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 She is a boy.

  Taika Yamani. 

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  プロローグ


 人生、しゃれにならない選択を迫られることがある。
 ただ歩道を歩いていただけだったのに。
 ぼくが次に意識を取り戻した時、真っ先に見えたのは、陳腐だけど、白い天井だった。
 わけがわからずばっと身体を起こして、とたんにうめいた。
 「ったぁ……!」
 全身と頭が痛い。ちょっと泣きそう。
 「美来!」
 悲鳴にも近い、叫び声。泣きそうになりながらびっくりして横を見ると、母さんが、こちらはぼろぼろ涙を流しながら立っていた。
 「よかった! よかった! 目を覚ましたんだね!」
 母さんはそういうと、ぼくの片手を握り締めて、さらにわんわん泣き出す。
 普段から子どもっぽいぼくの母さんだけど、さすがにこうも本気で泣かれるのは初めてだ。ぼくは戸惑いつつ、とりあえず周囲を見回した。
 なんとなく、気絶する前のことを思い出し、状況がわかってくる。
 ――よく晴れた春休みの一日、都内某所。
 ぼくはぼけぼけーっと、自宅から駅までの道をのんびりと歩いていた。とてもいい天気だったから、このままこうやってぼーっと生きて、ぼーっと死ねたらいいなぁ、などとぼくは考えていた。ぼくにとって生きるということも死ぬということもその程度しか意味がなく、そうやって生きて、死んでいく。そんな理想の生き方を考えたりしていた、春の一時。
 そんなぼくの前を、彼らもこれからおでかけなのだろう、家族らしい四人が途中の横道から歩いていた。まだ中年というには若い男女に、小学校入学前くらいの女の子と男の子。男の子は元気が有り余ってるようで、お父さんとお母さんの手を引っ張って今にも駆け出しそうな様子だ。女の子はお姉さんなのかもしれない。弟より大人びた様子を見せようとでもしているのか、一人少し離れて、後ろからおしゃまな風情。
 見ているこっちまでほのぼのだ。どこにでも転がっていそうな、春の午前中。そんな何気ない一時だったのに。
 前方からやってきた乗用車が、いきなり微妙に方向を変えて、ぼくと、ぼくの前にいた家族の方に向かってくる。なんとなく嫌な感じがして運転席を見ると、よく見えないが、運転手の首が真下を向いている気がした。
 考える時間は全然なかった。
 ほんの一瞬だけ迷った後、ぼくは叫ぶ余裕もなく、全力でダッシュしていた。こういう選択は、自分の醜さが自覚できてしまうから、もう二度としたくないです。
 「わ!?」
 父親と男の子は、慌てた声を上げながら、道路わきにとっさに避ける。「つばき!」という悲鳴は女の子のお母さんのものだろうか。ほぼ同時に、ぼくは硬直している女の子を抱え込んで、前方にダイブしていた。
 身体の下を、車のボンネットが斜めによぎる。
 ぼくの身体は車にかすった。
 痛みが許容範囲を超えていた。
 ――そして次に目を覚ますとベッドの上だった、と。
 要するにぼくは事故に巻き込まれたようで、ここは病院らしい。腕や頭には包帯が巻いてあるようだ。頭に、でっかいたんこぶでもありそうな痛みがあるが、身体の方はうちみですんでいるのかな? 大きく動かなければ痛みはない。
 「えっと、心配かけたみたいで、ごめんなさい……」
 「ほんとよ! もう! わたし、びっくりして心臓止まるところだったんだからっ!」
 泣きながら笑って、母さんはそっと、ぼくを抱きしめてきた。
 「もうこんなムチャしないでね。美来になにかあると、わたし、生きてけないんだから」
 「大げさだなぁ」
 くしょーする。
 母さんに抱かれるなんていつぶりだろう。ちょっと恥ずかしいけど、いやではなかった。ぼくは照れながらも、ぽんぽんと、母さんの背をなでた。
 「んっと、それで、どういう状況だったの? あ!」
 言ってから、ぱっと思い出した。痛みを堪えて声を出す。
 「女の子はどうなったの? ぼくがかばった子!」
 「え、ぼく……?」
 「どうなったの!?」
 「う、うん、美来が助けた子は元気だよ。かすり傷一つないんだって」
 「よかった……!」
 ぼくはほっとため息をついた。安心した気持ちで、またベッドに横に倒れこむ。
 あの一瞬、ぼくは真剣に、女の子を見捨てることを考えた。そうすれば、たぶんぼくだけなら、何事もなく車を避けえたはずだから。これでぼくが重態なら笑えないけど、まあ軽症みたいだし、結果オーライだった。
 「ご両親と一緒にまだ病院にいるのかな、美来が目覚めたらお礼がしたいって、ひどく心配してたよ」
 「……母さん、さっきから、聞き間違いかと思ってたんだけど」
 ん、なんか自分の声も変に聞こえるな。
 「美来も、身体の方は全身打撲と、ちょっとした擦り傷ですんだみたい。ただ、ちょっと強く頭を打ってるようだから、心配だってお医者様はおっしゃってた」
 「だから、ちょっと待って。ミラって何?」
 「ん?」
 「だから、ミラって何?」
 「え……?」
 「…………」
 「美来、あなた、自分の名前……」
 「だから、そんな女みたいな名前、なんの冗談なの」
 「…………」
 母さんの顔が、蒼白になっていた。
 「お、落ち着くのよ、美来。わたし、全然慌ててないからね」
 まず先に母さんが落ち着いてください。
 「んっと、頭を打ってるから、ショックでちょっと混乱してるのかもしれないよね。うん、きっとそうなのかな。美来はうまれたときからずーっと、美来っていう名前だよ。美しいに来る、て書いて、美来」
 「…………」
 冗談、を言っている顔ではなかった。いくら子どもっぽい母親とは言え、こういう状況でこういうディープな冗談は言わないはず。
 「……じゃあ、ぼく、少し混乱中?」
 「そ、そうだね。実は男の子になりたいなんていう願望があったのかもね? ぼく、なんて可愛い言い方しちゃってるし」
 「……もしかして、いつもは、おれって言ってた?」
 「へ? やだ、美来ってば、わたし、そんな乱暴な言葉を使う娘を産んだ覚えはないぞっ」
 「…………」
 頭痛が痛い。あれ、日本語が変だ。
 ぼくが横になったまま、片手で頭を押さえたからだろう、母さんは慌てた様子になった。「そ、そうだ、目が覚めたんだから、先生をよばなきゃっ」と騒いで、ナースコールのボタンを押した。ナースの応答があって、母さんはぼくが目が覚めた旨をナースに告げる。
 その間、ぼくは、仰向けに寝たまま顔を横に向けて、さっきから気になっていたものを手にとった。
 濃い褐色の、艶やかな長い髪。
 これは、誰の髪? 怪我人のベッドの枕もとに、なぜ髪の毛が放置されている?
 引っ張ってみる。
 「痛い……」
 そのやたらと長い髪は、自分の頭につながってた。
 「わわ、痛いの? だいじょうぶ?」
 「うん、とりあえず、平気……」
 強がって見せたが、笑みは固かったかもしれない。さっきから、自分の声が自分の声じゃないみたいに聞こえるのも、耳が一時的に変なのか、喉が変なのだと思ってた。頭が妙に重いのも、頭を打ったせいだと思ってた。身体の感覚がなんとなく変なのも、すべて痛みのせいなのだと思ってた。
 でも。
 「…………」
 おそるおそる、自分の身体を触ってみる。胸を触ると、ないはずのものが、そこにはあった。そして下半身には、あるはずのものが……。
 「……ぼく、自分のこと、いつもは、わたしって言ってた?」
 「え、あ、う、うん、そう。んと、でも、先生がもうすぐいらっしゃるから、あんまり、考えないでいて。大丈夫、きっとすぐよくなるから」
 その発言に根拠は限りなくなかったが、いちいち母さんまで不安がらせる必要はない。ぼくは、そうだね、と、なんとか笑みを押し上げた。



