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 夢の続き

  Taika Yamani. 

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  第十一話 「気持ち」


 日曜日、文化祭三日目、最終日。
 希は誘ってくれた同級生たちと一緒に文化祭をまわったが、文化祭をまともに楽しめたという気が全然していなかった。いつもどおり振る舞おうとしていたが、気持ちに無理があることが自分でもよくわかった。いつもはなんでもないことでも余裕を持って流せるし、ただ在ることを楽しむことだってできる。なのにこの日は些細なことで感情がささくれだつ。友達にあたりそうになることもあって、笑顔を保つのが一苦労だった。
 結局そうこうするうちに時間になり、またクラスの仕事に取りかかる。この時ばかりは、怜悧と一緒なのが苦痛だった。泣きそうになる。怒鳴りそうになる。
 なんとなく、「怜華」が「望」によく怒鳴っていた理由もわかる気がした。友達づきあいはしていたが、いつもそっけなかった「望」。その仮面を引き剥がしてやりたくなる。相手の本音が知りたい。
 「でも、怜悧に本当に嫌われてたら? もう好きじゃないなら?」
 怖すぎる想像。
 「逆に、まだ好きなのにそんな態度をとっているとしたら?」
 本気で頭にくる。絶対簡単には許さないぞと思う。
 頭の中でぐるぐると怜悧の気持ちを推測するうちに、三時になった。
 一般公開終了の四時まではとりあえず自由時間だから、すぐにみなばらばらになる。一瞬だけ、希は怜悧を見たが、目はあわなかった。それぞれ別々の方向に歩き出す。
 四時になったら、後夜祭にでるつもりの面々が教室に集まってくる。お約束の、廃棄物を利用したファイアストームの準備だ。三日間がんばった「ビックリハウス」に別れを告げて、大道具を解体し、後片付けをはじめる。サボっている面々もいたが、明後日の火曜日の朝にも後片付けの時間が用意されているから、特にだれも注意しない。燃やしていいものを外に運ぶ作業を、賑やかに行う。
 日もだいぶ落ちて、薄暗くなる五時半頃に点火。
 すぐにフォークダンスが始まり、六時には花火も打ち上げられるはずだ。校舎の屋上から打ち上げられるので、ベランダで見物という生徒は少ない。希は静かに、教室のベランダから、一人でグラウンドの炎を眺めていた。
 そんな希の傍に、人の気配。希は振り向けなかった。
 「……きてくれないかと思った」
 呼び出さずに見つけてもらえる自信はなかった。だから、メールをうった。それでもやはり自信はなかった。
 「…………」
 怜悧は無言で、希の横に並ぶ。
 怜悧は五分以上遅刻していたが、この日はそれは怒りではなく、安堵の方向に希の心を動かした。不安が大きすぎただけに、来てくれただけで、ちょっと泣きそうになる。
 二人、ただ黙ってグラウンドを眺める。
 長い沈黙。
 グラウンドの音楽が時間を明るく彩る。
 炎の周りで、少し恥ずかしそうにしながらも、手を取って踊る男女。
 他の生徒たちも、賑やかにその周りで騒いでいる。
 売店の残り物なのだろうか、飲んで食べて、楽しそうだ。
 希は怜悧から話しかけて欲しかった。なのに、怜悧はなにも言ってくれない。
 希は、長い沈黙に耐えられなくなった。
 「わたしが、きらいになった……?」
 一番怖い質問。
 「好きじゃなくなった?」
 だからこそ真っ先に、まっすぐに。希は身体ごと、怜悧を見つめた。
 「…………」
 怜悧はいったい何をどう思っているのか、無言のまま。希の表情はきつくなる。
 「じゃ、質問をかえる。どうして無視するの?」
 「…………」
 怜悧はまっすぐ見つめかえしてくるだけで、やはりなにも言ってくれない。
 希がぎゅっと片手を握り締めた。
 希の心の中は大騒ぎだった。言葉にすればこんな感じである。「どうしてなにも言わないんだ。好きか嫌いかはっきりしろ。何で黙ってるんだ。黙ってちゃなにもわからないだろ。あーもういらつく! 人の気も知らないで。その目は何だ。じっと見るな。泣くぞ喚くぞ殴るぞ。何か言え話せしゃべれ無視するな。なにも言わないならキミはどうしてここにきたんだ。そんな目でこっち見るな。見るなら抱きしめてくるとかキスの一つでもするとかしろ! 何でぼくはこんなやつ好きになったんだ!」
 不安に押し潰されそうだった。
 泣いてすがれば、怜悧のこの仮面ははがせるのだろうか?
