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Boy's Emotion -AFTER STORY-

  Taika Yamani. 

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  その一
   二 「水曜日の午後」


 生徒会の集まりに参加していたほのかは、昼休み終了の予鈴が鳴るよりも早く、教室に戻ってきた。同じく早く戻ってそわそわと読書をして待っていた貴子と目が合うと、ほのかはにっこりと笑顔を浮かべて駆け寄って、「貴子ただいまっ」と抱きついてくる。あたふたしつつおかえりなさいを言う貴子に、ほのかは昨日同様、生徒会のあれこれを話して聞かせてくれる。
 気付くと五限が近付いて、二人また名残を惜しんで自分の席につき、五限の授業を受ける。
 その次の六限は、他のクラスと合同の芸術の選択授業だった。美術、工芸、書道、音楽からの選択で、貴子は書道を、ほのかは音楽を選んでいた。
 「なんで貴子、音楽選んでないの?」
 一年と二年の間だけ行なわれる芸術の選択授業は、入学時に選び二年間変更がきかない。五限の休み時間、ほのかはそんな理不尽な言葉を口にしたが、もう去年のうちにとっくにその後悔をすませている貴子は、反射的に言い返した。
 「脇坂さんこそ、書道を選んでくれてればよかったのに……」
 緊張して控えめなようでいてぽろぽろと本音を漏らす貴子に、「貴子の歌聞きたかったのに!」と膨れっ面をしかけていたほのかは、少し吹き出すように笑った。
 「貴子って、カラオケとか行く方? 今度カラオケも行こうよ」
 「う、うん。あんまり行かないけど、脇坂さんとなら、行きたいな……」
 まだ一桁の年齢の頃、「貴之」はフィギュアスケートの芸術面を鍛えるという意味もあって、音楽教室に通っていた時期がある。当時の「彼」は、フィギュアの芸術面よりも技術面に目がいっていたため、三年間しか続かなかったが、音楽全般を嫌うことはなかった。カラオケも、母親とその友人たちの付き合いでたまに連れ出されるし、一、二度なら槙原護たちとも行ったこともある。
 だから貴子は恋人の提案に素直に頷いたが、純粋に彼女の歌が楽しみという理由とともに、不純な動機もあった。「密室で彼女と二人きり」という思考がよぎっているあたり、下心もたっぷりだった。
 ちなみに、家に帰ってから自分の今の声での歌に鬱屈することになるし、流行りの歌は歌えないために選曲で悩むことになるし、おまけに初回はほのかの部活の先輩たちも一緒でかなりがっかりすることになるのだが、これは正直すぎる下心の代償ということにでもなるのかもしれない。
 芸術の選択授業は、松任谷千秋と藍川志穂は美術を、宮村静香は音楽を選んでいた。
 千秋と志穂は同じ樟栄中学出身だから、千秋の彼氏とともに、入学時に示し合わせていたらしい。時間ぎりぎりになってから、貴子は後ろ髪を引かれつつ書道室に、ほのかもまた嘆きつつ他の友達と音楽室へ、静香も別の友達と一緒に同じく音楽室へ、千秋たちも美術室へと、それぞれ向かう。
 昼休み以外貴子から離れなかったほのかの傍には、元からほのかと気さくに付き合っていた女子の十番の長瀬あきこなど、すぐに人が集まっていた。みな朝は態度に迷っていたようだが、これまでの時間で、ほのかに何か感じるところがあったのだろうか。ずっと貴子とイチャイチャしていたはずのほのかの、どこに何を感じたのかは謎だが、貴子の初登校時も大きな問題にはならなかったように、過去がどうかはさほど問題ではないと思った生徒も多かったらしい。終始賑やかで明るい雰囲気だった。
 性転換病が周知されだしてから約三十年、この病気に対する認識も、確実に広まっているということなのだろう。特に、貴子の場合は全くの別人になった印象があるが、ほのかの場合は中一の時まで男だったという過去が判明しただけで、突然別人のようになったわけでもない。貴子の時と同じ理由で拘ったものもいたようだし、元男だとか同性愛だとかを気持ち悪いと思うものもいたようだが、これまでの実績もあってほのかには味方も多く、ほのかが元男だったと知っても今まで通り付き合える生徒は少なくなかった。
 そんな六限と帰りのホームルームも終わって放課後になると、帰宅と部活の時間になる。
 陸上部と調理部をかけもちしているほのかは、水曜日は調理部の方に参加する。陸上部は大会が近いはずで、そちらはいいのかなと貴子は思うのだが、最初からそのつもりのかけもちだから、ほのかは強気だった。
 『部活も自分のためにやってるんだし、文句はお門違いだよ』
 昨夜電話で話した時、ほのかはそう言って笑っていたが、これは充分裏付けがあっての発言だった。放課後に面と向かっていた時には気付かなかったそのことに、電話だからなのか、貴子も気付いた。
