが気になってたってことで、許してくれよ。実際どうなるかわからんのに、あれこれ言い合いたくなかったからな」
 「……うー。そういう言い方、ずるい」
 きれいな少女の顔で、甘く澄んだ声で、可愛らしい表情で笑う「初瀬」を、美朝は涙をぬぐって拗ねたように睨む。
 エリナは、そんな「初瀬」から目をそらし、小さく呟くように口を開いた。
 「……ほんとに、あなたが初瀬なのね。全然、そうは見えないわ」
 「まあなぁ。おれもびっくりだぜ。いい女すぎだろ? あ、疑うならそこに身分証もあるからな」
 「うん、すごく美人さんだよ。声も可愛いし、肌も白くてきれいだし、髪もとっても長いし、身体も……柔らかかった」
 初瀬がサイドテーブルを指差して、美朝は一瞬ちらりとそちらを見たが、初瀬から意識をそらさない。エリナも数秒そちらを見たが、むしろ彼女が目にとめたのは小さな写真立てだった。
 先々月の初瀬の十七歳の誕生日、その日の主役を中心に、男女三人で写っている写真。美朝とエリナと、そして男の子の初瀬の、飾らない自然な笑顔の写真。
 「はっはっは。さすがおれって感じ? こうか?」
 そんな二人の反応を冷静に受け止める余裕はなく、初瀬はわざとふざけてしゃきっと背筋を伸ばした。大げさに自分の胸に両手をあてて、まろやかな二つのふくらみを下から持ち上げるように、軽く斜めにシナを作ってみせる。
 美朝ほど豊かではないが充分にふくよかなその部分も、目に見えてはっきりと女になっている顔も身体も、あまりにも以前とは違いすぎる高い声も、初瀬は暴れ出したくなるような鬱屈や恥辱を伴うが、今は精一杯強がって陽気に振る舞う。
 「――うん。内面で全部台無しだけどね」
 「あんだとこら」
 笑顔で言う美朝に、初瀬は素早く手を伸ばす。美朝は内心怯んでまた泣きそうだったが、それをおくびにも出さずに、明るく笑って初瀬の手から逃れた。
 「あは、嘘だよっ。初瀬くんは内面もカッコいいよっ」
 「内面がよくても、身体がこれだともう色々ダメダメだけどなー」
 「そんなことないよ。女の子になっても初瀬くんは初瀬くんだよ」
 「んなの当たり前だっつーの」
 「うん、当たり前だよね」
 まだ涙の跡の残る瞳で、美朝はにっこりと笑う。
 初瀬は一瞬その笑顔に見惚れかけて、また自分のほっそりとした首の肌をつまむように撫でた。思わず照れて、美朝の明るい態度に無意識にほっとして、照れ隠しのように自然な気配りをする。
 「まあ、二人ともいい加減座れよ。椅子はベッドの下にもあるから」
 「あ、うん、ありがとう。エリナちゃん、どうぞ」
 「……ありがとう」
 一つだけ出してあった椅子をエリナに譲って、美朝はベッドの下から折りたたみ式の椅子を取り出す。椅子を譲られたエリナは、美朝のスクールバッグを横に置き、自分のバッグとコンビニの袋を膝に抱いて腰を下ろす。
 エリナはそのまま、目の前のベッドの上の「初対面のきれいな女の子」を見て、何か言いかけたが、エリナよりも早く、美朝が椅子を広げながら口を開いた。
 「初瀬くん、髪は切らなかったんだね」
 「ああ、おまえらに一回見せたからもう切るけどな。頭重いしすげー鬱陶しい。風呂でも手間だし洗うのも出てからも面倒すぎだ」
 初瀬は両手を首の後ろにまわして、お尻も完全に覆う長さの艶やかな髪を、半分ずつ二つに分けて軽くつかんだ。
 性転換病の肉体変化の際に、体毛も一度完全に抜け落ちて生え変わるという過程を経るが、新陳代謝が活発になるのか、髪の毛や爪などが長くなることは広く知られている。そのため事前に長さを決めておいて、変化の最中に切っておいてもらうことが多いのだが、ここまで鬱陶しいと思っていなかった初瀬は、美朝とエリナをシャレで驚かすためだけにこの長さで留めおいてもらっていた。初瀬は薄々自覚しているが、そんなふうな無意識の美朝たちへの執着が、病気で挫けそうだった初瀬の心を支えていた。