 そうも思ったが、泣くのはかっこ悪いと思う。取り乱すのもかっこ悪いと思う。
 ……それ以上に、自分から好きと言って拒絶されるのが怖かった。
 弱い自分を自覚するが、今の希には、今の怜悧にそれをさらけ出す勇気はない。
 だから、希は、もうなにも言えなかった。手の平から血の気がなくなるくらい拳を固くしたまま、そのまま床に置いていたリュックを手に持って、歩いて逃げ出そうとした。
 怜悧とすれ違う。
 そのまま、数歩進み、希は足を止めた。
 「…………」
 この期に及んで、まだ何も言わない怜悧。このショックは大きかった。
 振り返ると、怜悧は身体ごと希の方を見ていたが、まだその表情には色がない。ただただ無表情にこちらを見ている。
 希はずんずんと怜悧に近づいた。
 まっすぐに睨みつけながら。
 次の瞬間、希はその小さな握り拳を、思い切り怜悧の頬に叩きつけていた。
 「ぐふ!?」
 この瞬間の怜悧の表情は見ものだったが、希にそんな余裕はない。
 「女心を弄ぶな! 怜悧なんて大嫌いだ!」
 絶叫だった。今度こそ本当に、希は身を翻して駆け出した。
 怜悧の言葉が、ここではじめて響く。
 「な、なんて奴! なんでここで殴る!?」
 ここで「待て!」と言われていれば、希は足を止めていただろう。待てと言われて待つ時もたまにはある。だが、もう怜悧の顔を見たくなかった。これ以上傷つきたくなかった。
 まだ散らかったままの一組の教室を駆け抜けて、階段へ。屋上は花火の準備で人がいるし、そうでなくとも逃げ道がなくなる。希はそのまま駆け下りた。
 「男に勝てると思うなよ!」
 すぐ後ろから怜悧の声。「望」と「怜華」なら絶対に追いつかれなかっただろう。だが、希と怜悧ならその差は歴然。一階の踊り場で追いつかれた。希の手のリュックを怜悧がつかみ、希はつんのめりかける。
 即座に自分の身体を支えて、希はステップを踏む。怜悧の方に一歩踏み込み、その胸に容赦のない肘打ちをはなった。
 「ぐえ!?」
 が、怜悧は、希のリュックから手を離さない。
 「お、おい、これは、やりすぎ……」
 「離せ」
 希は冷たく言い放って強くリュックを引っ張るが、逆にまた引きよせられる。強引だった。力ではかなわない。そのまま希の身体は、怜悧に抱きしめられていた。
 「くそ、なんでこうなるかな!」
 「…………」
 希はもう怜悧が信用できなかった。こんな男わけがわからない。
 でも、動けなかった。このぬくもりを好きだ思う自分がいたから。
 なのに、怜悧はなにも言ってくれない。
 ただただ強引に。
 唇が奪われる。
 「ん!」
 さっき頭の中で考えていたことなどすっかり消し飛ばしている希は、いきなり踊りこんできた怜悧の舌を、いつかのように強くかんだ。
 「っでぇ!?」
 怜悧が叫んで顔を離す。希はその怜悧の胸を両手で強く押した。
 「どういうつもり?」
 「お、おまえ、おれを殺す気か!?」
 怜悧は自分の口を触って、血を見て、慌ててハンカチを取り出す。
 「……わたしのものにならないなら、殺してしまいたい」
 希の本音。
 冷たい声、冷たい表情。だが、瞳だけは燃えるように熱い。
 怜悧はハンカチで口を押せながら、はっとしたように希を見返した。
 「……もう一度だけ聞くね、わたしが好きじゃなくなったの?」
 怜悧はいったい何を考えてるのか、もう無視はしなかった。逆に問い返してくる。
 「おまえは、どうなんだよ?」
 「……わたしの質問に先に答えて」
 「あのなぁ!」
 なぜか、怜悧が逆に怒鳴る。
 「おまえ、それってひどすぎだろ! おれの気持ちを考えたことがあるのか!? いつもいつもおればっかり言わされて、おまえの気持ちを先に言え!」
 「知らないとは言わせない」
 「わかるかよ、こんなことされて」
 ちろっと、舌を見せる怜悧。まだ少し血がついていた。