 先輩方に可愛がられて、後輩にも慕われて、実績もあり、さらに毎朝自主的に走るなど、やることをしっかりとやっているほのか。よく考えれば、貴子がいちいち口出ししなくとも、ほのかはちゃんと考えて動いているように、貴子には思える。恋人になったからと言って、貴子がそんなほのかに部活をサボるななんて言うのは、かなりさしでがましかった。
 『……ごめん。部外者が、偉そうに口出しするようなことじゃないんだね……』
 『え、なに? ぼくのこと考えて言ってくれてるんでしょ? もっと色々言ってくれていいよ。言ってくれた方が嬉しいんだから』
 『……うん』
 貴子は頷いたが、ほのかには貴子が必要がないように思えて、ちょっと胸が痛んだ。「やっぱり見た目だけなのかな」とまで考える貴子は、まだ自分に自信が持てていなかった。
 その分、彼女の気持ちを実感すると、貴子の心は震える。今朝の自転車での貴子の行動も、そんな会話からも繋がっていた。
 ほのかにとっては貴子がいなくてもなんの問題もなく、貴子の存在は特に必要ないのかもしれないが、貴子にとっては、ほのかはかけがえのない存在。だからこそ、彼女が本気で望むならなんでもしたいと、貴子は心からそう思う。
 もっとも、独占欲の裏返しのその想いは、ほのかが知れば健気だとも思うかもしれないが、同時に怒って叱りたくもなるかもしれない。そんな想いを抱くのは、貴子だけではないのだから。



 「そろそろ行こっか」
 帰りのショートホームルームが終わって、少し雑談した後。ほのかに促された貴子は、うんと返事をして、荷物を持って立ち上がった。
 正直貴子としては、女子部ではないのに女子しかいない、いわゆる女所帯の調理部への参加は、あまり乗り気ではない。が、「彼女と一緒に部活」ということ自体には強い魅力を感じるから、逆らわない。貴子と同じゲスト参加予定の福山かなえともあまり顔を合わせたくないのだが、ほのかの方は紹介したがっているようだから、避けて通るわけにもいかない。
 そんな貴子の気持ちを知ってか知らずにか、ほのかは笑顔を絶やさずに、すぐに貴子の手を握ってくる。まだまだほのかの傍では緊張してしまう貴子は、もうほのかにさわられるのは毎時間のことなのに、ドキッと鼓動を跳ねさせた。
 そっと握り返すと、貴子の手の方が少し小さい。男だった時なら貴子の方が手も大きかったはずで、貴子はそれを思うとちょっと切ない。もちろん、ほのかの手に包まれるのが嫌なわけはなく、こっそりと彼女の柔らかい手の感触を満喫したが。
 ほのかはクラスメートたちに挨拶をしながらされながら歩くが、やはり貴子に挨拶の言葉を投げてくるのは少数だ。貴子がほのかと一緒に挨拶をすれば全然違うのだろうが、貴子はそれをしようとはしない。貴子を横目で見て「困った子だな」と言いたげに笑うほのかに気付かず、貴子は黙ってほのかに引かれるまま歩く。
 そんな通りすがりに、ほのかは一人の女子生徒に声をかけた。
 「清水さん、部活行こー」
 「え……? え! 一緒に行くの?」
 「あれ、まだ行かない?」
 「あ、ごめん……! ちょっと待って……!」
 ほのかと同じ調理部の部員の、清水春華。二年二組の調理部員はほのかと春華だけで、水曜日はいつも一緒に行っていたらしいことは、貴子もそれとなく知っている。
 友達と話をしていた春華は、貴子が一緒なのに誘われると思っていなかったのか、かなり慌てた様子で帰る準備に取りかかった。
 「じゃ、わたし部活行くね!」「穂積さんも一緒なの?」「そうなの、かな……?」
 春華と友人たちの間でそんな会話が交わされ、ほのかと彼女たちの間でも別れの言葉が飛び交う。
 「貴子、清水さんも調理部だよ、いいよね、一緒で」
 ほのかは貴子に向かってそう言うが、すでに誘った後なのだから、貴子に選択の余地を与えていない。貴子は小さく頷いて、か細い声で「任せる」とだけ言い、「お待たせ……!」と駆けてきた春華と三人一緒に廊下に出た。
 「清水さん、今日は貴子もゲスト参加だから、よろしくしてあげてね」
 「あ、やっぱり、そうなんだ」
 ややぽっちゃりした身体つきでメガネをかけている清水春華は、貴子の認識では少し地味な印象の女子だった。が、貴子がよく知らないだけで、女子生徒たちの中では「控えめだが明るい子」といった感じで、貴子の隣席の副学級委員の奥野さんたちと特に仲がいい。ほのかとは教室では頻繁に話す方ではないが、部活が同じだから充分に親しいらしい。
 貴子の女子としての初登校時には、春華は直接話しかけてくることはなかったが、友人にくっついて好奇心いっぱいな顔で貴子の席の傍にきていた。その経験から貴子には近寄り難いものを感じていたようだが、ほのかと付き合い始めた貴子を見て違う印象も抱いたのか、新しい好奇心に満ちた瞳を、貴子とほのかに向けていた。
 「穂積さんって、料理はどう、なの? やっぱり、脇坂さんみたいに苦手な方、なのかな?」
 その清水春華の言葉には「二人とも元男だから」という意味が暗に込められているように貴子は感じたが、ほのかはどこまで意識しているのか、軽くさらりと応じた。
 「食べるの専門のぼくとは違って、家ではいつも自分で作ってるみたいだよ。ママが忙しいんだって。ね、貴子?」