 「美来、大丈夫なのか!?」
 診察がはじまってすぐに、仕事を早退してきたらしい父さんがやってきた。病室に飛び込んできて、胸をはだけていたぼくを見て、慌てた様子で視線をそらす。ぼくは少し複雑な気分になった。でも、父さんは残りの診察の間もずっと、あたふたとぼくの心配をしていた。父さんもやっぱりぼくの知る父さんのままで、ぼくは少しだけ安心した。
 ぼくを診察してくれた若い女医さんは、頭を強く打ったせいで記憶が一時的に混乱しているのだろう、と診断を下した。信じたくはないが、身体はどう考えても女の子のそれなのだ。ぼくは諦めてその事実は受け入れていた。
 あまり嬉しくない現実だが、自分で起こした事態でもなく、さらに自分でどうこうできる事態でもないからどうしようもない。ともあれ、身体の方は二、三日で治るということで、あとは明日頭の方の精密検査をして、入院期間はその結果次第になるらしい。特に問題がなければ、まあ記憶の問題があるから通院する羽目になるかもしれないが、明後日には帰れるみたいだ。
 診察が終わると、ここではじめての女子トイレ体験。この件については何も言いたくないです……。
 その後、遅い昼食を食べる。ここで、ぼくが助けたことになっているらしい女の子がやってきた。霧風椿ちゃんというらしい。両親も一緒に、丁寧にお礼を言ってくる。少し照れたが、素直に気持ちは受け取っておいた。
 「おねーさん、いたい……?」
 ちょっと泣きそうな目でそんなこと言われてしまえば、強がるしかないよなーという感じです。おねーさん、という言葉にまたまた複雑な思いをしつつ、ぼくは「すぐによくなるよ」とにっこり笑って、椿ちゃんの頭をなでた。





 to be continued... 

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初稿 2004/05/25
更新 2008/02/29