 「わたしだってわからない。無視なんかされて」
 「たった今、態度で示しただろ!」
 「あんなの、いつもするから、信用できない」
 もう怜悧の何を信じていいのか全然わからない。
 「あのなぁ……」
 怜悧は脱力した。
 「じゃあ訊くけど、おまえの方こそどうなんだよ。キスも自分からしてこないし、下手に触ると怒るし、好きだともちゃんと言ってくれない。例の賭けだって、いつまでもイヤイヤという態度で、賭けがなければ付き合う気があるのかどうかだってわかりはしない。おれはおまえのなにを根拠に信用すればいいんだよ」
 「……笑顔」
 希は呟いた。
 「おまえの笑顔って言ってくれた」
 「……なら、笑えよ」
 「こ、こんな状況で!」
 希の表情が変わった。笑みではなく、逆。きつい視線。それでいながら、今にも泣き崩れそうな。
 「笑えるわけないだろ! キミの気持ちが全然わからない!」
 胸が苦しいが、苦しいからこそ、逃げ出したかった。人を好きなのがこんなにも自分を苦しめるなんて、希は今まで知らなかった。どうしていいのかよくわからない。自分ではどうにもできない。頭の中がぐちゃぐちゃだ。
 「わからせてやるよ」
 怜悧の腕が、身を翻そうとした希の腕をつかもうとする。希は即座にその腕を振りほどき、おまけに足も払っていた。「げ」と声をだして床に膝をぶつける怜悧を置いて、そのまま駆け出す。
 「逃げるなよ!」
 「もう来るな!」
 希は下駄箱に駆け込むと、自分の靴を回収するだけで履き替えずに、そのまま外にダッシュする。怜悧は靴を回収すらせずに走ったようで、外にでる寸前に、もう一度、今度はぐいっと腕ごと抱きこまれた。
 二人抱き合う形で、前方に倒れこんだ。
 「っ……」
 とっさに怜悧が希をかばってくれたのか、希には痛み一つない。が、希は怜悧が苦痛に顔をゆがめるその隙に抵抗し、怜悧の足にキツ一撃を食らわせて、また逃げ出す。
 その先は、やりすぎたのか、それとも諦めたのか、怜悧は追ってこなかった。
 自分から逃げ出しておきながら、希はその日一晩、泣き明かすことになる。



 翌日、月曜日。
 前日が文化祭だったため、振替休日でお休みだ。
 朝、希が自分の部屋で目を覚ますと、声がふってきた。
 「おはよ、希」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「もうすぐ十時だぞ。すっかり寝過ごしたな」
 「な、な、な!?」
 ばっと身体を起こす希。と、手首が手首にキツクひきずられて、バランスを崩した。腹筋が弱いため、腕に頼らないと身体を起こしづらい。両手と両足に手錠がかかっていたのだ。
 「…………!?」
 「相変わらずいいお母さんだな。おじさんの方は、まあアレだが」
 カーテン越しの朝の光を浴びて、怜悧が無駄にさわやかな笑顔を浮かべて、椅子に座っていた。
 「…………!」
 口をぱくぱく動かす希。希の寝起きの頭は、完全にパニックに陥っていた。
 「ああ、言いたいことはわかってる。でも正攻法で落とせる自信はなかったから。こういう手段だ」
 「こ、こういう手段ってどういう手段だ!」
 いつもと同じ怜悧の様子にちょっと涙が出そうになるが、この状況もあんまりだ。別の意味で泣きたくなる。
 「おまえ、目も赤いな。はれぼったいし。泣き明かしただろ」
 「ち、違う、そんなわけない!」
 希は真っ赤になって叫ぶと、いきなり手足をじたばたもがきはじめた。が、手錠はきつくはめられているようで、両手も両足も自由がなさすぎる上に、暴れるとかなり痛かった。
 「まあそういうことにしといてやってもいいけどな。とりあえず落ち着け。あんま動くと見えるぞ」