 「う、うん」
 「だから期待できるよ」とほのかは続け、少し慌てたような貴子の言葉と、ちょっと感心したような春華の言葉とが重なった。
 「そんな、期待されるほどじゃないよ」
 「じゃあ脇坂さん、今日は楽しみだね」
 謙遜するつもりはないが、貴子としてはほのかに期待されてそれを裏切るのは怖い。だから貴子は反射的に言い返したのだが、ほのかは貴子の手を引っ張って、「うん、楽しみ楽しみ」とご機嫌そうに笑う。
 春華と貴子でほのかを挟む位置だったが、下校時間で人が多いから、たまに春華は一歩下がり、貴子も通行の邪魔にならないように時々動いていた。が、ほのかは貴子が離れそうになるとすぐに貴子の手を引いたり自分から近付いたりして、ずっと腕と腕がくっつかんばかりの近距離を維持する。そのたびにドキドキしてしまう貴子は、もちろん嫌なわけはなかったが、三人で横に広がると気配りが大変で、ちょっと歩きにくかったりもした。
 「いっそ入部させちゃおうとか考えてるんだけど、貴子、どう? 調理部は大人しい子多いし、アットホームで楽しいよ。実習日以外は、半分おしゃべりクラブみたいだけどね」
 「いまさら、部活は。家のこともあるし……」
 「ぼくの部活終わるの待ってるなら一緒じゃない? これから暗くなるし寒くなるし、家庭科室ならあったかいよ?」
 ほのかの中では、貴子がもう毎日待つということは確定なのだろうか。
 そんな二人に、春華も笑顔で自然に口を挟む。
 「入部がいやなら、脇坂さんみたいに、実習日だけでも、いいんじゃないかな?」
 「あ、それもありだね。樟栄祭、部費代わりに手伝ってもらうことになるけど、ぼくと一緒にウエイトレスやる? 腕が確かなら、調理担当もあるよ」
 「でも部活は……、やっぱりいいよ」
 貴子は拒絶の言葉を繰り返したが、内心は少しだけ考え込んだりした。ほのかがかけもちだから入部は気が進まないし、女子しかいない調理部には抵抗があるし、樟栄祭でウエイトレスも論外だ。が、毎週ほのかと一緒に部活、というのは、やはりかなり心惹かれるものがある。もし今日が楽しければ、また行きたくなるかもしれない。
 「ま、とりあえず、今日見てもらってからかな?」
 貴子の内心の葛藤を察したのかどうか、ほのかはここで一歩引いた。「料理の腕前と部長の確認も取らないといけないしね」と笑って、話題を変える。
 「貴子って好き嫌いはどうなの? なにか好きな食べ物ある?」
 急にそう言われて、貴子の脳裏に、真っ先に母親の手作りバニラムースが思い浮かんだ。
 が、母親の手作りお菓子が好きだなんて言うのは、なんとなく気恥ずかしかった。貴子は内心慌てて別のものを考えて、とっさに、樟栄高校最寄の駅前にもあるドーナツチェーン店の名前を上げた。
 「あ、穂積さんも好きなんだ」
 貴子の出した名前に、ほのかは少し意外そうな顔をしたが、春華が乗ってきた。嬉しそうに自分の好きな商品名を挙げて、貴子にもなにが好きなのかと尋ねてくる。
 春華はチョココーティングされて苺ホイップクリームが中に入ったものが一押しということだが、貴子はオーソドックスなドーナツが好きだ。隠すようなことではないから率直に答えると、なぜかほのかに笑われてしまった。
 「女子ってみんな、なんでそんなに甘いの好きなんだろうね」
 「性別は関係ないと思うけど……」
 ぽろりと言い返した貴子に、春華も同意するように軽く笑った。
 「そう言う脇坂さんが、女子なのに甘いのダメだもんね」
 「え、そうなの?」
 「うん、ぼく甘いお菓子は苦手。野菜も嫌い」
 貴子にとって意外なことに、ほのかはかなり食べ物の選り好みが激しいらしい。春華がまた少し笑って、「好き嫌いの多い彼女さんで、穂積さんも大変だね」と、明るく貴子を見やる。
 貴子としてはほのかが彼女でいてくれるのなら、そのくらいのことは苦労でもなんでもないが、意外さは隠し切れない。それをほのかに見抜かれて、肘でわき腹をぐりぐりされてしまった。
 「なぁに、貴子、なにか文句ある〜?」
 「ぁ、ぅ、も、文句なんて、ないよっ」
 痛いというよりくすぐったくて、貴子は身をよじったが、楽しげなほのかは手を離してくれない。
 ほのかの肘は時々横から貴子の胸のふくらみにもぶつかっていて、貴子は昨日なら緊張のあまりどうにかなってしまったかもしれないが、くすぐったすぎたせいもあって今日はちょっとだけ笑ってしまった。
 『わ、やっぱり、貴子は笑うともっと可愛い』
 貴子の自然な笑顔に、ほのかは鼓動を跳ねさせたのだが、身をよじっていた貴子は気付かない。
 ほのかは満面の笑みになると、ぐりぐりをやめて手を引っ張って、肩に肩をぶつけるようにした。片手が荷物でふさがっていなければ、ほのかは横から抱きついていたかもしれない。
 「貴子は嫌いなのないの?」
 「んっ、と、辛いのとか、味が濃いのは苦手、かな」
 もし抱きつかれていれば緊張のあまり貴子の笑顔は瞬時に引っ込んだだろうが、引っ張られながらそう答える貴子の顔には、微笑みの残滓が漂っていた。これまで学校では見せなかったような、甘く柔らかい自然な表情。
