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 少年少女文庫杯争奪 TSキャノンボール 神城チーム編

  Taika Yamani. 

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  1.エントリー。

 朝宮家の一室で、一人の青年が携帯電話を手にしている。一人のスーツ姿の男が脇に控えているその目の前で、その青年、大学生の朝宮怜悧は電話に向かって冷淡に言い放った。ガールフレンドを相手にしている時とは、段違いに冷静な声だ。
 「目的を理解して自分で手段を選べない奴に用はない。その状況で目的のためには手段を選ばないなんてほざくのは、いい加減なだけにしか思えないな」
 さらに一言二言言葉を連ねると、怜悧は電話を切った。落ち着いた仕草で、脇に控えていた男に向き直る。
 「悪い、待たせたな」
 「いえ。何かトラブルでも?」
 スーツ姿の男は、朝宮家の末っ子である怜悧付きの運転手兼執事候補の一人だ。二十八歳にして妻子持ちで比較的砕けた敬語を使う彼だが、普段雇い主に苦労させられているせいか、年齢よりも年長に見える。
 「いや、少し気合いを入れてやっただけさ。おれがいないと何もできないようじゃ、会社を作った意味がないからな」
 怜悧は言いながら、一枚の紙切れを差し出した。男はかしこまってそれを受け取り、無言で目を通す。その紙切れには「少年少女文庫杯争奪、TSキャノンボール」なるものの要綱がかかれていた。
 「……まさか出場するつもりですか? 旦那様はいい顔をされないと思いますが」
 「おれが出るわけじゃない。希が一緒なら出てもいいけどな」
 「……確かに、あの此花嬢が頷くとは思えませんね。となると、どういうことでしょう?」
 「おれのかわりに、おまえに出てもらいたい」
 「…………」
 怜悧の大概の無茶には慣れているから、男は驚かない。そのかわり、ただでさえ渋い顔が、さらに渋くなった。
 「かなり怪しげなレースのように思いますが……」
 男は主催者に対して、非常に失礼なことを言い放つ。怜悧は「確かに、男が出場すれば、走行中にTSさせられても全然不思議じゃないからな」と思いつつも、口に出しては別のことを言った。
 「出場するだけで、ボーナスと休暇をつけよう。終わったら、久しぶりに家族で旅行でも行けばいい」
 「それは魅力的ですが……。レース用にドライバーを雇ってはどうです?」
 「それはそれで面白くないからな。それに、おまえがいつも改造している車を他人に好きにされたくはないだろう?」
 「……まさか送迎用の車でレースにでろと?」
 朝宮家には何台か怜悧専用の運転手付きの車が用意されているのだが、この男は朝宮家の運転手の中でも屈指の車好きで、暇を見て怜悧用の車をチューンナップしている。怜悧の恋人が知れば、「わたしはいつも、そういう違法な車に乗せられてたんだね……」と、遠い目をしたくなることだろう。
 「ああ、やれるだけやってくれれば、すぐリタイアしてもかまわない。勝つにこしたことはないけどな」
 怜悧はそう前置きしてから、男と詳細な検討に入った。

チーム名:ラブリー希チーム
 「……此花嬢には、確実に嫌われると思いますが」
 「単なる冗談だ。真剣にとるな」
 「……申し訳ありません、ですぎたことを言いました」
 「いや、意見は助かるよ」

正式チーム名:神城チーム
 「私の名前がチーム名ですか……」
ドライバー:神城俊介(二十八歳)。とその妻、神城真理(二十九歳)
スポンサー&観戦者:朝宮怜悧、此花希(大学生)
使用車種:メーカー不詳の、一見地味な黒塗りの車。



  2.前夜祭。

 大学生の此花希がボーイフレンドと一緒にマンションを出ると、運転手付きの車が控えていて、運転手が外に出て待っていた。その二十代後半の運転手に、ボーイフレンドはご苦労というふうに簡単に手を上げて後部座席に乗り込み、希は「おはようございます」と笑顔で挨拶をする。ボーイフレンド専属の運転手の一人である神城俊介二十八歳とは、希はすっかり顔なじみだ。七歳の娘がいるという彼は、微笑して「おはようございます、お嬢様」と、希を良家のお嬢様扱いしてくれる。
 「いつも大変ですね、わがままな雇い主で」
 「いえ、それが私の仕事ですから」
 「こら、だれがわがままだって?」
 「もちろんキミ」
 希は笑って指先をボーイフレンドに向け、彼が「希ほどじゃないぞ」と根拠があるようなないようなことを言うのを聞きながら、車に乗り込む。運転手は、いつものやりとりに笑みを堪えながら、自分も急いで運転席へと回った。
 「神城さんって、レースとかどうなの?」
 「昔は峠の走り屋で、奥さんと一緒にブイブイ言わせてたらしいぞ」
 「……ぶいぶい……」
 「ま、おれも実はよく知らないだけどな。今回はお手並み拝見というところかな」
 「そんなので勝てるの?」
 「さあ。面白ければなんでもありだ」
 「神城さんも気の毒に……」
 他愛もない話をするうちに、車が動き出す。
 ホテルに到着すると昼食を取り、車の整備をするという運転手を置いて、スポンサーカップルは前夜祭が始まるまで散策に出かけた。