 言われて自分の格好に気付く。シャツ状のパジャマで、いつのまにか胸元のボタンが外れて、胸のふくらみがはだけそうになっていた。この状況で見られることの意味を考えて、今度は希の顔から血の気がなくなる。ばっと、シャツの胸元を押さえて、壁際に全力で後退した。
 「な、なにをした?」
 「失礼だな。寝込みを襲ったりはしない。手錠をかけた時ちょっとはまあ、手とか触ったけど」
 「…………」
 希の視線が冷たくなる。
 「それ以上近づいたら、舌を噛み切って死ぬ」
 「…………」
 まだ頭が覚めやらないせいか、自分が本気で言ってるのかただの脅しなのか、希は自分でもわかっていなかった。ただ、強引にされるのだけはいやだった。それだけは絶対にいやだ。
 「まあ、自業自得だけど、おれって信用ないなぁ」
 「……なにを信用しろと?」
 「わたしがあなたを好きなことを」
 「…………」
 まっすぐに希を見つめてくる怜悧。希は、きつい視線を向けていたが、やがて視線をそらせた。
 真剣な怜悧の瞳だった。その瞳が怖い。
 「ねえ、望。わたしが、あなたを好きだと言って泣き喚かないと、信用しないのかしら?」
 「今のわたしは望じゃない」
 「じゃ、希。おれが、おまえを好きだと言って泣き喚かないと、信用しないのか?」
 「キミこそ、わたしに、泣きながら好きだと言わせたいの?」
 「……それもいいな」
 こういう言葉が、希の警戒心を募らせる。また希の視線が冷たくなり、怜悧は少しだけ笑った。
 それから急に真顔になって、頭を下げてくる。
 「無視してごめん。希の本当の気持ちが知りたくて、あんなことした」
 「…………」
 「賭けとかそういうのじゃなく、希に好きだって言って欲しかった」
 「……話しかけたのは、わざと?」
 「え? ああ、いや、あれは本当にこちらのミス。でも、あんな時間に一人でうろついてる希が悪いんだぞ。あの後家まで心配になって様子を見にきたんだからな」
 希の瞳がゆれる。
 「どうせわからないと思って、嘘ついてない?」
 「あのなぁ。おれはそんな嘘はついたことない……と思う」
 「…………」
 「とにかく、無視したのはおれが悪かった。だから、希の気持ちを教えてくれ」
 真剣な瞳で、希を見つめてくる怜悧。
 希は数秒、目を閉ざした。
 「……わたしは、優しくされたい」
 「おれのどこが優しくないんだよ?」
 「…………」
 希は無言で、両手首を掲げて見せた。ジャラリと、金属がぶつかり合う音がする。
 「う、ま、まあ、それは物理的関係なしで希と話し合いたかったからだよ」
 「話し合いたいなら、むしろこれをはずしてからにして」
 このままでは逆に希の立場が悪すぎる。
 「昨日は暴れて、話すらさせてくれなかっただろ」
 「……わたしが話しかけたのに、さんざん無視したのはだれ?」
 「う、あ、あれは、作戦で……」
 「……わたし、自信がない。キミに無視されただけでひどくきつかった」
 いつも好きだと言ってくれていた相手が、突然あの態度。また同じような目に合わされれば、もう自分がどう動くのか全然自分に自信がもてない。
 「こ、この際そんなことどうでもいいんだよ! おれが好きか嫌いか、はっきり言え!」
 いきなり怜悧は怒鳴りつけてきた。希は少し切なげに怜悧を睨む。
 「どうでもよくなんかないよ。信用できない相手とは付き合えない」
 一方的に押し付けてくるだけならまだしも、こちらの気持ちなんてとっくにわかってるはずなのに、一方的に冷たくなるような相手。もっと早くわかっていれば、好きになんてならなかったのに。
 ……実際にそれができたかどうか疑問だとしても。
 「なら、もうおれと絶交なのか?」
 「…………」
 「今更前みたいに戻れるのか!?」
 「…………」
 「おれは絶対いやだぞ! おまえが好きなんだ!」
 「……ごめん、もう辛い」
 怜悧のことは好きだ。好きだから一緒にいたい。それはいい。