 ほのかはますますご機嫌そうに、吹き出すように笑う。
 「貴子って結構おこちゃまなんだね」
 「え、脇坂さんの方が、野菜嫌いなんて子供っぽいよ」
 「うん、ぼくまだ子供だもーん」
 貴子は反射的に言い返したが、笑って胸を張るほのかにはなんのダメージにもならない。やたらときれいな笑顔のほのかに、貴子は思わず言葉につまった。
 ほのかはさらに楽しげな笑顔になって、貴子の好き嫌いを根掘り葉掘り問いつめにかかる。貴子は正直にほのかに答えつつ、同時にがんばってしっかりと、ほのかの好きな食べ物についての情報を入手した。
 「いっぱいあるよ」と笑ったほのかは、だんだんと変なリズムをつけて大量に列挙する。
 「河豚とか馬刺しとか、海老天とか、お寿司にしゃぶしゃぶ、鰻の蒲焼。酢豚にカキフライに、シーザーサラダ、苺にメロンに冷たいレモンシャーベット!」
 貴子は、「ほんとに、いっぱいだね」と、また無意識に無防備に笑みをこぼしてしまった。
 まだ緊張のかけらは残っているが、貴子の態度は本人も気付かないうちに、どんどん自然に柔らかくなっている。ほのかもそんな貴子に、いっそう楽しそうに嬉しそうにじゃれつく。
 一緒に歩く清水春華は、いちゃつく二人に口を挟めなくなって、むしろ彼女の方がちょっと恥ずかしそうにしていた。



 「こんにちは〜」
 調理部の現在の実活動部員数は、一年生が十三人、二年生が八人で、合計二十一人らしい。ほのかのように実習日のみ参加の生徒がいるとしても、三年生が夏で引退していることも考えると、文化系の部活としては比較的大所帯と言えるかもしれない。家庭科室にはすでに半数ほど集まっていて、ほのかと春華が挨拶をして中に入ると、みなすぐに挨拶を返してきた。
 「あ、脇坂先輩、清水先輩、こんにちは!」
 「こんにちはー!」
 「こんにちは……!」
 調理部員たちも、ほのかが「元男の女」の恋人を作ったという噂や、ほのか自身が元男だったという噂を知っているはずだが、貴子の見た限り、朝に教室に入った時のような露骨に困惑したような空気にはならなかった。
 「あかりはまだなの?」
 「あ、はい! 部長はまだみたいです!」
 一年生を中心に、ちょっと緊張したような気配を見せる生徒もいるが、一年生がほのかの前でこんな態度になるのは珍しいことではない。「貴之」にとってのほのかは「高嶺の花の同級生」だったわけだが、たいていの下級生にとってのほのかは「憧れの上級生」でもある。貴子の存在を気にしている生徒も多かったが、これは当然の好奇心といったところだろうか。ほのかと手を繋いでいるから、噂のほのかの恋人ということも簡単に見て取れて、みなの興味をかきたてていた。
 「あの、先輩、その人……」
 「うん、ぼくの彼女の穂積貴子。今日はゲスト参加なんだ。みんなよろしくしてあげてね」
 ぼくの彼女、とはっきりと言い切るほのかに、「キャー!」と悲鳴じみた歓声じみた声が沸き上がった。
 ほのかは大人しい子が多いと言っていたが、部員に男子がいないせいもあってか結構あけすけで、十代の集団の姦しさはしっかりと存在した。話の内容は五十歩百歩だとしても、男子の集団の騒がしさとは質の違う、女子の集団の騒がしさ。下級生たちはちょっとおずおずとしていたが興奮気味に、同学年の生徒たちは好奇心一杯の顔で、ほのかはあっという間に取り囲まれた。
 にこやかに受け答えしながら、ほのかは適当な席に荷物を置いてテーブルに寄りかかり、ほのかが手を離してくれないから、貴子もそれにならう。女子の集団に囲まれて居心地の悪さを感じつつ、やや斜め後ろから、好きな女の子の横顔をちらりちらりと見つめる。
 ほのかは黙って立っていればきれいな容姿の少女だが、こんなふうにみなとおしゃべりをしている姿は、貴子から見れば年相当に可愛いという印象も強い。明るくて元気がよくて、口調や物腰が時々どこか少し子供っぽく、なによりよく笑うせいもあるのだろう。それでいながら、引き締めるべき時にはとても凜としている、貴子の主観では世界で一番きれいで可愛い女の子。
 相変わらずしょっちゅう、ほのかは「ね、貴子」と同意を求めてきて、何度も視線がぶつかる。その視線に簡単に冷静さをかき乱されてしまう貴子は、まだまだ普段の態度には程遠かったが、昨日よりはましだった。どうしても自分を取り繕えずに本音がぽろぽろこぼれてしまうが、そうやって自分を意識してくれている彼女に、心が震える。ほのかは他の子と話をしている時も、握り締めたままの手にきゅっと力を込めたり緩めたり指で撫でたり、無意識なのかどうか貴子の手で遊んでいて、貴子は緊張とともにその手に応じて、じんわりとした嬉しさも感じていた。
 そんな貴子の方は、傍から見ると、本人の自覚に関わりなく「恋に夢中になってはにかんでいる引っ込み思案な女の子」という印象になっていた。貴子の態度にはほのかに対する感情が露骨に溢れているし、繋がれっぱなしの手を時々遊ぶように動かしているのも、しっかりとほとんどの部員に気付かれていた。おかげで貴子にはちょっと話しかけにくくなっていたが、今の自分を客観視できたら、貴子本人はまたかなり情けなさを感じたかもしれない。