 『TSキャノンボール』前夜祭パーティ会場。希はボーイフレンドと一緒に、ドライバーたちとは別行動をとっていた。
 ボーイフレンドは黒ずくめの格好だ。Vネックのワイシャツは胸元が広く開いていて、逞しい素肌が露出している。男の色っぽさを演出しているが、細いサングラスなどかけて、少しキザな雰囲気でもあった。
 その横で、希は彼と対になるかのように白い服装だった。俗に言う、水兵ルック。清潔に白いズボンに、四角い独特の襟の着いた上着を着て、ブルーの三角ネクタイを巻いている。小柄な希には一歩間違うと子供っぽくなりそうな服装だが、今の希は、上手く少し大人っぽく着こなしていた。希の黒い髪が、彼の肩の横で揺れていた。
 「もう始まってるみたいだね」
 「ああ、希がごねるから」
 「ごねたのはキミでしょう」
 「たまにはペアルックくらいしてくれてもいいのに……」
 「はいはい、気が向いたらね」
 ホテルの部屋を出る際、いったいいつの間に希の服装を把握して用意していたのか、彼も白い水兵服を着込んでいた。希はそれを見るなり着替えようとし、一悶着あった後に、結局彼が折れてこの格好に落ち着いている。パーティの前に無駄に疲れた希だった。
 「でもやっぱり、きれいな人や可愛い子が多いね」
 「……おまえはなにを見てる?」
 「だから女の子たち。見る分には華やかでいいね。中には怪しそうな人も混じってるみたいだけど」
 「おまえはおれ以外見なくていい」
 「あはは、なに言い出すかな。まず食べようか」
 希は笑って彼の腕を取ると、テーブルの一つに引っ張っていった。



  3.スタート前。

 「怜悧おにーさん、希おねーさん、早くしないと始まっちゃいます!」
 怜悧と希の前を、一人の女の子が走る。レースが始まってしまえばモニターでの観戦の予定だが、最初くらいは直接見ようと、希たちは観客席にきていた。
 二人を先導する女の子の名前は、神城まつり。七歳の立派な小学一年生である。今回TSキャノンボールに出場する、神城チームのドライバー夫妻の一人娘だ。
 「……なんで子守りなんてしなきゃいけないんだ」
 「もう引き受けたんだから愚痴っても意味ないよ。ほら、楽しまなきゃ損なんでしょう?」
 希は笑いながら言って、怜悧の腕に自分の腕を軽く絡めて、女の子を追う。怜悧は不機嫌そうな顔を作っていたが、少し表情が緩んだ。
 「怜悧おにーさんと希おねーさんって、仲良しさんです。パパが言ってたとおりです」
 怪しげな車の群れがよく見える位置で足をとめて、まつりはニコニコと笑う。「ずいぶんとおませな子だな」「どんな話を聞いてるのやら」などと思いつつ、希は「ありがと」とやんわりと応じ、怜悧は無駄に胸を張った。
 「おう、だから今日は邪魔しないで大人しくしてろよ?」
 「はいっ。えっと、イヌもクワナイ? ですよねっ」
 幼い顔で、ちょっと的外れなウンチクを披露するまつり。希は「それを言うなら馬に蹴られるだね」と、思わず笑ってしまった。
 「ああ、それもいいな。希、今日一日、夫婦ってことでどーだ?」
 「なにがどーだだ。そんなに喧嘩したいの?」
 「希にあなたとか言わせてみたい」
 「一昨日来い」
 「え、一昨日なら言ってくれたの?」
 「寝ぼけなさい」
 きつい言葉を返しているようでいて、希の表情は柔らかい。二人のやりとりにまつりも楽しげに笑い、「やっぱり、仲良しさんです」と怜悧の反対側から希の手を握る。それを見て眉を寄せる怜悧だが、まつりの視線はすぐに車の群れの方に向いていた。
 「パパたちの車、どこかなどこかな?」と子供っぽく背伸びをしながら、まつりは無意識に希の手をもてあそぶ。三人、それぞれの表情で、それぞれの言葉を口にしながら、レースのスタートを待った。