 でも、相手がちょっと冷たくするだけで、希の感情のすべてが持っていかれる。今まで知らなかった自分。知りたくなかった自分。それも自分なのだろうが、だとしても、他人にここまで感情を揺さぶられるのは本当に辛い。
 だが、それでも好きだという矛盾。
 「……帰って」
 帰らないで、と、心の中で叫ぶ自分もいる。怜悧が実際に帰る素振りを見せれば、引き止めてしまうかもしれないという恐怖もある。だけど、希は視線をそらせながらも、きっぱりと言う。
 怜悧は足を踏み出してきた。
 希の発言を無視して、近づいてくる。希はそれが嬉しいのか、本気でいやなのか、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
 「それ以上近づくと、本当に舌を噛んで死ぬ」
 「いいよ」
 怜悧は無造作に言い放つ。
 「おまえが死んだらおれも死ぬ」
 「なっ」
 「おまえが手に入らないなら生きてても意味ないしな」
 「だったら一人で死んで」
 「…………」
 「…………」
 「……今のは、かなりきいたな。本気か?」
 怜悧がまた一歩近づいてくる。
 「…………」
 希はもうまっすぐに怜悧を見つめて、身がまえて、舌を出す。本気で噛むぞ、という姿勢。
 怜悧は止まらなかった。そのままベッドに、両膝を乗せる。
 希の身体が、ビクンとゆれる。
 ゆっくりと、怜悧が近づく。
 希の、だしたまま舌が震えた。
 「……っ」
 次の瞬間、怜悧の唇は希の舌を、そっと吸っていた。
 希の舌が、口の中に引っ込む。
 そのまま、怜悧は片手を希の頬に当てて、優しく唇を重ねる。
 短いキスだった。
 唇を離すと、お互い見つめあう。
 まっすぐな真剣な瞳。
 「…………」
 「…………」
 いきなり、怜悧はどっと疲れたかのように、ベッドに倒れこんだ。
 「ふ〜!」
 怜悧の大きな息。希も天井を見上げて、微かに吐息をついていた。
 「まったくもう、希が本気ならどうしようかと思ったぞ」
 理不尽な怜悧の言葉だった。視線を上に向けたまま、希は小さく呟く。
 「……本気で死ねれば楽だったのに……」
 「ば、ばか! そんなこと言うなよ!」
 怜悧がまたばっと身体を起こす。希は目を閉ざした。
 いやじゃなかった自分。こんなにも理不尽な形で迫られたのに、それがいやではなかった自分。
 「……怜悧は、本気だったの?」
 「……半分な」
 どこからどこまでの半分なのか非常に気になるところだが、希はもう自分自身に負けていた。いや、ある意味、勝ったとも言えるのだろうか。
 目を開くと、真剣な怜悧の顔が、目の前にある。
 「……そこまでして、わたしがほしいの?」
 「うん。初めて会った時から絶対決めてた」
 「一目惚れは信用できない」
 「なら、今のわたしを、いや、今のおれを信用しろ」
 「…………」
 「言えよ、好きだって」
 「…………」
 「じゃ、笑え」
 「…………」
 「笑顔を見れば、好きか嫌いかわかるんだろ?」
 希の顔が赤くなった。
 「……わたしは、キミのなにを見て、本当に好きかどうか判断すればいいの?」
 「ん? 全部?」
 にかっと、怜悧は笑う。
 「…………」
 一瞬だけ見惚れてから、身体を横に倒す希。ベッドに突っ伏した。
 「おれだって怖いんだぞ。おまえの気持ちに自信は持てないし。本当におまえはおれに言葉でも態度で示してくれないし。おれの方がむしろどうすればいいんだって感じだよ、まったく」
 「…………」
 希は、無言で両腕を差し出した。
 「ん? 手の平にキスをしてほしいのか?」
 「……殴るよ」
 「はは、物騒だな」
 笑いながら、怜悧は希の手錠をはずした。足の手錠は、鍵をもらって希が自分で解く。
 「跡がついた」
 「ん、まあ、希の手は小さいから」
 「もっとゆるくても抜けないよ」
 「はっはっは。次にまた生かそう」