 「ほのかさんが料理苦手なのって、男子だったからなのかしら?」
 「ほのか先輩、甘いのもダメですしね〜」
 「そんなの関係ないと思うよ? 貴子はぼくよりずっと男だったの長いのに、料理できるみたいだし、甘いのも好きだって言うし」
 ちょっとお母さんじみていると評判の副部長さんにからかわれても、ほのかは笑って受け答えする。貴子としては、特にほのかの前ではまだ触れたくない話題も多いのだが、ほのかは平然と付き合っていた。
 「あ、穂積先輩って、料理ができる男子だったんですね」
 「家庭的な男子だったのかぁ。女になるなんてもったいないなぁ」
 調理部の部員たちの方も、ほのかが言っていたように比較的アットホームなようで、本音はどうであれ、貴子にも友好的だった。中には貴子の去年のクラスメートも混じっていて、男だった頃の貴子を比較的よく知っている生徒もいたのだが、二人が元男ということや同性愛ということも重々しく扱わずに、気軽にネタにして少し冗談めかしていた。
 「もしかして、穂積さんって、男のままだったら結構お買い得だったのかしら?」
 「あは、料理ができて、一途に想ってくれて、尽くしてくれるって感じですー?」
 「男臭くなくて家庭的な男子か……。もったいない! もったいなさすぎる!!」
 「穂積くん、なんで女子になっちゃったのー!」
 「みんななに勝手なこと言ってるかな。貴子は女で絶対幸せだよ。ぼくと一緒に幸せになるんだから。ね、貴子」
 きれいな笑顔で大胆に言い切るほのかに、貴子が言葉を返すより先に、またキャーと歓声が沸き上がる。下手に性的であけすけな話題より、かえって本気の恋愛の方が照れてしまう場合もあるからだろうか。人前でもまっすぐに堂々と恋を宣言するほのかと、その対象である貴子に、憧れと嫉妬の混じった視線も飛んでいた。
 「穂積先輩、いいなぁ……」
 「あの、昨日みんなの前で更衣室でキスしたって、本当なんですか……?」
 だんだんと、会話が恥ずかしい方向に流れていくように感じるのは、貴子の気のせいではなかった。
 どんどん後続の部員たちもやってきて話に加わり、さらに場が賑やかになる。大人しい子もいるようで、積極的に参加せずに後ろから見ているだけの子もいたが、興味なさげというわけではなく、こっそりと聞き耳を立てている風だった。中には、恋人を作ったほのかを見て沈んだ気分になっている部員もいて、もしも貴子が気付いていたら、今の自分を棚に上げて百合な想像をしてしまったかもしれない。
 ほのかもほのかで、さらに調子に乗って、「ね、みんなの前でまたキスしていい?」などとからかって、貴子の冷静さを奪ってしまう。とっさに体裁を繕えずに「い、いいけど、できれば二人の時に……」とつい馬鹿正直に本音で応じてしまう貴子と、嬉しそうな笑顔のほのかに、また黄色い声が飛び交った。
 数時間後、貴子はこの時の言動を思い出して、「脇坂さんの前で勝手に本音がぽろぽろでるのは、さすがになんとかしないと……」と、昨日一昨日に引き続き自分の態度に深い情けなさを感じることになるのだが、それはまた後の話であった。
 ほのかの従妹がやってくるまで、そんな会話は続いた。
 「今日は賑やかですね。みんなこんにちは」
 いつのまにか室内に入ってきて挨拶をする福山あかりに、みないっせいに反応した。部長のあかりと、あかりと一緒にやって来た二年生に対して挨拶が飛び交い、あかりたちもやんわりと微笑んでそれに応じる。
 「こんち〜。あかり、遅かったね」
 ほのかも笑顔で挨拶の言葉を投げ、貴子の手を取ったまま輪を抜けて、あかりに近付く。貴子も、ほのかの従妹を内心警戒しつつ、姦しい会話から抜け出せたのはちょっとほっとして、ほのかに引っ張られるままに動く。
 「カナは一緒じゃないの?」
 「ごめんなさい。どうしても嫌だって、連れてくること、できませんでした」
 「やっぱりそっか……。ま、しかたないね」
 警戒していた貴子と違い、ほのかはかなえの不参加を予想していたらしい。ほのかは少し残念そうな顔をしたが、それ以上の感情は見せなかった。一度貴子から手を離して、あかりと貴子を向き合わせるような位置で、間に立つ。
 「貴子、紹介するね。コレが、ぼくの従妹で調理部部長の福山あかり。ちょっと時々性格悪いけど、悪い子じゃないから。適当に仲良くしてあげてね」
 「ずいぶんな紹介ですね」
 「あかりなんてそれで充分だからね」
 『あかりは口やかましい世話焼きの妹って感じ』とほのかは昨夜の電話で言っていたが、あかりの態度は昼休みとは少し違っていた。妹や従姉にも丁寧語を使うあかりの態度は、貴子に対しては柔らかかったが、ほのかに対してはだいぶ砕けていた。
 「で、あかり、この子が、ぼくの彼女の穂積貴子。よろしくしてあげてね」