 ここ数日のお風呂では、初瀬は髪を洗う日以外はできるだけ濡らさないようにしたが、入浴前にタオルでぐるぐるとアップに結い上げるのも手間で、その割に毎回しっかりと湿り気を帯びてしまうし、母親が手入れを手伝ってくれなければ今日まで持たなかったかもしれない。
 「えー、もったいないよ。せっかくこんなにきれいなのに」
 「じゃあみあが伸ばせよ。みあだって結局伸ばしてないじゃんか」
 「うー、初瀬くんは知らないんだろうけど、女子の髪は長いととってもたいへんなんだよ」
 「いや、もうむちゃくちゃ実感してるから」
 美朝は小学校時代に一度伸ばそうとしたようだが、「一番仲良しの男の子」が「みあが髪伸ばすとますますガキっぽくなりそうだな」といじわるを言ったり、「みあはそのままでも可愛いぞ」と甘い言葉を口にしていたから、肩にかかる前後の今のセミロングの長さで落ち着いている。ヘアピンやシュシュなどを使ったりするのはしょっちゅうで、気分で髪型を変えたり多少伸ばしたり切ったりはあるが、長すぎると手間だという理由もやはりあるようで、美朝はそれほど極端に長さを変えたことはない。
 「でも、こんなに長くてきれいなのに、もったいないよ。普通に伸ばしたらすごく時間かかるんだよ」
 美朝は広げた椅子に座らずに、もうさっき泣いたのが嘘のような自然な態度で、初瀬の髪に手を伸ばす。初瀬は少しくすぐったくて、長い髪をさらさらと掬うようにさわられて、微かに肩をくねらせた。
 「そーなのか? 五年とか?」
 「五年じゃ全然すまないよ。ね、エリナちゃん」
 「――うん。その長さなら、軽く十年とかかかるんじゃない?」
 「そうだよね。やっぱりもったいないよ」
 「もったいなくてもやる気はねー。とりあえず普通のロングくらいでばっさり切る」
 「あ、ロングにするの?」
 「うざかったらもっと切るけどな。せっかくこんな長いし、美人になったんだから色々遊んでみた方が面白そうだろ?」
 「あは、うん、今でもとっても似合ってるもん」
 「……美人って、自分で言うのね」
 いつのまにか普段と同じようなペースで話す美朝と初瀬に、エリナが曖昧な表情で口を挟む。初瀬は無防備な甘やかな表情と声で、軽く笑って切り返した。
 「むっちゃ事実じゃん。充分美人って思わね?」
 「……見た目だけはね」
 「うん、すごく美人さんだよ」
 「だろ。女は見た目がいい方がなにかと有利っぽいからな。せっかくいい女になったんだから、利用しない手はないだろ」
 「――初瀬くん、男子にモテたいの?」
 美朝が急に不満そうな顔になって、初瀬を少し睨む。
 「いやいや、それはありえないから」
 そんな美朝を嬉しそうに見やって、初瀬はきれいな声できっぱりと宣言した。
 「というわけで、おれはガチレズ一直線だ。みあも、レズるならいい女の方がいいだろ?」
 「え、わたしは、別に、初瀬くんなら、イイオンナでなくてもいいよ?」
 初瀬は深く考えていなかったが、ある意味直球の問いかけだった。そして美朝の答えもストレートだった。
 自分から言い出したことなのに、初瀬は美朝の言葉にドキッとさせられて、思わずまじまじと美朝を見つめた。
 美朝は少し頬を赤らめていたが、初瀬から目をそらさなかった。
 にっこり笑って、美朝はちょっと上目遣いに「初瀬」を見つめる。
 カタッ。
 急にエリナが立ち上がった。
 「わたし帰るわ」
 「えぅ?」
 唐突なエリナの行動に、動揺中の初瀬が変な声を出すが、エリナの動きは止まらない。エリナは春よりも長いセミショートの髪を揺らして、さっと身を翻して病室を出て行く。
 「な、ちょ、エリナ! おい、待てよ!」
 とっさに、以前とは違いすぎる甲高い声で初瀬が呼び止めるが、ドアが閉まってエリナの姿は見えなくなる。初瀬は急いでベッドから出ようとして、ベッドの上でつんのめった。