  4.リタイア。

 レースはまだまだ序盤なのかどうか、トップグループを中心に激しい戦いが展開されているようだが、その部屋は静まり返っていた。ソファーには十代に見える少女が座っていて、その太ももに、七歳の女の子が顔をうずめて寝入っている。怜悧がお手洗いから戻ってきて、真っ先に見たのはそんな光景だった。
 「……妙に大人しいと思ったら。まつりは寝たのか」
 怜悧の小声に、希も声をひそめて、柔らかく応じる。
 「うん、待ちくたびれたみたい。寝ててもらってた方が楽でいいね」
 「……おまえ、時々やたらとそっけないな。子供相手なのに」
 「その子供相手に妬いてたキミに言われたくないなぁ」
 「おまえはなに考えてるのかよくわからん時があるから」
 怜悧は少しぶすっとした。希はくすくす笑う。
 「ま、だれかさんのおかげで、可愛いという理由だけで騙されることはないのはあるかな」
 「え、おれ可愛い?」
 「昔はね。見た目だけ」
 希は優しい笑顔で、七歳の少女の髪をそっとなでる。怜悧はソファーで並んで座り、そんな恋人と幼子をまっすぐな眼差しで眺めていた。
 レース開始から既に数日。希と怜悧は、まつりを連れて自宅であるマンションに帰ってきている。「せいぜい三日、長くとも一週間くらいで終わると思ったんだけどな」というのは怜悧の誤算で、「まさかリアルと時間がシンクロしてレースが展開されるとは思いませんでした」というのは、作者の誤算である。
 スタート直後のまつりは大騒ぎだった。いきなり暴走する車あり、事故あり、反対方向に飛んでいく魔法の箒ありで、きゃーきゃー悲鳴をあげっぱなしだった。まつりの両親、ドライバーの神城夫妻はまともにやりあったら命が危ないとすぐに理解したようで、序盤は様子見を通していたが、それでも四方八方に飛び交う妨害工作に巻き込まれて四苦八苦していた。
 まつりにリタイアしたと嘘をついて自宅に戻ってきたのはスタートの翌日のことで、それからのことはまつりには隠し通したが、神城夫妻は男になったり女になったり、精神が入れ替わったりと、大変な数日を過ごしていた。夫妻は毎晩娘に電話をかけてきたが、神城父は怜悧には冷静な口調で泣き言を漏らしていたものだ。もっとも、奥さんの方はかなり面白がっていたが。――怜悧も面白がって、寝物語に「おれたちもでればよかったな」と希に語り、二人の性別が入れ替わったらどうなのか、まつりにはとても聞かせられないような会話や行為が飛び交ったのは、この際余談である――。
 とにもかくにも、夏休みとはいえ希も忙しく、まつりの世話に手が回らなくなりそうなので、そして何よりもまつり本人が寂しそうな様子も見せたので、いい加減に神城父の要望も汲んで、渋る怜悧に強引にリタイアを同意させた。そして今日、夫妻は帰ってきて娘を迎えに来るはずなのだが、だいぶ到着が遅れていて、神城まつり嬢は寝入ってしまったというわけだった。先日希の友人たちと海水浴に行ったりもして、夏休みの宿題の絵日記を描く時まで騒いでいたから、その疲れもあるのかもしれない。
 「……やっぱり、こいつ、これでも気を張ってたのかな?」
 「そうだね。キミはお父さんの雇い主だしね、お行儀よくするようにも言い含められてたんじゃないかな。――怜悧は精神年齢がまつりちゃんと一緒だから、そんな遠慮いらないのにね」
 「おれはおまえの前では素直なんだ」
 「少しは否定しなさい」
 希は笑い、怜悧も笑顔で「いいんだよ、希の前では」と言い返す。
 「なんだかんだで、希が甘いからこいつも気が抜けたんだな」
 「それもあるかもしれないけど、どんなに人見知りしない子でも、傍にご両親がいるといないとじゃ、やっぱり気持ちが全然違うと思うよ」
 「希はおれにだけ甘くしてればいいのに」
 「だから子供相手になに言ってるの」
 「希は妹とかいたら、いいお姉さんだったのかな?」
 「……わたしはキミのことうるさい妹くらいに思ってたけど、いいお兄さんだった?」
 「……全然、いい兄じゃなかった」
 「でしょ。相手の性格によるってことだね。まつりちゃんはあんまりうるさくないし、わがままも言わないから。ダレカサンと違って」
 「……まあいいけどな。兄妹じゃこんなことできないし」
 ダレカサンは身を乗り出して、希に顔を寄せる。希は笑って逆らわずに、素直に彼と唇を合わせた。
 「子供の前で」
 「興奮する?」
 「しない」
 二人小さな声で静かにじゃれあう。怜悧は希の頭を抱きこむようにし、希は彼の肩にそのまま寄りかかった。
 「希は子供欲しくない? 早く結婚しよう」
 「だから就職したら考えるよ」
 「希はいいお母さんになるよな」
 「やけに先走るんだね。キミはお父さんになってもお母さんだったとしても、ろくでもない親になりそうだけど」
 「どーいう意味だ?」
 「あは、さあ、どういう意味なんだろう。でも、産まなきゃいけないのはめんどくさいなぁ」
 「おれがかわりに産めたらいいのに。そうしたらさっさと責任取れって迫ったのに」
 「笑えないなぁ」
 声を押さえて笑いながら、希は言う。
 「一長一短だよな、男も女も」
 「そうだね。ま、しかたないからね、気が向いたらそのうち頑張るよ」
 「頑張るのはおれじゃないのか?」
 なにを頑張る気だキミは、という目で、希は恋人を軽く睨む。怜悧はからからと笑った。
 「子供は一人では作れないだろ?」
 「……キミはどうして、こういう時、品がないんだろう……」
 希はため息をつきながら笑うという、器用な感情表現を見せた。
 子供が寝ているその傍で、いちゃいちゃとしている若いカップルであった。








 concluded. 

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初稿 2004/07/19,21,31,08/09
更新 2014/09/15