 「はい、昼休みもお会いしましたが、改めてよろしくお願いしますね、穂積貴子さん」
 厄介そうな相手が不参加と知って少し気を抜いた貴子は、恋人に「この子」呼ばわりされたのは忸怩たるものを感じたが、態度には出さない。小さく頷いて、華奢な声で「よろしく」とだけ、また言葉少なに応じる。
 が、貴子が落ち着いていられたのはそこまでだった。
 「え、昼休み?」
 あかりの発言は、ほのかにとって、今度はかなり予想外だったらしい。
 「えー! 貴子なんで黙ってたのー!?」
 驚くと同時に、瞬時に事情を察して非難の声をあげるほのかに、貴子は簡単に慌てさせられてしまった。
 「な、なんでって、特別言うようなことじゃないし……」
 「特別言うようなことだよ! 紹介したぼくが馬鹿みたいじゃないか。もう会ってたならどうして教えてくれないの? どこで会ったの? どんな話したの? あかりはぼくのことなにか言ってた? 貴子はぼくのことなんて言ってた?」
 矢継ぎ早に言うほのかの矛先は、福山あかりにも向く。
 「べ、別に、ちょっと挨拶しただけだし……」
 「ほのかのことを大事にしてくださいってお願いしたら、言われるまでもないと、おっしゃってましたよ」
 貴子は取り乱したまま、あかりはなぜかどこか少し驚いたような真顔になって、ほのかに答える。
 「……それって、全然挨拶しただけじゃないね」
 「な、学食で松任谷さんたちも一緒だったし、ほとんどなにも話してないよ……!」
 ジト目で睨むほのかに、貴子はがんばって反論したが、なぜかますますほのかの機嫌が悪くなった。
 「ぼくともまだ一緒に食べたことないのに、あかりと一緒に食べたの?」
 「い、一緒には食べてない……! すぐに妹さんが来て、福山さんは別の席で食べてたから……!」
 「え、貴子、カナとも会ったの? カナなんか言ってた? ちゃんと最初から話してよ」
 「え、えと……!」
 話せと言われても、貴子に言えることは少ない。貴子は言葉を捜したが、冷静には程遠いせいか、とっさに上手く言葉が出てこない。
 「学食で見かけたので、わたしから声をかけたんです」
 貴子とほのかとのやりとりを真面目な顔で眺めていたあかりが、貴子のかわりに、シンプルにほのかの問いに答えた。
 「少し挨拶をしただけというのも本当ですよ。わたしとしては、ご一緒したかったんですけど、かなえが嫌がって」
 「まさかカナ、貴子にあたったりしたの?」
 「いえ、二人は口もきいてません」
 「…………」
 それもそれで問題だと感じたのか、ほのかはちょっと視線を鋭くする。
 ほのかの注意が自分からそれて、貴子は気持ちを立て直そうとしたが、すぐにほのかの視線は貴子に戻ってきた。
 「ま、カナはしかたないとして……、黙ってた貴子はおしおきだね」
 えっと思う間もなかった。
 ほのかは両手を貴子に伸ばすと、手のひらで頬をふにゅっと挟み込んでいた。
 「わっ」
 きさかさんっ、と続けようとした貴子の言葉は、声にならずに喉の奥で消える。
 「あかりに放課後会わせるってわかってたくせに、どうして教えてくれないの? わざと隠したんじゃないかもだけど、なんでも話そうって言ったでしょ?」
 言いながら、ほのかは貴子の顔を自分の方に引っ張り、同時に自分からも距離を縮める。半歩引き寄せられた貴子は、視線はうつむかせたまま、桃色に染まった顔だけ、強引に少し上向かされた。小さな唇が何か言おうと微かに開いたままで、ほのかはそんな貴子の両頬に手を当てて、至近距離から貴子を見おろす。
 傍から見るとまるでキスでもしそうな体勢だが、貴子はそれを気にする余裕はなかった。相手がほのかでなければ、理不尽な責めに反感を抱いただろうが、ほのか相手ではどうしても弱気になってしまう。
 「ご、ごめん……」
 貴子はただでさえか細い声をかすれさせて、小さな声で、しゅんと呟く。
 「だめ。謝ったって許してあげない」
 ほのかは貴子の柔らかい頬を、挟みつけるというよりは撫でまわすように、ふにゅふにゅと遊ぶような感じで手を動かす。
 ほのかの手が感じる貴子の頬は熱く、貴子の頬が感じるほのかの手はあたたかい。
 貴子は何か言いたかったが、ほのかの言葉とその手の動きとにわたわたしてしまい、冷静さをかき乱されて思考がまとまらない。
 そんな貴子と裏腹に、ほのかは顔は怒った表情を維持しつつ、内心はしっかりと機嫌を戻していた。『貴子のほっぺって、すべすべで柔らかくて気持ちいいなぁ』『貴子の目、ちょっと潤んでる』『ちょっと本気でキスしたくなっちゃうかも』などと、貴子が知ったら激しく情けなさを感じそうなことを思いながら、ほのかは貴子のほっぺたをさわりたい放題さわってもてあそぶ。
 そんな二人だったから、ほのかの冗談を、貴子は冗談とは受け取らなかった。
 「そうだね、今ここでキスしてくれたら、許してあげてもいいよ」
 ほのかに毒されてきたのか、または相変わらず本音が先行したのか。
 ただでさえ焦っていた貴子は精神的余裕がなく、ついほっと安心して、照れや狼狽より先に衝動で動いた。キスで彼女の機嫌が戻るならむしろ望むところだと無意識に思ってしまった貴子は、自分の行動の意味を深く考えていなかった。