 「くっ」
 まだ急激な動作に身体がついてこない。「あっ」と驚いた美朝が、すばやくそんな初瀬を支えた。
 「だいじょうぶ?」
 「だいじょうぶじゃねー!」
 初瀬は今度は少し慎重にベッドを抜け出そうとしたが、美朝が両腕を押さえるようにして初瀬を制した。
 「……エリナちゃんなら、だいじょうぶだよ」
 「全然だいじょうぶじゃないだろ! なんでいきなり帰るんだよ!」
 「わたしが後で話してみるから。初瀬くん、まだ無理はできないんでしょう?」
 「ぐ」
 軽く押さえられているだけなのに、美朝の手を振りほどけなくて、初瀬は美朝を強く睨む。
 美朝は初瀬の瞳を見返して、次の瞬間、大胆に動いた。
 エリナだけでなく美朝も、普段通りのペースだったのは表面だけで、その内側には様々な感情を宿していたのだろうか。
 いつもの美朝のほんのりとしたコロンの香りが、ふわりと初瀬の鼻腔をくすぐる。
 初瀬の目の前いっぱいに美朝の顔が急接近して、初瀬の唇に、美朝の唇が重なっていた。
 「っ……!?」
 初瀬にとって突然すぎる美朝の行動。
 美朝はそのまま初瀬に身体をゆだねてきて、思わず硬直した初瀬は、美朝を支えきれずに後ろに倒れこんだ。
 初瀬の長い髪が、また大きく乱れてベッドに広がる。
 数瞬唇が外れたが、美朝は片足を床から浮かせて、上半身を斜めに押し付けるように抱きついて唇を重ねて、初瀬から離れない。美朝のふくよかな胸部が弾力的な重みとなって、初瀬の同じ部分のふくらみを柔らかく圧迫する。
 押し倒された形の初瀬は、頭がぐちゃぐちゃで整理できないまま、目を閉ざした。
 美朝とのキスは、イヤじゃない。イヤじゃないから、初瀬はそのまま力を抜いて、美朝の腕にそっと両手を添えた。
 美朝の身体も唇も、どこか微かに震えている。
 軽く押し付けられているだけの、美朝の唇。
 柔らかくてとても繊細で、触れ合う感触が心地よい。
 強くもなく弱くもない優しい弾力が、甘く温かく、初瀬の唇を刺激する。
 初瀬は半ば本能的に、自分からも押し付けようと、顔を動した。
 瞬間、美朝の唇が離れた。
 「んっ……」
 微かに鼻にかかった声がこぼれる。
 初瀬が目を開くと、吐息がかかるような至近距離から、美朝が初瀬を見つめていた。
 目のふちをほんのりと赤く染めて、とてもきれいな表情で。
 「わたし、初瀬くんが好きだよ」
 真剣な瞳で、まっすぐな声で、美朝が言う。
 「ずっと初瀬くんのこと好きだった。今も、女の子になっても、初瀬くんがずっと好きだよ」
 「…………」
 急激な状況の流れに、初瀬は胸がいっぱいいっぱいだった。
 女になったことは開き直っているつもりだが、まだ日常を取り戻したとは言えない状態でのこの状況。美朝の気持ちは薄々わかっていたが、今のこの状況では感情が追いつかない。
 美朝の突然の行動と告白とに驚く気持ち。急に帰ったもう一人の女の子のことが気になる気持ち。初瀬は男ではなくなって大きく変わってしまったのに、それを受け入れて一途に気持ちを伝えてくれる美朝が、なんだかやたらと愛おしい気持ち。
 初瀬の沈黙をどう受け止めているのか、美朝は真っ向から初瀬を見つめ続ける。
 「初瀬くんも、わたしのこと、好きだよね?」
 嘘をつくことも、ごまかすこともできない美朝の瞳だった。
 切なげに震える美朝のその瞳を見つめ返して、初瀬は以前とはまったく違う顔で、大きく変わってしまった声で、素直に湧き上がってきた気持ちを言葉にした。
 「ああ、おれはみあが好きだ」
 「――でも初瀬くんは、同じくらい、エリナちゃんのことも好きなんだよね」
 断定的な美朝の口調。初瀬は目を大きく見開いた。
 真顔だった美朝は、そんな初瀬の反応がおかしかったのか、小さく笑った。美朝は無意識の動作で、髪を耳にかけるしぐさをする。