 「……じゃあ、両手をだして」
 「ん?」
 カシャン、カシャン。
 「な、なにをする!?」
 何の疑問もなく両手をだした怜悧の手に、希はしっかりと手錠をはめてやった。できれば同じように足もやってあげたいが、抵抗されれば力では勝てないのは目に見えている。とりあえず鍵を握り締めて立ち上がった。
 「ちょっと待ってて。着替えてくるから」
 「この手錠は何だ?」
 「色々念のため」
 言いながらクローゼットから着替えを取り出す。
 「何の念だ!? その気があるならさっきのチャンスにヤルだろ!」
 いったいなにをヤル気なのか? 希は内心笑ってしまった。もういつもの怜悧だ。安堵感が広がる。
 「うん、最後までされてたら、ほんとに終わってたと思う。ちょっとだけ、見直した」
 「ほ、ほら、だったらいいだろ!」
 「でも、もう好きだって隠せないから。また別の意味で身の危険を感じる」
 「…………」
 なぜか黙ってしまった怜悧を置いて、希は着替えを持って外に出た。



 希が洗面などを済ませて着替えて部屋に戻ると、怜悧は手錠をかけられたまま希のベッドに横になっていた。
 「怜悧?」
 名前を呼んでも、反応がない。寝てるのかな、と思ったら、静かな声。
 「……本当は、最後までするつもりだったんだ」
 「…………」
 「おまえが好きだって言ってくれなかったら、おまえを無理矢理でも抱くつもりだった。今日はその気で来た」
 「……どうして、やめたの?」
 「そこまでしたらおまえが本気で死ぬかもしれないと思ったから。希を失いたくない」
 希はベッドに腰を下ろした。優しく、怜悧の髪を撫でる。
 「……ほんとにおれが好きだよな?」
 「……昨日の舌、大丈夫?」
 「答えろよ」
 「いいから。大丈夫なの?」
 「……まだ痛いよ。メシを食うのも苦労した」
 「ちょっとだしてみて」
 「ん」
 怜悧は横向きの姿勢のまま、素直に、べ〜、と舌をだす。希は自分の長い髪を押さえながら身をかがめ、それを覗き込んで、そっと唇で吸った。
 「!?」
 怜悧の舌が引っ込み、身体が硬直する。唇にも唇を触れさせて、希はゆっくりと離れた。
 目と目が合う。
 「……わたしからしたのは初めてだね」
 希は自分の頬が赤くなってることを感じながらも、にっこりと笑った。
 笑顔で、気持ちを伝える。
 「…………」
 あまりにも予想外だったのか、怜悧は完全にフリーズしている。希の視線は落ち着かずに動いた。
 なぜか、長い沈黙。
 さっさとなんか言え! と思いつつ、もじもじする希。
 さらに長い沈黙の後、長いこと固まっていた怜悧の我に返った第一声は、ある意味非常に彼らしかった。
 「も、もっかい!」
 ばっと身体を起こして詰め寄ってくる怜悧である。希は色々自分が期待していたことを自覚しながらも、こいつはやっぱりこうなんだよなぁ、と内心ため息だ。
 「だめに決まってる」
 身体を起こした怜悧の肩を、そっと押して倒す。怜悧は抵抗せずに、また横になった。
 「手錠が恨めしい」
 「それがないと、ここでこんなことしない」
 「う〜」
 「もう、ムードないなぁ」
 笑い出す希。つられるように、怜悧も笑い出す。
 「じゃ、こんどじっくりな」
 「いやです」
 まだ、こんなふうにバカやって、ちょっとだけ気持ちを伝えあったりするので、充分いっぱいいっぱいだ。
 気持ちは見えないから、ちゃんと伝えないと、時にはわからなくなる。だからこれからはもう少し、お互い素直に、優しくなれればいいなと思う。
 希は怜悧の腕を取ると、「ご飯食べるよっ」と、強く引っ張った。





 to be concluded... 

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初稿 2003/12/26
更新 2008/02/29