 自分の頬を挟んだままのほのかの両腕に、貴子は両手をそえて。
 ほんの少しだけ背伸びをして、顔を上向かせて。
 まっすぐにぶつけるように。
 ほのかのきれいで艶やかな唇に、自分の唇を触れさせる。
 今日のキスは、貴子から。
 お互いに顔を傾けなかったから、唇と唇よりも鼻と鼻の方が強くぶつかってしまったのは、貴子にとって情けなさすぎる失敗。
 すっかり自分たちの世界を作る二人に、まわりは騒いだり、興味津々固唾を呑んだりしていたが、その瞬間シンと押し黙った。同級生の松任谷千秋あたりがこの場にいたら、「またこの二人は……、ホントにもうどうしようもない」と顔を赤らめつつ天を仰いだかもしれない。昨日といい今日といい、貴子もほのかも、場所をわきまえずに少し衝動で動きすぎだった。
 当事者の貴子は、鼻がぶつかってちょっと我に返っていた。『う、カッコ悪……!』と、かなりいまさらな思考が脳裏を駆け巡り、ほのかの手が緩んだ隙に、慌ててほのかから離れる。
 「ご、ごめん……!」
 なんに対して謝ったのか、貴子は自分でもよくわかっていなかった。が、慌てたのは冗談のつもりだったほのかも同じで、彼女もいつのまにか目の縁をほんのりと赤く染めていた。
 「う、うん、いいよ、もう」
 ほのかは無意識といった動きで、指先で自分の鼻を撫でて、唇にも触れる。
 「初めて、貴子からされた……」
 貴子がえっと思う暇もなかった。ほのかは満面の笑顔になると、焦っている貴子のウエストに両腕を回した。
 「貴子って、キス、へたくそっぽい?」
 自分の行動やほのかの言葉や態度にもあたふたしてしまう貴子は、なにげにひどいことを言われた気がしたが、とっさにまともな言葉がでてこない。ほのかは笑って貴子を抱き寄せ、真正面から見つめてささやいた。
 「ぼく以外と、したことないよね?」
 「あ、当たり前だよ……!」
 実際は乳幼児期に母親に奪われていたりするのだが、幼い頃の身内とのキスなんて、フライングでノーカウントというやつだった。
 貴子は反射的に言い返したが、ほのかの顔が近すぎて、すぐにまた瞳をうつむかせてしまう。
 ただでさえドギマギしてしまうのに、彼女の胸のふくらみが、高鳴る貴子の胸のふくらみと柔らかく触れ合っている。腕ごと抱きしめられているから、手のやり場も困る。冷静には程遠い頭の片隅には『おれも脇坂さんの身体に手を回して抱きしめたい』という心理もあったが、実行に移すには気持ちがいっぱいいっぱいだった。身体全体が熱く、頬が上気しているのを嫌でも自覚してしまい、その自覚から来る情けなさが、いっそう冷静さを奪う方向に作用してしまう。
 「じゃ、一緒にいっぱい、練習しようね?」
 ほのかのそんな嬉し恥ずかしな台詞も、貴子の感情を簡単にかき乱す。
 「う、うんっ……」
 貴子はつい、いつものごとく馬鹿正直に頷き、そんな貴子に、ほのかもちょっと照れているような、だが嬉しそうな笑顔になり、ゆっくりと顔を近付けた。
 ほのかの腕の中で、ほのかに包まれてうつむいている貴子のオデコを、ほのかは自分のオデコでそっと押して。
 オデコ同士がくっついてピクンと身体を揺らす貴子の目を、ほのかは強引に下から覗き込むようにしながら。
 貴子の桜色の唇に、自分の唇を――。
 「ほのかストップ!」
 唇が触れ合う寸前、ほのかは後ろから片腕を引っ張られた。
 「わっ」と驚いたほのかのもう一方の腕は貴子の腰に回ったままで、貴子もそのまま引き寄せられた。傾いだ貴子の身体はほのかに強く抱きしめられる体勢になって、とっさに貴子も、身体を支えるためにほのかの身体に腕を回す。
 「いくらなんでも見てる方が耐えられないので、そのくらいにしなさい」
 「もー、あかり、なにする。せっかくいいところなのに、じゃましないでよ」
 ドキドキしっぱなしの貴子を抱きしめたまま、ほのかは不満げな顔を横に向ける。ちなみに外野では部員たちの悲鳴や歓声が上がりかけていたり、「あーん、惜しい!」「部長、なんで止めるんですかー」「穂積さん、いいなぁ……」などといった小さな声が飛んだりしていた。
 「もうちょっとTPOを考えて行動しなさい。かなえが見たら泣きますよ」
 「いいでしょ、いないんだし。それに恋人なんだから、このくらいふつーだよ。ね? 貴子」
 「え、と……」
 ほのかにも、自分たちが女同士だという立場を利用しようとするしたたかさがあるのかどうか。冷静な時なら貴子も色々思うところがあっただろうが、さっきからこんな状況ではまともな思考にならない。
 「どこが普通なんですか」
 あかりは当然のごとく反論してくる。貴子はあかりのことを優しげな印象の子だと思っていたが、同い年の従姉相手に対してだからか、あかりは結構容赦がなかった。
 「穂積貴子さんも、お願いですから、ほのかをそんなに甘やかすのはやめてください。下手に甘やかすとつけあがるだけなんですから」