 「そのくらい、見てればわかるよ」
 「……すまん」
 「どうして謝るの?」
 初瀬を斜めに押し倒して上から見つめる姿勢のまま、美朝は優しく笑う。
 そんな美朝の表情がとてもきれいに見えて、どこか艶っぽくて、初瀬は見惚れかけてついと視線を逃がした。
 「……おれがガキだから、かな。もっと大人なら、おまえらをこんなに困らせないのに」
 「――別に、わたしは、困ってないよ? 初瀬くんがだれを好きでも、女の子になっても、わたしが初瀬くんを好きなのは変わらないもの」
 「……困ってるのはおれの方だな。どうしたらいいのかわからん。ヘタレですまん」
 「今は、それでもいいよ」
 美朝は再び顔を近づけると、初瀬の頬に自分の頬を触れ合わせた。そっと初瀬の身体を抱きしめるように、自分の身体を押し付けた。
 「少しでもわたしのこと好きでいてくれるなら、今はそれでいい」
 愛おしそうな、切なそうな、美朝の声。
 「っ……」
 美朝のその言葉に、初瀬の胸が大きく震えた。
 胸の奥から、強い感情がこみ上げてくる。
 初瀬は一瞬だけためらってから、美朝の背中に両腕をまわした。
 ――また覚悟もなしに動いたら、美朝まで傷つけてしまうかもしれない。初瀬のことを息子同然に可愛がってくれている美朝のお父さんとお母さんにも、顔向けできなくなる――。
 そうわかっていながら、初瀬は止まれなかった。
 少し重いが、全然イヤではない重み。柔らかくていい匂いがする、温かくて心地よい大切な重み。
 先日までなら、ずっと美朝の身体の方が小さかったのに、今は二人、同じくらいの背丈の同じ性別の身体。
 自分の身体が大きく変わってしまっていることに、女になっていることに、初瀬はやるせなさもこみ上げてくるが、今はひたすら目の前の少女が愛おしかった。初瀬は溢れる気持ちのままに、ぎゅっと腕に力を込めた。
 それに応じるように、美朝の腕にも力が入った。
 美朝の顔が動く。
 初瀬も逃げない。
 初瀬は唇に、再び美朝の唇を感じた。
 そっと重ねるだけのキスをして、美朝はぎこちなく両手を動かす。どこかもどかしそうに上半身を初瀬に押し付け、その手が初瀬の肩を撫で、腕を撫でる。
 体勢が苦しかったのか、美朝はさらに大胆に動いた。美朝の足元のローファーが床に落ちる。膝丈のスカートが乱れて、短い白い靴下に包まれた美朝の脚がベッドに乗る。初瀬も美朝を迎え入れるように身じろぎをして、二人の上半身がやや斜めに接触する。
 一度唇は離れたが、美朝はそれでも初瀬を離さなかった。気持ちの強さを表すかのように、美朝は初瀬をぎゅっと抱きしめる。
 「初瀬くん……」
 初瀬の名前を呼んで、全身で愛情を表現する美朝に、初瀬もどんどん気持ちが溢れてくる。美朝と触れ合えば触れ合うほど、男の愛し方ができないことが、今の自分の身体が男ではないことが、初瀬の心に影を落とすが、初瀬は今はただ目の前の大好きな女の子だけに熱中する。
 みたび重なる、甘やかな唇と唇。
 着衣ごしに弾力的に触れ合う、お互いの胸のふくらみ。
 とくとくと高鳴る鼓動、お互いを抱きしめ合う腕、完全に密着するにはまだ少し位置が微妙な腰。
 美朝のスカートから伸びるなめらかな素足と、初瀬のスウェットに包まれたしなやかな足が、自然にそっと絡み合う。
 二人の身体は火照り、頬もしっとりと紅潮する。
 清潔な石鹸やシャンプーや洗濯洗剤の残り香と、美朝の繊細な優しいコロンの香りと、ほのかに汗の匂いを含んだ思春期の少女二人の体臭が、甘やかに溶け合って、お互いの身体を包み込む。お互いの身体の柔らかさとぬくもりが、甘く心地よく、お互いの心にも浸透する。
 キスで気持ちを伝えて、感情のままに抱きしめ合って。