 「えー、ぼくは全然甘えてないよ。甘えてるのは貴子の方だよ」
 「え、それは違うと思うけど……」
 貴子は華奢な声で反射的に否定したが、即座に反撃が降ってきた。
 「違わないよ。ぼくが近づいても逃げないくせに」
 「そ、それは、嫌じゃないから……」
 「ほらやっぱり! 貴子の方が甘えん坊さんだよ」
 なぜそうなるのか、貴子はほのかの理屈がさっぱりわからなかったが、ほのかにそう言われるとそうなのかなという気になってしまうのだから、やはりかなり重症だった。同級生の宮村静香あたりがこのやりとりを聞いていれば、「どっちもどっちだよね」と羨ましそうに笑ったかもしれない。
 あかりもちょっと呆れたようだが、何か言いかけて、数秒口を閉ざした。
 「貴子って、ウエスト細いよね」
 そんなあかりに頓着せず、ほのかは懲りずに、貴子のウエストに回していた手を、急に下へと動かした。
 「な、脇坂さん……っ」
 「お尻はおっきめな感じなのにね。安産型かな?」
 背中が異様にぞくぞくとくすぐったい。
 笑顔のほのかに腰の曲線を撫でられて、お尻まで撫でられそうになって、貴子は背を逸らすようにして身をよじった。
 が、それだけの動きでは、かえって背中や腰のラインが強調されたり、お互いの胸のふくらみ同士が押し付けられ合うだけなのだが、貴子はここでもほのかを本気で押し返したり咎めたりしないのだから、外野からはやはりイチャイチャしているようにしか見えない。ほのかを甘やかすなと、あかりが言いたくなっても無理もない貴子の態度かもしれない。なんだかんだでほのかとくっついているのを嫌がっているようには全然見えず、むしろはにかんでいるだけで喜んでいるようにも見えるのだから、傍から見ると充分始末に負えない貴子だった。
 ほのかもほのかで、昨日の今日なのに、アクセルを踏みっぱなしだった。ここであかりが口を挟んでこなければ、貴子はまた緊張の糸が切れて抑えがきかなくなっていたかもしれない。
 「ほのか、本気なんですね」
 あかりが真顔で呟く。
 今まであかりが見たことがなかったような、ほのかのそんな一連の態度。
 「なにをいまさら。本気に決まってるよ」
 貴子のまるいお尻を撫でかけていたほのかは、あかりに凜とした瞳を向けて、率直に言い返した。自分の腕の中で身をよじっていた貴子のウエストに腕を回しなおして、ほのかはまっすぐに恋人の瞳を見つめる。
 「ね? 貴子」
 自分の気持ちのことなのに、貴子に同意を求めるほのか。
 うつむきがちだった貴子は、ドキッとしながら目を上げて、ほのかのきれいな瞳を見て、素直な感情のままに、はっきりと大きく頷いた。
 貴子が感じる、貴子に対する、ほのかの気持ち。
 「ふぅ……」
 あかりは表情を崩して、一つ大きなため息をついた。
 「わかりました。でもいい加減離れなさい。人前でべたべたして、少しは恥ずかしいと思わないんですか?」
 「うん、全然。そんなの気にするより、貴子とイチャイチャしてる方が楽しいし」
 「……いやなカップルですね。穂積さん、こんなほのかで、本当にいいんですか?」
 「いいに決まってるよ、ね、貴子?」
 「う、うん。脇坂さんだから……」
 油断すると溢れてしまいそうな、ちょっとどうにかなってしまいそうな貴子の気持ちは、それ以上言葉にならない。ほのかはうんっと笑って、貴子を腕にしっかりと抱いて、顔だけを従妹に向けた。
 「とゆーわけで、あかりも余計な心配はいらないよっ」
 「だれも心配なんてしてません。もういいです」
 あかりはちょっとそっけなくそう言うと、視線をほのかと貴子からはずした。興味津々三人を眺めていた調理部の部員たちに、落ち着いて向き直る。
 「この二人は放っておいて、みんな、そろそろ始めましょう」
 「は、はは。放っておくの?」
 「どうしようもないみたいですからね」
 やんわりと笑みを含んだ表情で、あかりはみなを見回す。
 「もう全員集まってますか?」
 部長のあかりが部活を始めようとする中、ほのかは「このままずっと貴子を抱きしめてたいな」とささやいて、貴子の胸をいっぱいにしていた。くすくす笑うほのかは「でも、せっかくだから、部活も楽しまないとね」と続けて、貴子を解放する前に、うつむきがちな貴子の頬に、軽く口付けをする。
 「きゃー!」
 まだ二人をちらちら見ていた面々が悲鳴とも歓声とも付かない声を上げたが、あかりは横目で見ただけでもう平然と流した。
 「ゲスト参加の穂積さんは、わたしの班でお手伝いをしてもらいますね。引き離したいところですが、役に立たないほのかも一緒に」
 「はーい」
 とっさに返事ができない貴子に代わって、役立たずと言われたほのかが明るく返事をする。ほのかは笑顔で貴子の手を取ると、頬を赤らめっぱなしで余裕がない貴子を、最前列の席に引っ張っていった。








 to be continued. 

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初稿 2008/05/05
更新 2008/05/05