 時々息継ぎするように美朝の唇が離れて、初瀬も無意識に自分の唇を舌で舐めて湿らせて、その拍子に、すぐに戻ってくる美朝の唇が、微かに初瀬の舌先に触れる。
 まだ稚拙に夢中になってただ押し付けてくる美朝の唇を、初瀬はそっと優しく吸って、艶やかに濡れた唇と唇を重ね合わせる。自分の唇で美朝の唇を挟むように軽く甘噛みして、初瀬からも積極的にソフトな口づけを交わす。
 初瀬の心は、もっともっとと美朝を求める。
 男だった時とはまったく違う形で、自然に身体が潤んで、腰の奥も甘くうずく。
 だが初瀬はぎりぎりのところで自制していた。愛情に際限はなくとも、自分の身体の現実に心が軋んでいても、今は全身で美朝を感じるだけで充分満たされていた。
 しっとりと温かな唇と唇を何度も触れ合わせて、強く優しく抱きしめ合って、ひたむきにお互いにお互いを感じ合って独占し合う時間。
 どのくらいの時が流れたのか、二人にはよくわからない。
 「ずっと、こうしてたい……」
 初瀬と抱き合ったまま、万感の想いを込めて、美朝が呟く。
 「……ああ、そうだな」
 「帰りたくなくなっちゃう……」
 「……暇なら、明日も来いよ」
 「……そんなこと言うと、毎日来ちゃうよ」
 「ああ、おれも暇だし一人じゃつまらんしな。大歓迎だぞ」
 「……わたしは、暇潰しの相手なの?」
 「アホ」
 初瀬もぎゅっと力を込めて、美朝を抱きしめた。
 今の初瀬は、美朝を恋人にするとは言わない。
 どうしようもなく美朝が愛おしくて美朝のすべてが欲しくて、感情が溢れそうになるが、まだ今は言えない。
 「……初瀬くんの身体、柔らかくてあったかい……」
 初瀬にしがみついて、美朝は切なそうに言う。
 「……そうか? みあもあったかいぞ」
 二人、抱き合う腕に、そっと力がこもる。
 「それにおまえの方が柔らかい」
 「……初瀬くんのすけべ」
 美朝はいつものように言い返してきたが、その声も切なげで、単に反射的なものだった。それがわかるから、初瀬はきれいな声でわざと軽く笑ってみせる。
 「どーやら、おれは女になってもスケベらしー」
 「……相手は、だれでもいいの?」
 「アホ。相手がおまえだからに決まってるだろ」
 初瀬は無意識に、おまえだけだよ、とは、やはり言わない。
 美朝は一瞬瞳を揺らしたが、うんと頷いて、初瀬から少し身体を離した。
 初瀬も抵抗せずに力を抜いて、真正面から美朝と向き合う。お互いの柔らかな身体に手を触れたまま、お互いの香りとぬくもりを感じ合ったまま、二人至近距離で見つめ合う。
 「……今の初瀬くんは、顔も、声も、身体も、全部女の子」
 「……やっぱり、イヤか?」
 「ううん、イヤじゃない。イヤじゃないよ。初瀬くんは初瀬くんだから」
 「……サンキュー」
 照れくささと同時に、隠し切れない無意識の安堵と嬉しさが、初瀬の声と表情ににじむ。
 美朝もそっと微笑みを浮かべた。
 「今の初瀬くん、すごくきれいだよ」
 「みあの方がずっときれいだよ」
 「……え」
 初瀬は自然に飛び出た自分の言葉にまた少し照れたが、本音だから訂正はしなかった。人の美醜は顔の造形がすべてではない。初瀬は美朝を見つめて、まっすぐに言葉を紡ぐ。
 「おまえの方がきれいだ。みあの方が絶対可愛い」
 「……ほんとに、そう思う?」
 「ここで嘘をつくほどおれは極悪人じゃないぞ」
 初瀬は今の容姿や声とはアンバランスな言葉遣いで言って、真っ向から美朝の瞳を見返す。
 「な、なんで泣く」
 美朝の目に涙が浮かんでいることに気付いて、初瀬は慌てた。
 「うん、初瀬くん大好き」
 美朝は笑って、初瀬にぎゅっと抱きついた。








 to be continued. 

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初稿 2012/03/05
更新 2012/03/05